語ると恋に落ちる | ナノ
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 ナルトがアカデミーを卒業して半月が経った。
 元来アカデミーは騒がしい場所ではあるが、問題児のナルトが姿を見せなくなっただけで、一段、二段と静かになった気がする。
 ナルトのイタズラの後始末に追われ、捕まえては説教をし、そのせいで遅れる業務をギリギリでこなしていた忙しない毎日に、今では懐かしさすら覚え始めている。
 しかしオレの生徒はナルトだけではない。ナルトたちが卒業すれば、代わりに新しい生徒たちが入学してくる。新たに受け持ったクラスは、ナルトたちほどではないが、少々問題を抱える子も多い。いい思い出だったと、感慨に耽る暇もない。

 別れの季節は出会いの季節。教室だけでなく、職員室にも新しい顔ぶれが増えた。
 今までオレの隣の机には老年の男性教師が腰を下ろしていた。長くアカデミーに勤めていたが、半年ほど前の健康診断で、重たくはないが厄介な病気が見つかったということで、療養のため退職することになった。知恵のある先人がいなくなったことは痛手ではあるが、病なのだから仕方ない。
 新年度が始まる前に、数名の教師と共に教頭より呼び出しを受けへ向かうと、次年度からアカデミーで勤務するという男女を紹介された。

「――コハク先生はしばらくイルカ先生の補助についてもらいます。ご指導お願いしますね」

 新任の先生方の指導係に就いてもらいたいと、呼び出された教師一同に、教頭から直々に告げられた。
 オレが担当するのは女性講師のコハク先生だ。ちょうど空いているから、オレの隣の席を使うことになった。
 二つ年下らしいコハク先生は、目尻が少しきゅっと上がった勝気そうな印象に反した、不安げな表情を浮かべていて、どことなくアンバラスさを感じた。

「うみのイルカです。何か分からないことがあったら、遠慮なく仰ってくださいね」

 年下ではあるが初対面の女性なので、あまり馴れ馴れしい態度はよくないと、丁寧さを心掛けて自己紹介をすれば、

「よろしくお願いします……」

と、蚊の飛ぶ音よりもわずか勝る程度の、消え入りそうな声で返ってきた。
 緊張しているのだろう、オレも最初の頃は不安だったからなぁとコハク先生の気持ちを察し、自分もそうしてもらったように、先輩として色々気を配ってやらないとなと考え、気持ちを新たにした。
 共に新任の先生たちの面倒を見ることになった同僚たちと、これからどう接したらいいか、新学期が始まる前に教えておかなければならないことは何かと確認し合い、お互い頑張ろうと声をかけ合った。



 新年度が始まって一ヶ月。入学式が滞りなく済み、新入生へ教室や設備を説明したり、アカデミーの校則や職員の紹介、それが終われば生徒全員の身体測定に個々の能力テストなど、年度始めはやることが多く慌ただしい。
 そこに新任の指導も加わるので多忙ではあったけれど、火影岩に落書きするような生徒がいないため、それほど疲労感はなかった。
 新任の先生方も、慣れない業務に戸惑いつつはあるものの、懐かしい校舎ということもあってか、明るい表情で奮闘している。
 その新しい顔ぶれの中でも、特にコハク先生に対し多くの職員が、『真面目』で『礼儀正しく』、『仕事熱心』と評している。
 ただそれは、決していい意味だけではなかった。

 コハク先生はとても口数が少ない。職員室では多少の談笑はよくあることで、特に親しい同僚同士では冗談も言い合う。度が過ぎれば上司からお咎めを受けるが、常識の範囲内なら許されている。
 しかしコハク先生は、そういった話には一切入ってこない。オレや誰かが話を振っても「はい」や「承知しました」など、そっけない返事を送るだけで、笑ったところも見たことがない。

 コハク先生は終始、まるで接客業に従事する者のように丁寧な言葉を使う。新人なので、教職員のオレたちへ敬語を使うのは理解できて、職員室でのやりとりとしては違和感はあるが、くだけ過ぎているよりはマシだ。
 ただ同じ新任の同期や、まだアカデミーに入学したての生徒にも、まるで店員と客のような言葉を突き通す。六歳相手に『さようでございますか』などと返す人はなかなかいないだろう。
 もちろん敬語を使うことは悪いことではない。同期や生徒相手にも礼儀を忘れないという心掛けは大事だが、淡々と敬語で対応する彼女に、『なんだか機械みたいだ』と難しい顔をする年配の職員も居た。

 コハク先生は業務以外で、オレたちと交流することがない。
 毎日顔を合わせていれば、親しくもなり仕事終わりに飲みに行ったりもする。上司から誘われたり、同性同士で気兼ねなく集まって、愚痴を吐き合って労い合って、もしくはただただ楽しく飲み食いする。
 以前、とある職員が上司に連日付き合わされたため任務に支障が出て問題になったことがあり、飲食の誘いに無理強いは厳禁と決められているため、上の立場であればあるほど誘い方も慎重だ。
 だから嫌ならもちろん断ってくれて構わない。オレも気乗りしない飲み会になど行きたくはない。
 しかしコハク先生の場合はあらゆる誘いをすべて断っているようで、そのためかとっつきにくいイメージが定着してしまった。

 誰かの冗談に表情を崩すことも私語もなく、まるで付け入る隙を作らせないためのような死角のない言葉使いで、業務に必要のない付き合いは一切行わずやるべきことのみをこなす。
 断じて、この振る舞いが悪いとは言わない。むしろ誰に対しても態度を変えないので、平等を貫く姿勢を好んでいる職員もいる。
 分からないことやミスがあれば即座に相談や報告をして、真摯に謝罪し礼を告げ、毎日の指導報告書も細かく丁寧にまとめられているし、指導係としては良い人に当たったとすら思っている。

 『真面目』で、『礼儀正しく』、『仕事熱心』。
 それは間違いないのだが、皮肉めいた意味で使う人が、日を重ねる毎に少しずつ増えてきている。



 担任になった新しいクラスで行うテストの採点は、ほとんどコハク先生に任せている。保護者との面談、直近行事の打ち合わせに、来月の会議の資料作りなど優先すべきものが多く、採点や記録などの作業はコハク先生に引き受けてもらっている状態だ。

「イルカ先生。採点が終わりました」

 隣の席で、赤ペンの音を走らせていたコハク先生が、答案用紙の端を揃えながらオレに声をかける。

「ああ。ありがとうございます。すみません、いつも全部頼んじゃって」
「いえ。他に何か作業はございますか?」

 用紙の角を捲り、今回のテスト結果をざっくりと確認すると、満点に近い点数もあれば赤点もあった。赤点の生徒に関しては追試、必要であれば補習授業を行わなければならない。

「あとはこっちでやることしか残っていないので、コハク先生はもう帰ってもらって構いませんよ。ちょうど定時ですし」

 まずは追試のテスト作りの時間を確保しなければと、頭の中で帰宅後の作業内容を練りつつ、コハク先生へ答える。職員室にかけられている時計は遠くからでも見やすいよう、文字盤は大きく、数字や針もはっきり視認できるよう太い。短い針は右下を指していた。
 コハク先生は筆記具など一式を片付けたあと、椅子をきっちり机へと収めた。荷物で膨らんでいる、生成り色の肩掛けバッグを手に取り、オレへと向き直る。

「では、お先に失礼します」

 一礼し、職員室の戸から廊下へと出て行く。中忍以上に支給される緑のベストが見えなくなると、知らずオレの口からはため息が漏れた。

「相変わらずですね、コハク先生」

 向かいの机の先生が、苦笑いを浮かべる。少し困った様子なのは、ここへ配属された当初から変わらぬ態度に対してだろう。

「最初は緊張しているだけだと思っていたんですが……」
「もう一月以上経ちますし、あれが彼女のスタンスなんでしょうね」

 アカデミーで生徒の指導に当たるということは、とても重い責任のある仕事だ。他所の子どもを預かっているというだけではない。オレたちが指導した彼らはいずれこの里を支える忍になっていくのだから、いわば長い目で見れば里作りに大きく携わっているわけだ。
 だからプレッシャーでかたい顔をしたり、発言を躊躇ったりすることは珍しくはない。
 しかしそれも、環境に慣れてくれば次第に緩んで、本来の自分らしさを出してくるわけだが、コハク先生に関してはそれらの兆候は一切見られない。
 なので向かいの先生は、あの態度は本来のものだと受け取っている。この先生に限らず、他の先生のほとんども似たような感じだ。
 でも一番間近で接しているオレは、今でもコハク先生の態度はどこか無理をしているように思えてならない。
 別に目の形なんて性格を表すものじゃないと分かっているが、彼女の目はなんとなく、明るく笑い慣れている人の目に見えた。なのに不安気だったから、その危うさが目立って今も覚えている。
 しかし実際のコハク先生は笑う人ではない。彼女の笑顔など、全校生徒や職員を含めた皆が見たことがない。

「ちょっと休憩してきます」

 テストの束を机の引き出しに仕舞い、向かいの先生に一言告げて職員室を出た。少し息抜きをして頭を切り替え、それから作業を再開しよう。
 廊下の窓からは校庭が見える。最終下校時刻が過ぎたため、校舎にも子どもの姿はない。
 陽は西に傾いて、空を赤く染め上げている。昔から、夕焼けに焦がれた空を見るたび、沈みたくないと後ろ髪を引かれる太陽の思いが表れている気がしていて、少し悲しい気分になる。
 散歩がてら、校舎の外を一周しよう。最終下校は過ぎたが、たまにまだ帰っていない生徒が残っていることもある。見かけたら注意して、早く家に帰るように言い聞かせなければならない。
 校舎を出て、ぐるりと見回る。アカデミーには本校舎を中心に、特別教室のある第二校舎やホールなどいくつか建物がある。
 とりあえず一通り外周するかと足を進めれば、静かな夕暮れの中に、サンダルと地面の擦れる音が耳に入る。いつもは生徒の声や足音で気づきくい自分のそれに、忍としてどうかと思い、音を立てないよう注意して歩いた。

「――、――」

 ホールを経由し、第二校舎の裏も回ろうと向かえば、人の声が聞こえた。
 高い声は女性だろう。在校生徒のほとんどは在学中に声変わりをしないので、男子生徒でも声は高いが、さすがに男女の区別はつく。
 性別までは想定できても、姿が見えない以上は不審者かそうでないかなどの正体がはっきりしないので、足音だけでなく気配も殺してゆっくり歩を進める。
 ようやく第二校舎の壁の角にまで着き、そっと覗き込んだ。

「店員さんが一番栄養があるっち言いよったけど、味はどげんかなぁち心配やったばってん、おいしかごたあるね」

 聞いたことのない言葉だ。一つ一つの単語は意味が分かるので、完全な外国語というわけでもない。
 発しているのは、木ノ葉の緑色のベストを羽織った人物。膝を曲げて屈んでいて、彼女の向かいには小さな犬が尾を振っていた。どうやら餌を食べているようで、伏せている顔は咀嚼に合わせて揺れている。

「いっぱい食べんねね。明日もご飯ばいつ持って来られるんか分からんけん。食べらるぅうちに食べんしゃい」

 女性が手を伸ばし、仔犬の背を撫でる。背は黒いが、腹の辺りは茶の赤毛だ。仔犬は構うことなく餌を食べ続け、女性はそれが嬉しいようで肩を震わせ笑った。
 その肩には、生成り色の肩掛けバッグが下げられている。ついさっき、同じものをどこかで見たような――

「――あ」

 餌に夢中だった仔犬がふと顔を上げ、オレの方を見た。突然食事を止めた犬を不思議に思い、女性の顔もこちらへ向く。端がきゅっと上がった目がオレを捉えると、しばし停止した。

「うわぁあああ!?」
「えっ!? ちょっ、まっ――」

 いきなり叫び声を上げ、女性は立ち上がると駆け出した――が、動揺していたせいか足がもつれ、そのまま滑るようにうつ伏せに倒れた。バッグの紐の片方が腕から外れ、中身がいくつか飛び出している。
 彼女はすぐさま手をついて起き上がろうとしたが、何を思ったのか傍の仔犬が彼女の顔へと寄り、その頬や額などあらゆる場所をペロペロと舐め始めた。

「やめ、やめてって! くすぐったか……!」

 諌める声を上げつつ、犬の舌から逃げるのに精一杯で地面に転がったまま。笑い声とも取れるような悲鳴を上げる彼女に歩み寄り、その顔を確認する。じゃれつく仔犬から避難していくうち、うつ伏せから仰向けになり、顔の前で腕を組んでいる。
 犬は新たに現れたオレに興味を持ったのか、彼女から離れてオレの足にまとわりついた。やっと解放されたと腕を下ろしたその顔と目が合う。
 視線が絡むと、自然と口は閉じた。零れるほどではないが、上がった目尻には涙が溜まっている。

「……大丈夫ですか?」
「……はい」

 派手にこけていたし、犬にじゃれつかれていたしと、まずは状態の確認を取ると、やや間を置いて返事がきた。顔を地面に打ち付けたせいか砂がついていたが、それよりも仔犬の舌で撫でられた面積が多いせいか、もうほとんど暗くなってしまっているのに、てらてら光っているのが分かる。

「コハク先生、ですよね?」
「…………はい」

 涙声で答えると同時に、両手で顔を覆ってしまった彼女の傍には、バッグから飛び出した持ち物が事切れたように散らばっている。
 新年度が始まる前に渡した業務で使用する資料のファイル。色んな形の付箋。その付箋がいくつも飛び出しているノートや本。ペンケースに巾着とポーチ。犬のものらしいジャーキーと骨の形をしたビスケット。蛍光色のボールは、見つけた仔犬が自ら転がし楽しそうに遊んでいる。
 教職員全員に配布されている職員証の『稲荷コハク』という氏名は、彼女がオレの隣の席の『コハク先生』であることをはっきり証明していた。



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