最果てまでワルツ | ナノ
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 三代目が火影の座を降りて、時代は四代目へと移った。
 四代目はミナト先生だ。まだ二十代半ばも過ぎていない若い里長の誕生は、木ノ葉だけではなく他里からも物議を醸したが、一部を除いた木ノ葉の住人から見れば、妥当な人選と受け入れられていた。
 里の長として住人から敬われる存在になるには、それなりの“由緒”を求められる。初代様は忍の神と呼ばれ、二代目は初代様の弟にして数々の忍術を生み出し、三代目は二代目の弟子であり後にプロフェッサーの異名を轟かせた。三代目の孫弟子に当たり、『木ノ葉の黄色い閃光』という、先生の実力の高さを示す通り名が、波風ミナトを火影の座へ据え置くに相応しい“由緒”であった。

 自分の師が火影になるというのは大変に誇らしいことだ。ミナト先生が上忍師を務めたのはオレたちが初めてだったそうで、彼の正当な弟子というのはオレたち三人だけであり、そして今は一人だけだ。
 そのたった一人の弟子に、ミナト先生がとある任務を直接命じた。まだ見慣れない、火影の椅子に座る四代目からの任務を遂行している中で、オレは失敗を犯し、木ノ葉の病院へまた入院することになった。
 失敗の大きな原因は雷切。リンを死なせてしまってから、雷切を使うことに躊躇いはあったが、敵に見立てた巻き藁に振るえていたので、大丈夫だと思っていた。
 しかし実際に生身の人間相手に振るうとなると、リンとのことがいやでも思い出されてうまくいかず、窮地に陥った。運よくガイが助けに入ってくれたおかげで、無事に里へ戻ることができた。

 病院の匂いは好きではない。いつだってろくな思い出がない。まあ、入院となれば誰でもそうだろう。
 早く退院許可が出ないだろうかと、病室のベッドの上で本を読んでいたら、ミナト先生が訪ねてきた。オレを四代目付き暗部へ転属させたいと。
 断る理由はなかった。正規部隊にいるよりずっと近く、師である先生の助けになれる。
 それに正規部隊にはサホがいる。暗部に入れば、自分をサホから遠ざけられる。サホが少しでも苦しまないで済むなら、そっちがいい。



 すでに体の出来上がった者が多い暗部の中で、まだ伸び代を残すオレは目立った。“あの”はたけカカシだから余計に。それでも、暗部という特殊な環境は正規部隊よりも息苦しさはなかった。
 雷切も以前と変わらず使えるようになった。アレは敵。アレはリンじゃない。アレはいわば“的”だと、何度も何度も何度も言い聞かせて、雷切を振るうときは、オレは意識の回線のようなものをぷつりと切ることを覚えた。
 四代目の命を淡々と遂行する日々を送る中で、オレは『冷血カカシ』などと呼ばれるようになった。敵を屠り続けていたらそうなった。
 冷血で何が悪いのだろう。里に害を及ぼす敵は、仕留めておくのが一番だろう。
 もう誰も殺されたくない。里の住人も、仲間も、ミナト先生も、サホも。

 そんな風に呼ばれ出したのがまずかったのか、ミナト先生に呼び出されて伺うと、一枚の紙を差し出された。記してある日時に木ノ葉病院へ行くようにと言われ、理由を問うと「カウンセリングだよ」と一言返された。

「カウンセリング……?」
「そう。まずは一度、会ってきて」

 火影の羽織りに袖を通し、木目の整った執務机に両肘をついて手を組み、四代目は微笑んだ。

「オレには必要ありません」
「君の聞き取り調査を担当した医師の報告書を読んだ、オレが必要と判断した」

 断れば、拒否は許さないと強い調子で返される。微笑みは消え、真剣そのものの表情だったので――もとより、里長に逆らえることもなく執務室を出た。忌々しく思えるその紙は火遁で燃やした。



 はっきり言って全く気は進まないけれど、行かなければ間違いなく四代目へ報告が上がる。咎められることを考えたら行かない方が愚策だ。
 カウンセリングというのは、要するに話をするだけ。当たり障りない会話をすればいい。
 病院の受付で名乗ると、すぐに部屋に通された。受付や待合室、他の診察室よりも離れた場所にあり、中庭に面したそこは、柔い光が差していて温かみのある部屋だった。陽射しで室温が上がっているので、そういう意味では確かに暖かいのだが、不思議と心が落ち着いていく部屋だった。

「お待たせしました」

 軽いノックのあとドアが開いて、男性が部屋へ入ってきた。ミナト先生と変わらないか少し低いくらい。オレと目が合うと「こんにちは」と軽く一礼した。

「あなたは……」

 白衣を着てファイルを持ち、額当てなどしてないが、彼の顔には見覚えがあった。垂れた目に吊った眉。

「お久しぶりですね、隊長」

 彼は以前、『仲間殺し』と非難され動揺し、指揮を務められなかったオレに『隊長を務めるべきではない』と説いてくれた人だった。名前はたしか――アララギ中忍だ。

「忍ではなかったのですか?」
「いいえ、私は今でも木ノ葉の忍ですよ」

 問うオレに、アララギ中忍は違わないと返すと、部屋の中央にあるテーブルを挟んだ椅子の一脚に腰を下ろした。彼が向かいの椅子を指し示すので、素直にそちらへ腰を下ろす。

「実は私は元々、医療忍者を目指していたんです」

 アララギ中忍が? 記憶を辿るが、彼が医療忍術を使うところは見たことがない。隊には別に医療忍者が居て、彼はあくまでも戦忍としてオレの下についていた。

「しかしお恥ずかしい話、どうにも才に恵まれず、二十歳を超える前に諦めました。それでも何かの足しになるだろうと臨床心理などの勉強は続けていましてね。その甲斐あって、上層部の命を受け、これからしばらくは心理師として、心的外傷を負った忍のカウンセリング業務に従事することになりました」

 つまり彼は、命令に従い前線から身を引いただけであり、あくまでも忍。そして医療忍術は使えないが医学の知識はあって、それを見込まれ心理師になった、と。
 説明を受け納得すると同時に、わざわざ転属させて心理師を増やさねばならないほど、そういった処置が必要な者が多いのかと考えてしまった。実際、クナイを持つと震えが止まらないなどと忍を一度辞める者は多い。使えない駒として捨てることなく、引退後のケアまで行うべきだという考えは、三代目時代から続いている里長の意向で、それは今代のミナト先生にも引き継がれている。

「それで、隊長。貴方の聞き取り調査の結果に目を通しましたが……どうも、よくない夢を見るみたいですね」

 アララギ中忍が手元のファイルを開き、中に挟んでいるだろう書類を見ながら言ったことに、オレは驚いてしまった。

「あの……本当に、そう書かれているんですか?」
「ええ、書いてあります」

 何故だ。オレはあの老婦の聞き取り調査で嘘をついた。恐ろしい夢など見てうなされるか、と訊かれ、否と返した。他の似たような問いにも、必要であれば嘘を答え、問題はないと思わせるべく偽っていたのに、どうして夢でうなされていると分かったんだ。

「……オレは、そんなことは一言も……」
「ああ」

 得心したとばかりに、アララギ中忍は相好を崩した。

「この先生のお宅、犬が居たでしょう?」
「え? あ、はい。小型の……」
「あの子、忍犬なんですよ」

 まさか。あの犬が?
 オレも忍犬と口寄せ契約はしている。ブルのように人の身の丈を越える犬から、パックンのような小型の犬など、それぞれの個性を生かして助けてくれる。
 だから毛玉のような愛玩種であろうと、犬種差別をするつもりはないが、老婦の家のあの犬はペットとして飼われているようにしか見えなかった。

「といっても、戦場で供になれるような犬ではありません。あの犬を、膝に乗せたでしょう?」
「……乗せました。客人の上に、よく座る子だと」

 床をポンと蹴ってオレの膝に乗って、聞き取り調査が終わるまで寛いでいた。人懐っこい犬だなという印象だ。

「あの犬はね、要するに、嘘発見器なんです。人は嘘をついたり動揺すると、汗を掻いたり、独特の匂いを放ちます。脈の速さも、呼吸も変化する。そのわずかな匂いや変化を、あの子は敏感に感じ取って、担当医に教えていたんです。先生は貴方の回答や態度ではなく、あの犬を観察することで、貴方が何を隠し偽っているのか、容易に把握できていたんですよ。嘘をつき慣れている忍には、先生方も対策を取る必要がありますからね」

 そこまで説明されて、ようやくあの犬が忍犬だと受け入れられた。いくら取り繕おうとも、あの犬を膝に乗せた瞬間からオレの負けだった。いくら嘘をついてもバレていて、だからこそ嘘であるならばと、消去法で老婦は簡単に答えを探り当てた。
 あの犬はただ愛くるしい毛玉ではなく、しっかりと訓練を重ね調教された立派な忍犬。そういえば老婦の一声で、サッとオレの足から下りて彼女の脇に控えた。あのとき、ちゃんとしつけされているのに、なぜ老婦が客人の膝から下りろと命じなかったのか、違和感を覚えるべきだった。

「なるほど……出し抜かれた気分です」
「ここだけの秘密にしておいてください。あの先生は今月限りで引退なさるそうなので、また貴方が受診することはないとは思いますが、守秘義務のこともありますし」
「分かりました。でも、それならオレに言うべきではなかったのでは」
「隊長と任務で数日同行していて、貴方の人柄が分かりましたから。貴方は不審な物事に対し警戒心がかなり強い。心理師として、貴方に心を閉じられては仕事になりませんから」

 アララギ中忍と任務を共にしたのは、彼が言うように先の数日。他にも仲間が居たため、彼と密に接したわけではないのに、オレの性格など把握できているのは、心理師としての知識があったからだろうか。その辺は詳しくないので分からないが、何故嘘がバレたのか教えてもらわなければ、オレの口の紐はいっそ固くなっただろう。

「それと、四代目からも、いくつか不安なところがあると伺っています」

 再びファイルに目を落とし、アララギ中忍の黒目が端から端へと何度も往復する。

「以前、雷切を使おうとして、できなかったと」
「……ええ」

 暗部になる前の任務で犯した失態を振り返る。今はもう、躊躇うことなく雷切を放てるようにはなったけれど、病院送りになるほどの失敗は、いまだ挽回できていない。

「それはやはり、のはらリンさんのことを思い出すからでしょうか?」
「……そう、だと、思います」

 『思います』ではなく、間違いなくそうではあったが言い淀んでしまった。

「うなされる夢について、お伺いしても?」

 問われて目を閉じた。夢のことを口にするのが怖い。まるでリンやサホがオレを苦しめていると告白するようだったからだ。
 そんなわけない。二人はオレを苦しめてなどいない。むしろオレが彼女たちを苦しめたというのに。

「仰りたくないのなら、構いませんよ」

 アララギ中忍の気遣いを、オレは遠慮なく受け取って口を閉じた。
 もしかしたら彼は、オレがどんな夢を見ているのか察しているのかもしれない。心理師だから見透かせるというわけではないが、アララギ中忍は人の機微に聡いようだ。椅子に座って受け答えをしている間、オレは気づかないうちに分析されているのだろう。

「所感としましては、うなされる夢を見る場合は、医師に話を通して睡眠導入剤などを処方してもらい、夢を見ないほど深い眠りにつくのがいいかと思いますが」
「できれば、薬は使いたくありません」
「そう言うと思いました。四代目から、本人の意思を尊重してほしいと頼まれておりますから、経過観察ということにしておきましょう」

 白衣の胸元からペンを取って、ファイルに何か書き込む。ここからではうまく見えないし、何が書かれているのか分かるならむしろ見たくなかった。知らない自分がそこに記されていて、気づいてしまうのが恐ろしい。
 それからいくつか質問を重ねて、カウンセリングは30分ほどで終わった。
 次の予定は二ヶ月後。避けてほしい日などあるかと問われ、特にないと答えると、上を通して日時を伝えると説明された。『任務』という形を取らなければ、わざと受けに来ない場合があるのでと言われ、サボってしまう人の気持ちが少し理解できるオレは内心ドキッとした。サボる理由は人それぞれだろうけれど、やはり自身の内面を晒すような行為は抵抗がある。

「では隊長。今日はこれで」
「はい――あの、もう隊長ではないので」
「ああ、すみません、癖で」

 さきほどからずっと、アララギ中忍がオレのことを『隊長』と繰り返しているのが気になって指摘すると、彼は慌てたあと、恥ずかしそうに頭を掻いた。

「心理師として、これからよろしくお願いします。カカシさん」
「はい。……アララギさん」

 彼はもうオレの部下ではない。里からの命で、忍の籍は置きつつ一時休業で、心理師としてオレと向かい合っている。
 だからこそ彼もオレを『カカシさん』と呼ぶのだろうから、オレも彼に、上忍だとか中忍だとか取っ払って向き直る方がいい気がした。
 それは正解だったらしく、彼の垂れた目の上の、吊った眉の端は下がった。



 カウンセリングを受けたからといって、オレの現状は特に変わりはない。夢でうなされて起きることも、町ですれ違う人にリンやオビトを重ねてしまうことも。
 サホと会ったのは、暗部になる前に一度きりで、以来暗部と正規部隊という違いもあって、接触しないようにと意識すればたやすく会わなかった。

 一度会った際に、サホがオレに向ける視線は冷たかった。ガイが、オレが暗部になることを誇らしげにサホに伝え、サホはそれを受けて『暗部になるんだ』とオレに言い、オレが頷くと『そう』とだけ。たったその二言だけでしか会話しなかったし、むしろオレは無言だったから会話したとすらも言えない。
 以前のままの関係だったら。アカデミーを飛び級で卒業したときや、オレが上忍になったときに『すごいね』と笑ってくれたように、サホもオレの暗部入りを『すごいね』と微笑んでくれたかもしれない。『カカシはすごいね』と。

「サホはまだ、色々と受け入れられないみたいでな……」

 オレへのサホの態度を見て、ガイは似合わない難しい顔をした。

「だが安心しろ! お前とサホがまた親しい仲になれるよう、オレが尽力する! 任せておけ!」

 親指を立てて言い放つと、ガイはそのためにも特訓だと言って、その場から駆け出して行った。恐らく走り込みか何かをするのだろう。
 ガイの手を借りる気はないが、オレとサホの関係がまた前のように戻れるなら、それは正直願ってもないことだ。
 願ってもない――つまり、そんな願いなど叶うわけがないと諦めている。
 それでも、そう言って手を尽くそうとしてくれるガイの存在は有難い。オレとサホを繋ぐ線は、もうガイやミナト先生といった、第三者なしでは成り立たないのだから。


 頼みたい任務があるからと、四代目に呼び出しを受けて火影の執務室を訪ねると、妙に機嫌のいい火影が椅子に座していた。基本的に波風ミナトという人物は物腰が柔らかく、笑んでいる姿は珍しくないが、今日はいつになく上機嫌だ。

「実は、クシナが妊娠したんだ」

 任務の話だと思っていたらクシナ先生の妊娠を告げられ、オレは一瞬言葉に詰まり、瞬きを繰り返した。

「えっと……おめでとうございます」
「ん。ありがとう」

 妊娠は祝い事であるのでと、とりあえず祝いの言葉を口にすると、四代目は礼を返したあと、緩んでいた口元をきゅっと引き締めた。
 四代目は、クシナ先生が九尾の人柱力であるため、妊娠中や出産の際に封印のバランスが崩れやすく、通常より危うい状態になることを手短に説明した。人柱力に関しては、暗部に入る前に四代目より教えられていた。火影直轄の部隊として知るべきだと。

「それでね。カカシには、クシナの護衛を頼みたいんだ」
「護衛ですか」
「ん。九尾のこともあるし、何よりオレの奥さんと子どもの命を守ってもらうわけだからね。ぜひカカシにお願いしたい」

 師であり火影の、その配偶者と子どもを守るべく選ばれたというのは、誇らしいほかなかった。四代目がオレに信頼を寄せてくれているのが嬉しい――反面、オレにできるのだろうかと、不安にもなる。

 オビトを死なせて、リンも死なせたのに。

 大事な仲間を守れなかったオレが、クシナ先生とそのお腹の子を守れるだろうか。任務なのだから、守れるかどうかではなく、守りきるのだと分かってはいるけれど、オレは自分が信じられない。

「頼めるね?」

 四代目が問う。先生は、自分でも信じられないオレを信じて、オレに自身の妻とまだ産まれぬ子の護衛を頼んでいる。

「はい。必ず、お守りします」

 守るんだ。今度こそ。オレを信じてくれる先生を裏切らぬよう。



 護衛の任務については、すでにクシナ先生に話を通しているので、明日から向かってくれと言われた。『できる限りカカシがいい』とクシナ先生が希望しているようで、護衛はオレが専任する形で行い、オレが身を休める場合は別の者がつくとのこと。
 クシナ先生には直接指導を受けたことは何度かある。下忍、中忍時代からよく顔を合わせていたし、そういう相手の方がクシナ先生も気楽なのだろう。
 任務開始当日、一度挨拶をしておいてと四代目に言われたため、ちょうど家の外を掃いていたクシナ先生の前に現れると、驚いたのち、待っていたとばかりに破顔して迎えてくれた。

「ミナトから話は聞いてるわ。今日からしばらく、よろしくね」
「はい。外で周囲の警戒に当たりますので、よろしくお願いします」

 この家の敷地には四代目の手で結界が張ってある。敷地内に居る間は比較的安全なので、オレは周りの人間や気配、訪問者などに注意を払ってくれと、ミナト先生から頼まれている。

「あとで一緒にお茶でもしましょう」
「いえ。護衛ですので」

 断るオレをめげず誘うクシナ先生に対し、頑なに拒否を続けて、ようやく諦めてもらえた。オレの役目は表に立つ護衛ではなく、影のように裏から守るもの。堂々と家の中でお茶など啜れるわけがない。
 クシナ先生が家に入り、オレは本来の務めを果たすべく、先生宅の屋根に上る。火影の自宅周辺の道や建物など、生まれも育ちも木ノ葉のオレの頭には、里の地図がすでに入っている。
 この辺りは住宅街ということもあり、騒がしい雰囲気はない。ベランダで洗濯物を干す人や、通りを犬と共に歩き散歩をする人、ゴミ捨て場で顔を合わせそのまま井戸端会議が始まった人など、のどかで平和な風景が目に入ってくる。

 戦争が終わったんだ。

 頭では分かっていたが、いまだ他所との小競り合いは少なくないし、里に害を成す者の暗殺任務も請け負う日々が続いている。争いの中に身を置いたままだったせいか、ようやく『平和』というものを実感した。
 高い場所に居るため、風も強く感じる。護衛任務は決して気を抜いてはならないのだが、たくさんの平和な日常を見せられていると、どうにも心は凪いでしまう。
 先生宅の前を通る道は、たくさんではないが歩く人が居て、その中に知った顔を見つけ、心臓が大きく鳴った。

――サホ。

 額当てをしていない、忍服も着ていないサホが、こちらに向かって歩いてくる。まさか、とその行き先を見届けると、足下の家の玄関に着き、呼び鈴を一つ鳴らした。

「いらっしゃい、サホ。待ってたってばね」

 玄関のドアが開き、楽しげなクシナ先生の声が響く。サホは先生宅へ入った。
 サホだ。サホが、ここに。
 どうして、というのは愚問だった。オレの師がミナト先生なのと同じで、サホの師はクシナ先生。家を訪ねるというのはそう珍しいことではない。
 しばらくすると、家の中の階段を上がる音がして、上階のベランダに籠を持ったサホが現れた。籠の中には脱水された洗濯物。サホは屋根の上から見ているオレに気づくことなく、籠から洗濯物を取出し、物干し竿に干していく。
 何度かそれを繰り返した辺りで、ようやくオレの存在に気づいたのか、顔を上げこちらを向いた。驚いたように目が大きく開き、印を結ぶつもりだったのだろう、素早い動きでサホの両手が上がるが、それはクシナ先生によって止められた。

「あの子はね、ミナトが手配してくれた、私の護衛よ」
「護衛?」

 サホはクシナ先生の言葉を繰り返したあと、手を額に当て、目元から日光を遮りながら、再びオレへと目を向けた。オレは目立ちにくいよう、外套に身を包んで、おまけに暗部の面も掛けている。これでは初見だと誰だか分からないだろう。

「カカシ……?」

 なのに、サホはオレだと分かった。はっきりとは聞こえなかったけれど、読唇して読み取ったのは、オレの名だ。
 久しぶりにまともに目が合った。サホには逆光もあり、面の奥のオレの目など見えはしなかっただろうが、オレは真っ直ぐにサホの瞳を見た。
 昔と変わらず澄んでいて、懐かしさにたまらない喜びを覚えた。



13 手繰られる

20190817


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