無題



 腕の痛みで目を覚ます。オレは膝立ちの状態で、両腕を上げさせられているようだった。上を向けば、バンザイの格好をさせられて手首には手枷がついており、そこから伸びる鎖は天井に固定されている。さっきまで意識がなかったせいで手首に体重がかかっていたのだろう、うっすらと見えるそこは赤くなっていて、擦れたのであろうヒリヒリとした痛みを訴えてきた。服を脱がされた様子はなく、上も下も最後に着たと記憶しているものを身につけていた。
 自分の状態を確認した後部屋を見回してみれば、ここは狭い部屋のようだ。床はタイル張りで、奥に排水溝が見える。そこに向かって少し傾斜になっており、水などが溜まらない構造になっているらしい。
 オレはなぜこんなところで、こんな状態になっているのか。顔のせいで目立つことは分かっているが、波風立たない生活をしているはずだ。誰かに深く関わることもない。学生時代荒れていたこともあるにはあったが、後腐れない終わり方をしたはず。それに、地元はすでに離れている。人口日本一の都市で、学生時代喧嘩していたやつ−−加えて俺にこんなことをする理由があるやつ−−に会う確率なんて低いだろう。
 また変なことに巻き込まれたのかとげんなりしていると、背後で扉の開く音がした。右から後ろを振り向けば、そこには若い男が立っている。年下であろう彼は、オレと目が合うとにっこりと微笑んだ。
「あ、お兄さん目が覚めたんですね」
 男はオレの正面に回り込み、顔を見てうっとりとした表情をした。顔の左半分、火傷痕に触れられて思わず肩が跳ねる。左側に手を持ってこられるのは、見えないのもあっていつまで経っても慣れることができない。
「やっぱりこの痕、素敵だ……左目は見えてないのかな」
 嬉々としてオレの引き攣った汚い肌に触れる目の前の男は、どう捉えても変人としか言いようがない。右目で睨みつけても意に介していないようで、彼は笑みを浮かべたままだ。そういった嗜好を持つ人がこの世にいることは知っている。しかし目の前のこいつは、一体どういう目的でオレを拘束などしているのか。どうして気絶したのか、どうやってここまで運ばれたのかすらわからない。−−目の前のこいつが人間である保障などどこにもないが。
「さてと、お兄さん、どこまで耐えられるかな」
 そう呟きが聞こえた瞬間、腹に衝撃が走る。内臓が圧迫されて息が詰まった。胃が潰され、胃液が逆流して喉奥まで迫り上がる。
「ぐっ」
 不意打ちのそれに声が漏れ、体が後ろに押される。上体が動いたことで手首が手枷に当たり鎖が音を立てる。肺が押されたことで咳が出て、突然腹を殴ってきた目の前の男を見れば依然ニコニコと笑っていた。
 なんだってこいつはこんなことを−−そう思っていると、また男の拳が近づいてくる。動きが見えていても、体を動かせなくては意味がない。避けることもできずまたそれを腹に受ける。
「がは、ぅ、ぐ……」
 腹を押さえようにもできやしない。体を折ることもできず、立て続けに拳を入れられて口の端から唾液が垂れる。決して力は強くないし、殴ることもなれていないようなパンチではあったが、衝撃を逃すことができない今の状態には一撃が重い。
 男は何も言わずただただオレを殴る。何度も腹に拳を入れられて、生理的な涙が溢れた。
 目の前の男は笑顔を崩さない。それはただの狂気でしかない。
 どす、と突き入れられた拳が胃を押す。胃液が逆流してきて、それを飲み込もうとしても上手くいかない。男はオレの様子に気づいているのだろう、ぐりぐりと押し込まれてしまえば飲み込むことなどできやしない。
「う、ぐっ……おぇ゛ぇ」
 せり上がった胃酸が喉を通り抜けて嘔吐する。何も口にしていないからか胃液しか出ず、ツンと鼻をつく匂いに吐き気が増幅されるようだ。酸が通り抜けた喉は痛み、吹き出した冷や汗が額と背中を伝っていく。
 肩で息をしている間も依然として腹を押されて続けて胃液を吐き出してしまう。
 顎を伝った嘔吐物が床に落ち、ぼたぼたと溜まっていく。
「は、はぁ……ぐぅ、ぇ゛、ぉえ、かはっ」
 男がオレから離れると、力の抜けた体がぐらりと垂れて鎖が音を立てた。
 強制的に嘔吐させられ体力が限界だったのか、瞼が落ちてくる。重い瞼に抗えず、気絶するように意識を落とした。


prev -
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -