08

 よ、と軽い言葉を発すると同時に、イシュバインは走り出した。
 標準的な体型だと自分では思いたいが、それでも夏希は年頃の少女で子供ではない。それなのに彼女を抱えてよくもまあ、こんなに速く走れるものだ。
 夏希自身、あまり運動は得意ではないので、速く走れるのは羨ましい。とはいえどんなに運動が得意な人でも、ここまでのスピードは出ないだろうが。
 さて、適当に走り出したイシュバインだったが、結論から言えば町はあった。
 適当に走っていたかと思えば、急に何かに気付いたかのように方向転換した。気になってその理由を問いかけてみると、彼曰くこの世界の住人は多かれ少なかれ魔力を持っており、何かをする際――例えば普通に生活するだけでも、魔力を放っている。悪魔はみんな程度の差こそあれど、魔力の波動とやらを感知できるらしいのだ。
 イシュバインはそれがあまり得意ではなく、範囲はそう広くないのだとか。それで、その範囲内に魔力を多く感じる場所があり、数的に町ではないかと、そういうことらしい。
 ただ本当に苦手なようで範囲だけではなく精密さも欠けており、近くに寄らないとそれが魔物か悪魔かも判別出来ないと言っていた。悪魔と魔物の波動は少し違うようで、近くに居るならば間違えることはそう無い。だけれど距離があると分からなくなってしまうのだと。
 得意な人は広範囲且つ魔物か悪魔かはっきり分かるんだとか。それを聞いて夏希は心配になった。これから向かう先は大丈夫なのか。

「んな心配しなくても大丈夫だっての。かなり近いし」
「いや、だってそんなこと言うから……まあ、大丈夫だって言うなら信じるけど」
「そうかよ。んじゃ、スピード上げるぜ。掴まっとけ」

 頷くかわりに彼に掴まる手に力を込めると、イシュバインは宣言どおりスピードを上げ、町らしき場所に向かって一直線に走っていった。
 それから割とすぐに、町へと辿り着いた。
 町、そう町だ。家屋が建ち並んでいる。形は夏希の世界のものとは違ったけれど、人々が往来しているのが見える。いや、人ではなく悪魔か。
 イシュバインは夏希を町に入る前に下ろして、少し待ってろと言い、町の中へと入っていく。少しして戻ってきた時には、手には何か、布のようなものを持っていた。

「被ってろ」

 そう言って渡されたのはフードつきの外套だった。次いで、お前の髪と目の色は目立つからな、と。

「あ、やっぱり目立つの?」
「前にも言ったが、滅多にない色だからな。『黒』ってのは」
「ふうん……」

 確かに言われてみればイシュバインも、そして町の中で行き来している悪魔達も、黒い髪の人は居ない。ファンタジーの世界の中のように、夏希からしたらそうない色が行き交っている。あ、ファンタジーか、ここは。
 目立つのは嫌だな、とフードを被った。これでも目立つ気がしたが、イシュバインが町の中を指差すので、その方向に視線をやれば、同じような格好の者が何人か居る。心配するな、ということだろうか。

「それとこれ」
「何……実?」

 手渡されたのはそう大きくはない赤い実だった。五、六個渡されたソレを、落とさないように持つ。

「リコの実だ。砕いて持ってろよ。この実をなす植物は小さな魔物を養分に咲くんだが、その魔物の魔力が実に沢山詰まっててな。砕くとその魔力が溢れだすんだ。波動は変質して悪魔の魔力とそう変わらないように感じるし、多分余程感知能力が高くないとバレないと思う。お前から魔力は感じない所為で、変に目立ちたくはないしな」

 言いつつ一つ実を取って、リコの実を砕いた。朝食べた果実とは違って硬いようで、中には果肉はなく、種が詰まっていた。ふわりと香りが漂うが、特に嫌な匂いでもない。
 ん、とそのまま差し出されて、夏希はどうするか考えた末、ハンカチに包んで持っておくことにした。何か小さい袋みたいなものがあれば良かったのだが、仕方ない。少なくともこのままポケットに入れておくよりはマシだろう。

「あとは、とりあえず宿だな」
「でもお金がないでしょ? 売れるものも……私は何も持っていないし」

 鈴は持っているが、これは売ってはいけないものだと思うし、売るつもりもない。何か持っていれば珍しさから売れたかもしれないが、手ぶらだったのが悔やまれる。

「金ならある」
「え? でも、イシュバインも何も持ってない……」
「さっき換金してきた。行くぞ」
「え、あ……」
「あと俺の名前は呼ぶな」
「何で?」
「何でも。理由は後で話す」

 それだけを言ってさっさと歩き出してしまったイシュバインの後を、夏希は戸惑いながらもついていく。
 そうして辿り着いたのは彼曰く『宿』。何だか珍しい。夏希の世界では宿などとは言わずに、ホテルや旅館と言っていたから。それか民宿。
 三十、四十代位の女性に案内されたのは、簡易なベッドが二つ置いてある質素な部屋だ。テレビなどは勿論なく、窓から見える景色も特に良いわけでもない。どうやら此処が今日の寝床らしい。
 ベッドに腰を下ろす。柔らかくはなく、寝心地もそう良くはなさそうだが、外で岩に凭れかかって寝るよりはずっとマシだ。

「俺はちょっと出てくる」
「え、私も……」
「お前はいい。人間ってのは貧弱らしいからな。休んで体力を温存しておけ。倒れられると面倒だし」
「いや、そこまでは……殆ど運んでもらっちゃったし」

 昨日から本当に世話になりっぱなしで申し訳ないと思う。もう少し自分で何か出来たら良いのだが、と溜息を零したくなるほどには。

「やることもないし、この世界のことも知りたいから……そうだ。本屋さんとかないのかな? 歴史書みたいなものがあれば、ってそうだ。お金がないんだった」
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