そして鈍色の後悔を続ける(マサレン)


※数年後パラレル・真春前提のマサレンです
※女々しい上に二人とも酷い男です






それは簡素な封書だった。
上質のろうで留められた封を開けると中からは一枚の葉書が現れる。
懐かしい男の名と、昔とは少し違ってしまった女の名が連なって書かれたそれを見て神宮寺レンは、もうそんなに月日が経ったものかと一人感慨に耽る。
そうして数日前、封書の差出人である男から送られたメールの意味をようやっと理解し、放置したままだった返事を苦々しい思いで打ち込み始めた。
挨拶の言葉もそこそこ、最低限の用件だけを綴ったメール。ろくに読み直しもせず送信ボタンを押すと同時に廊下から騒がしい声が聞こえ、ドアのノック音が数回響いた。

「神宮寺さん、そろそろお願いします」
「すぐ行くよ」

送信完了のメッセージが表示された携帯と封書を一まとめに鞄へ詰める。
つられそうな気持ちを振り切るように軽く両頬を叩いて、レンは開けたドアの向こうへと駆けていった。



早乙女学園を卒業しアイドルとして芸能界へ飛び込んでからもう十数年が経つ。
最初の頃はアイドルらしく歌に踊りにトークにと若さを売りにした仕事が多かったが、実績が増えるにつれ本来レンが持つ素質に合った仕事が多くなっていった。
そうして数年、今では大手海外ブランドの専属モデルとしてそれなりに華々しい日々を送っている。

「……広告で見たそのままだな」

レンの目の前に立つ男はレンの姿を頭からつま先まで眺めた後、さして面白くもなさそうに呟く。
対するレンも同じように目の前の男をじっくり眺めて、わざとらしく肩を竦めながら言葉を返した。

「お前はこの間スクリーンで見た姿とまるで違うよ、聖川」

清潔そうな藍のコートに身を包んだ聖川真斗はレンの返しに苦笑を零して、ついてこい、と先導するように歩き始める。
人気のない並木道、コンクリートの上には僅かに枯葉が散っている。足音をこつこつと鳴らしながら歩く二人の距離は少しだけ離れていて、けれどレンは微塵も足を速める気はなかった。
前を行く真斗はレンを少しだけ振り返って、コートのポケットに手を入れながら話しかける。

「お前から返事が来るとは思わなかった」
「……仕事の合間に、暇だったからね。気紛れだよ」
「……そうか」

それならそれでいいんだ、と真斗は含みを持たせて呟く。
どこか優しい響きはレンの心にほんの少し居心地の悪さを植えつけたが、それきりお互い何も言わないままだった。
繁華街から離れた遊歩道、冷たい風がぴゅうと吹き抜けてゆくだけでとても静かなその道は遥か昔、レンと真斗がまだ幼い頃に二人手を繋ぎ歩いた道だった。
小さな体、短い両足で精一杯に駆け抜けた道もあれから随分と大きくなってしまった今ではあっという間に過ぎ去ってゆく風景。
少し開けた場所に佇む小さな噴水も陽に焼けて色あせたベンチも、懐かしい昔の思い出そのままの筈なのに二人の瞳にはどこか寂しく映るばかりだった。
幼い頃以来訪れることのなかったこの小さな公園を真斗が指定したのには一体どんな理由が隠されているのだろうか、今更思い出話に花を咲かせたい訳でもなかろうに。
不思議そうに前を行く男の背を見つめながらもレンにそれらを訊ねるつもりは毛頭なく、時折足元の草花に目をやっては寒さに縮こまる小さな息吹へ温かい視線を向けるだけだった。
やがて一際木々の生い茂る場所に出る、なだらかな坂の上にはかつて秘密を閉じ込めた小さな小屋が見えた。

「……少し、話をしないか」

そっと小屋を見上げながら尋ねる真斗にレンは言葉を返すこともなく、今度は自らが先だってなだらかな坂を上ってゆく。
木造の質素な小屋、大の男二人が掛けるには少し狭いベンチに並んで腰掛ける。
周りを木々で覆われたこの場所を幼い頃の二人はまるで秘密基地のようだと気に入っていたが、大人の目線で見てしまうとあの頃抱いていた外界と一線を画す印象は皆無に等しい。
それほどに今の自分たちは変わってしまったのだなとレンはぼんやり思う。

「日本にはいつ戻ってきたんだ」

唐突に真斗は問いかける。
昔を引きずるレンは急に現実へと引き戻されてしまったような気がして、少しだけ不貞腐れたように、昨日、とだけ答えた。

「すぐに向こうへ行くのか」
「……まあね、明日の昼にはもう空の上さ」
「忙しいな」
「おかげさまで」

ブランドもののコートに身を包んだレンは襟元のファーにそっと顔をうずめる。
ほう、と息を吐けばわずかな白がぼんやりと視界いっぱいに広がった。

「そのまま年始まではずっと向こうさ、だから」

レンは視線だけをちらと真斗に向け、しかしすぐ伏せて逸らす。

「……お前の挙式には、出席してやれない」



色恋沙汰に誰よりも疎いと思っていた真斗が大恋愛をするだなんて当時は誰も予想だにしなかった。
学園時代はもちろんアイドルという職業柄恋愛は絶対禁止であるにも関わらず、真斗は彼女のことを一切諦めなかった。
いつだって真面目で誠実な真斗が初めて世間に逆らってまで抱いた恋心、これから真斗をアイドルとして羽ばたかせようとしていたシャイニング早乙女は彼にあるひとつの条件を言い渡した。
『アイドルではなく一人の聖川真斗として世間に認められる日が来るまでは二人の交際を許可しない、だがその時が来たらば結婚も認めよう』
その条件に真斗は、自分が三十歳になった暁には彼女と夫婦になる、と高らかに宣言した。
それから十年以上、最初はそこらのアイドルとしか見られなかったが必死の努力の甲斐あって今では映画やドラマの主演ばかりを務める人気俳優の地位を獲得した。
内外問わず評価の高い真斗はこの度の誕生日を迎え晴れて十数年来の恋人と結ばれる。
真斗の直向で誠実な想いを時にはルームメイト、時には仕事の仲間として見てきたレンにとってもそれは喜ばしいことだった。
決して仲が良い訳ではなかったがそれでも素直に祝ってやりたかった。
そのつもりだったのに。
いずれは来ると分かっていた、真斗の結婚。それは言葉にした途端恐ろしいほどの重みを伴ってレンの心を締め付けた。
簡素な封書を開けたとき、レンがどんな気持ちだったか。
スケジュールなんて単なる言い訳に過ぎない、真斗が彼女を想う年月よりも遥か昔から、レンが真斗へと抱くたった一つの秘密。

「……そういえばお前とはもうずっと前に、結婚だなんて話をしていたな」

レンと同じように目を伏せて、真斗は紳士靴のつま先を見つめながら懐かしむように呟く。

「いつだったか丁度この場所で、覚えているか?」

それはまだ二人が純真無垢だった頃、この小屋でひっそりと交し合った想い。
”好き”に種類があるなんてまだ知らなかった二人は、好き合っている者同士は皆結婚するのだと思っていた。

『おれとマサトは大きくなったらケッコンするのかな』
『するよ、だって好きだもん』
『そっか』

小さく身を寄せ合って秘密の会話。
微笑ましさと、ほんの少しの甘酸っぱさ。

『でも大きくなったらもっとたくさん好きな人ができるんだよ?忙しくておれたちいつケッコンすればいいんだろうね』
『じゃあ今すればいいよ』
『二人だけで?』
『うん』

花嫁の居ない、花婿二人だけの結婚式。
今と違い暖かな季節、舞い散る桜の花びらはまるで祝福するように二人の上へと降り注いでいた。
勝手も何も分からず、手を繋いで見つめ合う二人はそれからどうしたか。

「……覚えて、ないよ」
「そうか……そうだな、もう随分昔のことだな」

あの日誓った想いをレンは、この場所に閉じ込めた。
決して思い出してはいけない、幼いながらも抱いたひとつの念。
その秘密を再び掘り返してしまえばレンはきっと真斗の前で、もう笑えなくなってしまう気がした。
真斗はわずかに眉尻を下げて、レンの鮮やかな長い髪が風に揺らめくのをじっと見つめながら呟く。

「こうして会いに来てくれただけで、俺は十分だ」

幼いあの頃からずっとレンがひたむきに隠してきた想い、傍で見ていた真斗はそれを気付かぬ振りしていた。
式に手紙を出すことだって本当は少し怖くて、けれど乗り越えなければ大切な彼女を裏切ることになってしまう。
最後の悪足掻きにとレンに宛てたメールは、真斗にとっても閉じ込めた秘密の箱を開けることになると分かっていた。
それでも捨て切れなかった想い、気付くならば今だった。

「……神宮寺、今夜はどうするんだ」

真斗はごくりと生唾を飲み込む。
頭の中には愛する彼女の姿と、重なるように隣へ座る男の姿が浮かんでいた。

「今まで散々待たせたっていうのに、お前は早く帰らないとレディが寂しがるだろう」

レンの返答はまるで全てを真斗に委ねているようだった。
淡い想いを誓い合ったあの日のように、レンの手にそっと自らの手を重ねて。
閉じ込めた秘密の鍵を無理やりこじ開けるように、真斗の頭の中からは彼女の姿が掻き消されてゆく。

「……明日の誕生日を迎えるまではまだ、籍は入れてないんだ」

瞬間レンは、ああもう笑顔を浮かべることなどできない、そう思った。



まどろみの中、誰かの声を聞く。
レンはゆったりと気だるい体を起こして周りを見渡した。
間接照明がかろうじて点けられた薄暗い部屋、シングルベッドは己の他にもうひとつの温もりを残している。
ベッドから這い出ると下半身にわずかな痛みが走って、同時に一糸纏わぬ素肌をくすぐる空気の冷たさがレンの身を震わせた。
いったい何時だろうか、携帯を確認するといつの間にか日が変わっていることに気付く。

「……帰ったのか」

ろくな挨拶もしなかった。
レンが滞在用にと借りたこの部屋へなだれ込むように二人飛び込んで、あとはもうずっとベッドの上だった。
当たり前のように触れ合った身体はとても熱く、思い出すだけでレンの体に再び熱が宿るようだった。
薄暗がりの中向かった洗面台の鏡を見て己の肌につけられた無数の赤い跡を見つける。
普通ならば衣類に隠れるそれらだが仕事柄脱ぐことも少なくないレンにとっては少々困りもので、けれど消えてしまうことは寂しく大事そうに跡を撫でながらシャワーを浴びる。
肌に張り付く髪を鬱陶しそうにかきあげて、そういえばこの髪にも口付けられたんだったな、とひと房を掬いじっと見つめた。
幼い頃、秘密ばかりの小屋でケッコンを夢見た二人。
手を繋いで見つめ合い、誓いのキスをとレンは真斗の頬にそっと口付けた。
そのお返しに真斗はレンの髪をひと房掬って、唇を寄せたのだ。
”好き”に種類があるなんてまだ知らなかった頃の戯れ、それだけで終わらせるべきだったのに。冷静になってから訪れる後悔は誰に宛てたものだか知れない。
弱い心を引きずってシャワールームから出れば先ほどは静かだった携帯が光っている。
新着メール一件、差出人は見なくたって分かる。
絵文字もタイトルすらもない質素なメールはただ一言、『裸で眠る癖はいい加減直した方がいい』と書かれていた。

「……相変わらず小言か」

何年経ったって学生の頃と変わらないお節介さはおかしくて仕方ないけれど、憎たらしいほどのその一言はもう二度と戻らない日々を思わせる。
人知れず滲ませた涙を乱暴にタオルで拭って、無機質な画面の文字をじっと見つめた。

「……結局俺とはちゃんとしたキス、一度もしなかったな」

それはたった一人にだけ許された誓いの証。
純白に包まれ真斗の隣で綺麗な笑顔を浮かべるひとりの女性をそっと思いながら。
誰にも言えやしない二人だけの秘密を閉じ込めて、言えないままだった祝福の言葉を打ち込んだ。



END.









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