何気ないボタンの話(マサレン)




「あれ、レンほつれてんぞ」
「え?」

唐突におチビちゃんが指したのは胸元、開けたシャツのボタンだった。
袖を通したときに自分でも少し気になってはいたが、どうせ留めないのだからと放ったまま登校した。
だが他人から見ても気にかかってしまう程度にはほつれているらしく、さてどうしたものかと無意識にボタンを弄れば、余計ひどくなりますよ、とトキヤに注意を促される。

「誰か女子に直してもらえよ」
「んー、レディの手を煩わせるのはちょっとね」
「なんだそりゃ」

次の授業が終われば放課後だが、生憎今日は誰とも約束を取り付けていない。
自分から、いわゆる"誰か一人を選ぶ"というのはなんとなく気が引けて、こういった事があってもクラスの女子ですらあまり声を掛けようとはならない。
ふとおチビちゃんが、じゃあ真斗にやってもらえばいいじゃん、なんて口にする。
確かにあいつの裁縫の腕は良い筈だが、頼み事をするというのはどこか癪だった。
それくらい自分で出来ないのかなんて言われるのがオチだ、けれども他に選択肢はなく取れかけのボタンを気にしながら時間を過ごす。
そうして適当に寄り道しながら寮の部屋へ戻れば勤勉なルームメイトは楽譜を眺めながら、こんな時間に帰ってくるなど珍しい、と目を丸くした。

「ああ、お前にちょっと頼み事があって」
「……いよいよもって不気味だな、悪いものでも口にしたか」
「失礼すぎやしないか、聖川」


むっと眉根を寄せて見やれば聖川は、およそ彼らしくないおどけた表情ですまないと形ばかりの謝罪をした。

「で、頼みとは何だ」
「……ボタン、なんだけれど」
「ボタン?」

ぱたりと楽譜を閉じてこちらを見やる聖川へ、少しだけ気恥ずかしさを隠しながらシャツを引っ張って見せる。
それだけで彼は理解したのか、沢山居るのだから女の子たちに頼めば良かったんじゃないのか、と昼間のおチビちゃんと同じ事をつぶやいた。
それでも引き出しから裁縫道具を取り出すくらいには面倒見が良いらしく、貸せと言わんばかりに差し出された手へ脱ぎかけのシャツを渡した。
ほつれた糸を切って、新しい糸で丁寧に縫いつける指先にふとジョージの姿を思い出す。
今よりやんちゃをしていた頃、服のほつれを直してくれていたのはいつだってジョージだった。
本当なら母親にやってもらうのが一般的だが生憎自分の母親は早くに他界していたし、メイド達は作業的なやり取りだけでどうも話しかけづらかった。
だから俺にとってジョージがある意味母のようで、今思うと少しおかしい。
手馴れた様子で糸を縫い付けてゆく聖川は、一体誰に服を直してもらっていたのだろうか。
きっと、今は体を壊してしまっているらしい母親が、幼い彼へ裁縫の手順を丁寧に教えてくれたのだろう。
いつだって自分に無いものを持っている聖川。裁縫の腕すらどこか憎らしくて、そんな思いを抱くだなんてあまりにも寂しすぎる、と独りでに後悔した。

「ほら、終わったぞ」

いつの間にか綺麗にボタンを縫い付けられたシャツを、ずいと目の前に差し出される。
ありがとう、と返せば聖川は、これくらい自分で出来るようにしておけ、と不満そうな声で笑った。

「なんなら教えてやるが」
「……お前みたいな母親はちょっと、遠慮しておくよ」
「何の話だ」

シャツに袖を通せば、頼んでも居ないのに他のボタンまできちんと直されていることに気づく。
お節介な奴だとは知っていたが、こうも親切にされては気軽に口喧嘩も吹っかけられやしない。
もう一度ありがとうとつぶやけば彼は再び楽譜に視線を落としながら、ああ、と短く返事する。
折角早い時間に帰宅したのに、用が終わればもう自分の世界だなんてつまらない男だ。
いつもは半分ほど留めないままのボタンをなんとなく襟まできちんと留めて、さて聖川は見慣れない俺の姿に一体いつ気づくだろうか、と少しだけわくわくしながらベッドに腰掛け彼の姿を眺めるのだった。



END.









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