逃げ出したい夜の内側(マサレン)




夜というのはどうしても無意味なことばかり考えてしまう。
例えば自分がごく一般的な家庭の生まれで、ごく一般的な学生として人生を送っていたならば、とか。
例えば自分が女として生まれ育っていたならば、あるいは今目の前に横たわる存在が女であったならば、とか。
例えば男である自分が同じ男であるルームメイトを押し倒そうなどという気に、はなからなりもしなかったならば、とか。
全て無意味なことなのだ。
どんなに考えたところで自分の境遇が変わるなどありえないし、現状をなかった事になど出来る筈がないのだ。

「……やめるかい?」

見上げてくる二つの青は、自分のそれとよく似ていた。
けれどもそれの納まるところは自分とちっとも似てなどいない、きつく釣り上がった眉に反して垂れ下がる目尻は僅かな赤に染まって、そのくせ眼光だけは鋭かった。
いつもこうなのだ、いつも。
どちらが初めに望んだかなど知れない、気付けばこんな関係となって、そのくせ目の前に横たわる男はいつだって試すような視線を寄越す。
今更止められる衝動なら初めから止めていたさ、そんなこと互いに痛いほど分かっている。
だというのにこんな視線を向けてくるのは、それこそ無意味な抗いでしかなかった。

「……目を、瞑ってくれないか」
「それでどうするんだい」
「お前はただ、瞑り続けていてくれればいい」
「……そう」

目の前の男は薄く笑って、目蓋を閉じる。
一呼吸置いて、目蓋よりもきつく閉じられた唇に指を這わせれば僅か動いた上唇に指先を食べられてしまう。柔らかいな、呟けば指は更に飲み込まれていった。
ぴちゃり、と耳にこびりつく音。
指先を嬲る赤い舌が覗いて、それが合図だった。



神宮寺レンの事をどこか疎ましく思っていた。
幼い頃は抱いていた好意も、互いの立場と離れていた時間がどこかへ消し去ってしまった。
再会した時こそ昔を懐かしむ気持ちもあったが、それはほんの一瞬ですぐに無かった事にした。目の前に立つ神宮寺レンはそれほどまでに昔の、好いていた頃の人間と変わってしまったから。
素直さも優しさもなく、いつだって作った笑顔を安売りする神宮寺。
見ているだけで腹が立つ。
それがお前の何になるというんだ、少しも自分の為にならないことを続けて何の意味がある。
苛つきからの説教がある時彼の心を強く傷つけた。
後悔したし、差し出がましい真似だと反省もした。それでも神宮寺の態度は変わらずで、それが余計に腹立たしかった。どんな時だって弱い心を隠そうとするのが気に食わなかった。
弱さを見せて欲しかった訳ではないし、頼られたい訳でもない。ただ神宮寺の本当の部分に触れたかった。
そうして伸ばした指先が掴んだ手首はあまりに頼りなく震えていた。
思い出せるのはそれだけだった。



「……っ、あ、ひじりかわ……」

ひくついた喉の奥から搾り出すような神宮寺の声。
その声を掻き消すよう耳にこびりつくのはぐちゃぐちゃとした、あまりにも淫猥な音ばかり。
蓋を開けたまま置いたボトルは不安定なシーツの上でいつの間にか転がって、流れ出る液体がどろりとシミを広げた。
それを指先に塗りつければ音は更に大きくなる。まるで救いを求めるようにシーツを掴む神宮寺は腰をくねらせ、塞ぐようにもう片方の手で耳を覆った。
静かな夜の空気、ここだけまるで別世界のように異質で、くらくらとする。
頭はぼうっとするし、触れる肌は火傷しそうなほどひりひりと熱い。いや正確には肌ではなく、生々しいまでの粘膜が指先を食らっているのだ。
掻き回すように動かす指は三本、それが薄い膜に覆われた肉を擦るたび神宮寺からひきつる声が漏れる。眠気も覚めるような、恥じらいと抵抗の含まれた声音を聞くたびに、生唾を飲み込む回数も増えてゆく。
下半身で疼く剥き出しの性はとっくに限界だった。
神宮寺の痴態に中てられたのか場の空気に中てられたのか、情欲の対象は定かでない。それでもはち切れんばかりに熱を帯びた欲望の生々しさは嘘偽り無く目の前の男へと向いている。

「……そろそろ、いいだろうか」

自分でも笑えるくらいに恐る恐る尋ねたことが、どうやら神宮寺の気も僅かに緩めたらしい。
ああ、と小さく答えて、神宮寺は瞑った目蓋に更なる力を込める。
それは決して受け入れる準備などではない。その証拠に持ち上げた両脚は戦慄いて、指を飲み込んだままの粘膜はきつく収縮を繰り返す。
いつもこうなのだ、いつも。
弾みで始まったような、誰にも理解されない関係だ。当事者すら認めたくないこの行いをそれでも幾度と繰り返して、その度何も得られぬまま終わる。
無意味だと知っているのにやめる気はないし、神宮寺もはっきりと止めはしない。それを言い訳にして熱く溶けた入り口にひたりと情欲を宛がえば、ようやっと観念したように奴の口から息が漏れる。
ぐ、と腰を進めた。途端にしなる身体を抱き寄せれば汗の匂いがした。己の額を伝う雫と混ざって、どこまでも雄臭い。
俺も神宮寺も男なのだという事実を、改めて突きつけられる。
だからこそ余計にこの無意味な行為の果てにあるものが何なのか、答えを欲していた。正当性など無くてもいいから、少しでもこの行為に必要性を見出したい。でなければ報われない時間を俺達は貪るだけの存在になってしまう。

「ひっ……かわ、痛い」
「すぐに好くなる」
「……横暴だね、お前」

困ったように笑って、神宮寺のそこはいっそうきつく締まる。
衝動任せに何度か腰を動かせば、思ったとおり締め付けは徐々に弱くなって心なし声音にも柔らかさが混じった。
ひじりかわ、と縋るように神宮寺の両腕が背に回される。
密着する肌はどこまでも熱い、それでも互いを隔てる皮膚が二つの固体を分けるものだから、どうしたって近づいた気にはなれなかった。
肌を伝う雫がぱたぱたとシーツに染み込んでゆく。ぎしぎしと軋むのはベッドか、互いの骨か。肉がぶつかるたびああこれは決して柔らかくなどない男の身体なんだと実感する、それでも萎えることなく熱さばかりが増していった。
そのうち耐え切れずほぼ同時に達した。寸前で抜き出したそれから迸る飛沫は神宮寺の腹部を汚して、どろりとした液体はどちらのものか分からないほど混ざり合う。
むせ返る雄の匂い、荒々しく繰り返す呼吸はちっとも楽になどならない。
ひじりかわ、と今一度声がかかる。
背に回されていたはずの両腕は解かれ、神宮寺の指先が、つう、と俺の頬をなぞる。

「泣きたい時くらい、素直に泣けばいいのに」

神宮寺の目蓋は閉じられたままだ。
額から流れる汗がぱたぱたと神宮寺の頬を濡らす、やがてそこに涙が混じる頃、奴の両腕は嗚咽ごと飲み込むように俺を抱きしめた。
全て無意味なことなのだ。
今更泣いたって自分の境遇が変わるなどありえないし、現状をなかった事になど出来る筈がないのだ。
分かっているのに止め処なく溢れる涙を、神宮寺はただただ静かに拭い続ける。

「聖川、お前を見ているといらつくよ」

本当はとうに諦めていた。抗ったって変わりっこない運命を、大人しく享受するしか術はないと知っていた。
それでも救いを求めたかった。

「俺以上にお前は、嘘ばっかつくからね」

長い指が俺の髪を撫でる。
気持ちがよくて、たまらなくて、けれどこの指を求めるなど許されることではないのだ。
決められた境遇、決められた未来。
そのことに不満を抱くなんて今までありえはしなかったのに。
たった一度知ってしまった熱を、初めから無かったことに出来たならどんなに楽だろう。
いつかは手放さなければいけないと、分かっているのに繰り返す。神宮寺を言い訳にして、騙してきた己の内側。
ついてきた嘘は無意味だったのだろうか。

「……まぁ、そもそも俺は何も見ていないからね。夜が明けて目蓋を開いて、その時にはいつもの聖川が居れば、それでいい」
「……そうか」

じゃあもう少しだけ、閉じたままでいてくれないか。
呟きに対する答えはなく、代わりに抱きしめる腕の力が少しだけ強くなる。
いっそこのまま時が止まってしまえばいい、そんな事をぼんやりと考えて、けれどすぐに無意味だと理解してしまう。
それでも幾度と繰り返す時間をあと何度許されるだろうか、なんてことをただひたすらに思い続けた。



END.









「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -