最果てまでワルツ | ナノ
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 ガイのしつこさにはほとほと呆れてきた。同時に、どんなにきつく断ろうとも、諦めずにオレの下に現れるあいつの変わらなさに、嫌悪感は少しずつ削がれていった。
 面倒くさいのは変わらないし、暑苦しくて非常に鬱陶しい。けれどどんな態度を取ろうともオレに挑みつづける姿勢が、とうとうオレに勝負を受けさせた。
 一回だけのつもりだったのに、ガイは以前よりずっと熱を上げてきた。一度オレが受け入れたからだろう。
 やっぱり勝負なんて受けなきゃよかったと思ったけれど、ジャンケンみたいなお遊び程度の勝負でも構わないみたいだから、何回かに一回は渋々受けてやるようにした。

「カカシ! さあ、今日は何で勝負だ!?」
「もう夕方なんだし、さっさと家に帰れ」

 任務が終わって家に帰る途中、運悪くガイに見つかった。あいつは今日は一日非番だったらしく元気が有り余っているようで、常時反復横跳びをしながら、オレの周りをうろうろとして、暑苦しい空気を放っている。
 一日の終わりに備え、里中が夕飯の支度を始める中で、こいつだけが真昼間のようにぎらついている。任務終わりのオレにすると、眩しいを通り越して、もう傍に居られるだけでうんざりするからどっか行ってほしい。
 どうやってこいつを追い払おうか。そんなことを考えつつ、別の通りへの道に出ると、出会い頭に一つの人影と顔を合わせた。

「あ……」

 目をパチパチと瞬かせるのはサホだ。またサホに会った。

「おっ。誰だ? 知り合いか?」
「お前……ホンットに人の顔を覚えないんだな……」

 真新しい物を見たような表情は、ガイが本気でサホのことを忘れていることを如実に語っている。人の顔を覚えるのが苦手という人間はそう珍しいものじゃないが、こいつのこの悪癖は本当にひどい。元々クラスメイトで、最近また顔を合わせて名前を覚えたと言っていたのに、おかっぱ頭というか鳥頭だ。

「元クラスメイトの、かすみサホだよ」
「おお! そうだったのか! すまないなサホ! サホ、サホ、サホ……よし、覚えたぞ!」
「それ、この前もやったから」
「なにぃ!?」

 オレの言葉にびっくりしているガイに、何とも言えない疲労感が襲う。こいつはきっと、この状況に似た場面でも同じように相手の名前を復唱し、覚えたと言っては、また忘れてを繰り返しているのだろう。
 かなり失礼なやりとりだけど、幸いにもサホは怒ることもなく、ただ苦笑いを浮かべている。怒る気すらしない、と言った方が正しいかも知れない。

「ガイくんたちは、これから勝負なの?」

 そのサホがオレと目を合わせることなく、ガイの方を向いてガイの名を呼んで訊ねた。サホと親しいのはオレのはずだ。なのにガイに話しかけるサホに、苛立ちとは違うが似た感情が湧く。

「おう! 今現在、オレとカカシの青春は一勝五敗だ! 昨日の勝負は特に熱かった。オレの闘志とカカシの闘志が、行ったり来たりの大混戦だったな」
「ただのあっち向いてホイでしょ」

 ガイは拳を握りしめて、何とも暑苦しい説明をしたけれど、蓋を開ければあっち向いてホイという子どもの遊びでしかない。
 ま、熱かったのは熱かった。じゃんけんという運要素が絡む上に、瞬時に相手がどちらを指すのか、どちらを向くのかと見定めるのは、実戦と似た緊張感もあった。あったけれど、ガイに同意する気にはならないので黙っておく。

「何を言う! どんなときでも、ライバル対決は『ただの』勝負ではない! 男同士の熱い魂と、勇ましさと、雄々しさがぶつかり合う、崇高な勝負だ!」
「崇高ねぇ……」

 よくもまあ、それらしい言い方ができるものだと少し感心した。ガイは脳みそまで筋肉でできているタイプに見えるが、話してみるとそれなりに知識は備えている。ただまあ、それが有効活用されているかは別だ。

「とにかく。昨日は付き合ったんだから、今日は諦めろ。大体オレは任務帰りで疲れてるんだ」
「任務帰りがなんだ! 常に万全の態勢で挑める勝負では青春にならんぞ!」
「ガイは元気でオレは疲れてる。その状態で勝負しようなんて、男としてどうなの?」

 オレの主張など端から聞く気のないその姿勢に少しカチンと来て、そんなに言うならと、こっちも尤もらしい言い方で返してやると、予想通りガイは怯んだ。

「なっ、なにっ?」
「疲れてる相手に挑んで勝とうなんて、男としての器が小さいんじゃない」
「何を言う! オレは小さくなんてないぞ!?」
「どんぐり」

 たった一言。それだけでガイの顔は、くるくると色と表情が変わり、汗が伝い落ちていく。

「ひ、ひ、卑怯だぞ!」
「いいから早く帰って寝なよ。寝る子は育つって言うでしょ。でかくなれないぞ」
「で、で、でかっ……! く、くそぅ! くそぉおおお!!!!」

 号泣しながら、絶叫と共にガイは走り去って行った。さすがに言いすぎたか、とわずかに罪悪感が芽生え――ることはなかった。こっちは任務で疲れているとちゃんと正当な理由を述べているのに、しつこいあいつが悪いのだ。

「『どんぐり』って……?」

 この場に残ったのはオレだけではなく、サホも居る。サホの存在を忘れていたわけではないが、ガイを追い払うのに気が向いて、彼女の前だと言うのに『どんぐり』と言ってしまった。

「……サホには関係ないから」

 ガイが鬱陶しいからと言って、『どんぐり』のことを他人に話すのは同じ男として超えてはいけないラインだと思うし、何よりサホは女子だ。女子相手に話すのは色々とアウトだろう。そういう気まずさから顔を逸らしてしまい、サホも黙ったことにより、オレたちの間に妙な沈黙が生まれた。
 ちらりとサホの様子を窺うと、硬い表情で少し俯いている。オレの頭の中にある『サホ』の顔は、曖昧な笑顔を浮かべていた。今この場を立ち去ると、次はこの、笑みですらない表情に上書きされるのだろう。

「……久しぶり」

 気づいたときには、オレの口は動いていた。

「え? うん……久しぶり……」

 サホは驚き、弾かれたように顔を上げた。丸く見開かれた目が、オレを真っ直ぐに射貫く。
 「久しぶり」と交わしたはいいが、それからが続かない。何を続ければいい? 世間話? サホと前はどんな話をしていたか、うまく思い出せない。

 別に、いいか。

 サホの顔が俯いた顔ではなく、驚いた顔に上書きされただけけマシだ。家に帰って体を休めたいし、サホだって自宅に帰らなくては。もうそういう時間だ。
 ろくな挨拶もせず、黙ったまま背を向けようとすると、慌てたサホから引き留められた。

「あの! き……訊きたいことが、あるんだけど……」

 体の動きを止めて、サホの方に視線を向けると目が合った。

「なに?」

 意識的なのか無意識なのか分からないが、サホは自身の両手をぎゅっと胸に押し付け、少し緊張した面持ちだったので、オレはこれから何か重大な話でもされるのかと少し恐ろしかった。

「前に会ったとき、わたし、友達の鳥を捜してたでしょ?」
「……ああ……そういえば、そうだな」

 話題はさして重大でもなかった。密かに胸を撫で下ろし、記憶を探ればあっさり手繰り寄せることができた。サホが立ち入り禁止の森に入っていたときのことだろう。青い羽の珍しい鳥を捜していた。

「友達の鳥は、見つかったんだって」
「そう。よかったね」

 知っていたけれど知らないふりをした。わざわざ言うことじゃないだろうし、何より言いたくもなかった。

「友達がね、忍に依頼しようと思って受付所に行ったら、もうすでに鳥が保護されていたって。下忍の誰かが、きっと飼われている鳥だろうからって、保護してくれていたんだって」

 一度ドクンと大きく鼓動が鳴って、それから早駆けしたときのように鳴り響く。それでも忍として、動揺を表に出すような下手な真似はしない。口を結んでサホから視線を外すくらいに留められた。

「それって、はたけくん?」

 問われては、答えないわけにはいかないだろう。それにサホの口ぶりは問うてはいたけれど、それなりの確信を得ているように思えたので、変に隠す方が不自然だと思った。

「たまたま見つけたから、捕まえただけ。依頼が来るかもしれないから、だったら先に保護しておけば、無駄に忍を動かさずに済むでしょ」

 息を吐いたあと、できるだけ何でもないことを装うように、隙をなくした答えを返したつもりだったけれど、気が急いたのかなんなのか少し早口になってしまった。これじゃ逆に不自然に見えたかもしれない。

「ありがとう。友達も喜んでた」

 オレの不自然さに気づいたかどうかは分からないけれど、サホは礼を言った。俯いてもいない、驚いてもいない、曖昧な笑顔でもない。ちゃんと、オレの知っているいつものサホの笑みだった。
 その笑みから逃げるように、オレの顔は横を向く。

「別に」

 やはりサホは、オレの不自然さとその理由に気づいているのだろう。オビトがリンを好きだと気づくのに数ヵ月もかかったくせに、こういうことはあっさり気づいてしまう。察しが悪い方と思っていたのに、変なところは鋭い。

「あの」
「……まだあるの?」

 隠したかったのに知られているという気まずさで、オレは顔をサホに向けられない。自他共に認める穏やかではない目元の筋肉を動かし、視線をサホにやると、彼女は躊躇いがちに口を開いた。

「お父さんの、こと」

 瞬間、自分の腹の底から、熱くどろっとしたものが這い上がってくる感覚に襲われる。怒りに近いものが頭を一瞬にして占領して、それ以上喋れないようにと、サホの喉を見えない手で絞めるべく殺気を放ってしまう。
 サホが、父さんの、何を話す気なんだ。
 何も知らないくせに。何も知らないくせに。
 サホは息を呑んで黙った。でも意外にもそのまま喉は潰れることなく、声は多少震えてはいたけれど、

「手を合わせに、お家にって思ったんだけど、はたけくんのお家、知らなかったから……」

と言った。手を合わせに、ね。

「別に、いい。サホ、会ったことないでしょ」

 サホと父を会わせたことはない。オビトやリンは、アカデミーに入る前に遊んでいた頃、迎えに来た姿を見たことくらいはあるだろう。だけど二人だって、父と会話らしい会話なんてしたことがない。
 そんな相手に、どうして『手を合わせよう』なんて発想が出てくるのか、オレにはよく分からない。知り合いと言えるほどでもない、顔も名前も声も知らないのに、どうしてそう思えるのか。

「はたけくんは友達だし、お世話になったから、そのお父さんにもお世話になったのと同じかなと思ったから……だから……その……」

 疑問への答えはたどたどしい言葉で紡がれた。そうか。オレという存在が、サホと父を繋いでいたという見解なのか。そう言われると、サホの考えも間違ってはいないと思えてくるし、無碍に断るのも悪い気がしてきた。

「ごめん。迷惑だったね」

 無言を貫くオレに、サホは謝って身を引くことにしたらしい。

「来れば」

 脊髄反射とでもいうのだろうか。サホがこの場から去るタイミングを窺っていると分かると、オレの口は勝手に動いた。

「えっ?」
「家」

 びっくりした顔のサホに背を向け、オレの足は自宅へと歩き出した。数メートル進んだところで、サホが突っ立ったままなのに気づき、歩を止めて来るのを待つ。サホはやっと頭が働いたのか、オレの傍まで距離を詰めたので、そのまま止まることなく家へと帰った。

 道中は、お互い喋ることはなかった。おかしな緊張感がオレとサホの周りを取り巻いていて、口を開くことが躊躇われた。そのせいか、いつもより少し速く歩いていただろうけれど、サホはやはり何も言うことなくついてきた。
 家は、いわゆる住宅地にはない。畑を両脇に備えた道を歩いた先にある。田畑のほとんどは他所のものだが、父が他界したあともそのまま貸している我が家の畑もあるらしい。管理は全てその家に任せているので、どこからどこまでがうちの名義の土地なのかはまだ把握しきっていない。
 平屋の一軒家は、オレが産まれるより前に建てられているので大分くたびれているけれど、硬い石でできたがっしりとした家より、木を組んだこの家の方が居心地がいい。
 玄関の鍵を開け、引き戸を横に滑らすと、ガラガラと音が鳴る。いつもなら後ろ手で閉める戸も、今日は後ろにサホが居るから、彼女が中に入るまで閉められることはない。
 サホがたたきに踏み入り、引き戸を閉めたあと、オレはさっさとサンダルを脱いで家に上がった。手を合わせに来たと言うなら、用があるのは仏壇だ。そう広くない家だし、左脇の廊下を選べば迷うことはまずない。
 だからサホを置いて先に仏壇の前に立つと、これから顔も知らない奴が、この二人の写真を目にし、何を思うだろうと考えた。
 控えめな足音が近づいて、オレに追いついたサホが、仏間に入ってくる。

「お線香上げても、いい?」

 静かな声に、オレは黙って頷いたあと、備えてあったマッチで蝋燭に火をつけて、席を空ける。入れ違いでサホが仏壇の前に座るのを、部屋の襖に背をつけ、腕を組んで見ていたら、

「あっ、手ぶらで来ちゃった!」

と唐突に大きな声を上げたので、うっかり肩がびくついてしまった。サホからは見えていないので気付かなかったろうけれど、仏壇に立てている両親の写真と目が合い、見られていたようで何だか恥ずかしい気分になる。

「何か……何か……あっ」

 服のポケットを探ったサホは何かを見つけ、カサカサと音を立てるそれを引き出すと、オレに見せてみた。

「いい、かな?」

 不安げに訊ねるサホの手にあるのは飴だった。どこにでもある、透明な包装の中に、白く濁った丸い身が包まれている。

「……いいんじゃない」

 供え物として飴一つは相応しくないかもけれど、ないよりはマシだし、父は飴を好きだったから構わないだろう。それに、そういう細かいところを突くような人じゃなかった。『気持ちが有難いよ』と笑って受け取るだろう。正しいやり方より、思いやる心を重んじる人だった。

 だから父さんは死んだんだ。規律に従わなかったから。掟を、ルールを、破ったから。
 
 煙をたなびかせる線香を香炉に立てたサホは、手を合わせる。無言で仏壇に向かうサホのそれはすぐに解かれたはずなのに、何だか長いこと時間をかけられた気がして、オレはただその小さな背を見続けるしかできなかった。
 点けたばかりの火を消すと、彼女は一度頭を下げてから、腰を上げてこちらを向いた。オレがサホを見続けていたから当たり前だけれど、サホとがちりと目が合う。
 彼女がオレの家に居て、仏間に居るという非日常を今になって知る。

 サホは一体、オレの何なのだろう。

 オレが色々と世話をしたからと、顔を合わせたことのない父に手を合わせに来る彼女は、オレの何なのだろう。

――カァ、カァ――

 近くから烏の鳴く声が聞こえた。応えるように、別の方角からもカァ、カァ、と声がする。電灯も点していない家に広がるのは外からのわずかな光で、それももう闇の方が濃くなってきた。

「帰らなくちゃ」

 帰るとサホは言う。サホはサホの家に帰るのが当然であるので、オレは彼女を見送るべく玄関へと歩いた。サホも続いて、彼女だけがサンダルを履き、玄関の、やけに音が響く引き戸を開けた。
 彼女の小さな体が、ほんのわずかだが震える。陽が沈むと、暖かさというものは引いていく。いつだか知った海の引き潮に似ていると、どうでもいいことを考えた。

「お邪魔しました」

 サホが板張りの上に立つオレに挨拶を送る。

「一人で帰られるの?」
「うん。ちゃんと覚えてるから大丈夫」

 問うと、すぐに問題ないと返ってきた。オレの家とサホの家は、多少距離はあるものの、オビトたちの家に比べたら近い方だ。大して迷うような複雑な道筋でもない。

「そう……」

 大丈夫なら、サホをここで見送って、それで終わりが妥当。彼女を送る手間がいらないなら、オレはすぐに風呂の準備も夕飯の準備もできる。体を休める時間が増える。
 なのにどうしてだろうか、ここで背を向けられることを嫌がる自分を知って、目の辺りに妙に力が入ってしまう。

「でも、ちょっと自信ないかも」

 そっと続いたその言葉に、オレはまるで――というかきっと、縋りついた。

「夕飯買いに行くついでに、送る」

 理由を付けてサンダルを履き、サホより早く家を出る。家に帰る前よりも一段と暗くなっていて、いくらサホが道を分かっていて、普通の子どもよりも多少心得はあるアカデミー生でも、一人で帰らせるのはよくないなと、そういう尤もらしい理由を誰に話すでもなく付け加えて、自分の行動を正当化した。
 風に煽られてざわめく木々の音を耳に入れながら少し歩いた先で、隣のサホが「そういえばね」と話の口火を切った。

「鳥を捜していた日ね、オビトが風邪引いたんだ」

 やっぱりオビト。真っ先に抱いた感想はそれ。サホの口から零れるのは『オビト』ばかりで、自分の名前や「おはよう」なんていう挨拶より、オビトの名前を口にする方が多いんじゃないかと呆れてしまう。

「あいつが? バカなのに?」
「バカは関係ないよ……」

 サホに呆れるのと同時に、あいつが風邪を引いたなんて話にもおかしな違和感を覚える。『バカは風邪を引かない』が正しいとは思っていないが、あいつは丈夫が取り柄のバカだ。オレが知る限り、風邪を引いたところなんて見たことがない。

「はたけくんに追いつくためには、もっともっと修業しなきゃって雨の中でも続けて、それで」
「むしろバカだから風邪を引いたのか……」

 納得した。それは風邪を引いてもおかしくはないし、あいつはやっぱりバカだ。そんなバカを好きなサホでも、さすがに擁護はできないらしく、咎めるようなことは言わなかった。
 サホは今でもオビトが好きだろう。口を開けば『オビト』が出てくるくらいだから、確認など取らずとも分かる。

「サホはどうなの?」
「え? どうって、何が?」
「最近、顔出してなかったから。オビトとリンと三人で居て、つらくないの?」

 オビトの好きな相手がリンと知った日から、サホは一人苦しんでいる。リンが友達でなければもっと楽だったろう。友達だからこそリンを気の向くままに妬むこともできず、共に過ごす時間も多く、ゆえにサホは複雑な気持ちを抱えたまま、三人で居るのがつらいと言った。
 だからオレが一緒に居て四人で居れば――と言ったのに、オレはしばらく三人の下に足を運んでいない。
 任務のような正式な仕事ではないし、時間があればとも言っていた。だけど少しサホに悪いと感じるのは、時間があろうとも自分の意思で三人の下へ行こうとしなかったとはっきり自覚しているからだ。

「もう、そんなにつらくないよ。もちろん苦しいときもあるけどね。わたしがオビトを好きで、二人を見ているとつらいときがあるって、そういうのをはたけくんが知っててくれてるって思うとね、そんなにつらくないんだ」

 オレが知っているという事実が、心強くなるものだろうか。オレにはよく分からない。知っているだけでオレはそこには居なくて、結局サホたちは三人で居て、サホは確かに苦しい思いをするのに。
 しかし、オレが役に立ってサホのつらさが和らぐのなら、それでいいのだろう。

「ふうん」

 オレ自身がそこに居なくてもいいと言うなら、オレはもういつものところへ行く必要はない。オレは下忍で任務があるし、家に帰れば一人分とはいえ家事がある。オレの体には広すぎる家の手入れもある。
 だから、いつものところへまで行ってやることはない。行く理由も、もうない。

「あ、でも、それとは別で、はたけくんが来てくれるのは嬉しいよ」

 一瞬、サホがオレの心を覗いたのかと思った。もちろんそんなことは有り得ないと分かってはいるけれど、サホが大丈夫と言うのならオレはもうあの場に来なくてもよいのだろうと、自分で決めつけて面白くない気分になっていたからだ。

「……どうも」

 オレは必要ないのだと不貞腐れ、拗ねた自分を見つけられた気がして、やっと返したときには少し間が経ってしまったのが癪だけど、こういうときに何と言うのが最適なのか、まだ分からない。
 リンだったら相手が喜ぶ返し方ができるだろう。オビトも、バカ正直に喜んだか、照れを隠せずとも喜ぶ気持ちは表せただろう。上手いやり方を知らないオレの素っ気ない返事を、サホがあまり気に留めなくてよかった、と思うしかない。

「いつも待ってるからね」

 隣を歩くサホの言葉に惹かれるように目をずらして見やると、彼女の横顔は星が光り出した空を見上げていた。
 父が死に、他に身寄りのないオレを待つ人は、もう居ないと思っていた。
 でもまだ居た。居てくれた。サホが居た。
 サホだけじゃない。リンも居てくれるだろう。オレを気にかけてくれたのに、随分とひどいあしらい方をしてしまった。オビトも、あいつなりに声をかけてくれたんだろう。鬱陶しかったけど。

 それから、取りとめもない、当たり障りない、特に盛り上がることもない話を緩慢に続けながら、オレはサホを家まで送ってやった。サホは手を振って、明かりの灯った、味噌汁の匂いがする家の中へと帰って行った。
 踵を返したオレが向かうのは、誰も待っていない家だ。明かりの灯っていない、味噌汁の匂いなんてしない家。
 でもオレの家はそこだから。オレはそこへ帰るしかない。



 体力の消費が激しい任務が続いて、真っ暗な家に帰ったのは朝の五時頃。三日ぶりの我が家だ。
 玄関の引き戸を開けて、これから飯の支度をして腹を満たして、ひと眠りする前に洗濯をして、起きたら掃除をして、と考えると、今すぐここで寝てしまいたかった。
 いやしかし、これではいけない。自分一人でもまともに暮らせるという現状を途切れさせたら、三代目が宿舎にオレを押し込む。やはり子どもに一人暮らしは、などと言われるのは御免だ。
 オビトだって、周囲の一族の助けがあるとはいえ一人で暮らしている。下忍のオレが一人で暮らせないなんてみっともない。
 重い体を引きずりながら、食材がほとんど尽きていることを今更になって思い出した。どうしてオレはあの日に、任務前に食材を調達しなかったのだと悔いた。
 台所の小窓から、明け方の薄明かりがわずかばかり差す家の中は、間取りと闇とに目が慣れているオレにとっては昼間と何ら変わりない。家具の輪郭が浮かぶ居間に入り、何をやるか考えなければいけないのに頭は全く動かず、その場に腰を下ろした。家に帰ったことで、張りつめていたものがぷつりと切れてしまったようだ。

 腹減った。洗濯。掃除。忍具の手入れ。準備。

 やることが多い。うんざりだ。
 せめて、仏壇に線香を上げよう。三日留守にしていたのだから、その間の分も含めて。
 ゆっくり立ち上がり仏間に入る。目は闇に慣れているし、閉じていた雨戸を引けば、昇りはじめた太陽のかすかな光で十分に見える。
 蝋燭に火を点して、線香の先を揺れるそれに差し込む。赤く色づき細い煙がたなびいたところで香炉に立て、手を合わせて帰ってきたことを無言で告げる。
 ふと目に入ったのは、白い飴だった。セロハンに包まれたそれは何だったか、そうだサホが置いたものだと自問自答し、手を伸ばした。供え物は日が経ったら下げて、家人が頂くのが常だ。

 疲れたときは甘いものがいいって言うし。

 甘いものは嫌いだけど、ろくに頭が回らないのは、恐らく糖分が足りていないからだ。これを舐めれば少しは頭が働くかもしれない。
 袋を開いて、白くつるりとした飴を口に放り込む。

――甘くない。

 くるであろう、あの何ともいえない甘ったるい感覚に備えて構えていたのに、拍子抜けした。決して甘くないわけではなく、多少の甘さはあるものの、それよりもツンとした涼やかさが口の中に広がる。

 甘くない飴なんてあるんだ。

 飴は全部甘い物だと思っていた。色や香り、味などは違えど、どれも舌が痺れるくらいに甘く、口の中にはいつまでも重たい味が残り、飴を始めとした甘いものはどれも好きではない。
 けれど、そうでもなかったらしい。オレの中の飴の概念が裏切られた気分だ。
 目を閉じ、壁に体を預ける。そのままずるずるとだらしなく体を下げ、座っているとも寝ているとも言えない中途半端な姿勢のまま、口の中の飴を転がした。

 サホみたいだ。

 甘ったるいと思っていたら、ツンと柔らかく尖っている。
 弱くて泣いてばかりだと思っていたら、泣くのを止め顔を上げて歩いている。


「いつも待ってるからね」


 待っていてくれる。少なくともサホが。


「わたしがオビトを好きで、二人を見ているとつらいときがあるって、そういうのをはたけくんが知っててくれてるって思うとね、そんなにつらくないんだ」


 サホが言いたかったこと、今なら分かる。
 知っているなら、平気だ。サホが、自分がつらいことをオレが知っているからあまりつらくならないと言ったように、誰も居なくなってしまった家以外に、どこかで誰かが待っていてくれるのだと分かっていれば、明かりの灯らない、味噌汁の匂いがしない家に帰ることは、そんなに怖くない。

 だからオレは、あそこへは行かない。サホが、三人が待っている、いつものところへは。

 まだ大丈夫だから、行かない。行ってしまったら、あの場所の居心地の良さに浸かってしまったら、この家に帰るのがつらくなる。
 味わったらだめなんだ。覚えたらだめなんだ。忘れられなくなる。欲しがってしまう。
 白い飴の心地よい裏切りを知ってしまったオレが、他の甘ったるい飴では満足できなくなるように、夜明けがすぐ傍にあるというのに、いまだ尚暗いこの家以外に居場所を求めてしまうから。

 サホはオレにとって、何なのだろう。

 アカデミーの同期。オビトを好きな物好き。リンの親友。父に会ったこともないのに、仏前に手を合わせた。
 弱くて、落ち込んで、拗ねて、泣いて、笑って、強くて、諦めなくて、待っていてくれる。彼女は、オレの何なのだろう。



04 帰れない場所

20190512


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