お風呂のおはなし(翔+砂)




砂月はびっくりするほど視力が悪い。
眼鏡を掛けて視界をはっきりさせてしまえばたちまち那月に戻る、だから彼の世界はいつだって不鮮明な形で溢れている。

「……砂月、それきつくね?」
「もう慣れた」

雑誌をこれでもかと顔に近付け、おまけに凝り固まってしまいそうなほど眉間に皺を寄せて細目で紙面を読む砂月。
もはや見慣れた彼の様子はそれでもちょっと不憫だ。
そんなにつらい思いをしながら読まなくとも那月に読んでもらえばいいのに、一度そう告げたことがあったのだがやはり那月を通して読むのと自分の目で読むのとでは違いがあるらしく彼は半ば意地のように今日も眉間に皺を寄せる。

「チビ、今何時だ」
「九時過ぎたとこ」
「……シャワーいってくる」

凝り固まった表情のまま腰を上げる砂月の足取りはどこか覚束ない。
きょろきょろ周りを見渡して、目についた衣類を手に風呂場へと消えた彼はそのわずか数分後には忙しそうにばたばたと暴れていた。
あーまたか、聴きかけの音楽を一時停止してそろりと風呂場へ近づく。
脱衣所の床は脱ぎ散らかされた服で足の踏み場もない状態、仕方なくカゴの中へと放り投げて棚からバスタオルを取り出した。
俺の気配に気づいたのかドア一枚隔てた向こうで砂月がはっと息を呑む。
そ知らぬ顔して出て行こうかとも思ったが、ついつい掛けてしまう一言。

「砂月、ちゃんと髪洗えてるか?」
「……まだ途中だ、いいから出て行け」

これまでおよそ三日に一回はシャンプーとボディーソープを見間違えるなんて古典的な失敗を繰り返してきた砂月、この口ぶりと先ほどの物音からするに恐らく今日もいつもと同じなのだろう。
ふわふわと細く柔らかな那月の髪をたいそう気に入っているらしい彼は、どうやら他人に髪を触られたくないようで「洗ってやろうか?」という俺の優しい気遣いすら無碍にする。
何でそう意地を張るのか、別に少しくらいは他人の助けがあってもいいと思うんだけれど。
諦めて部屋へ戻ろうかと向けた背に珍しく、呼び止める声がかかった。

「おいチビ、切れた」
「……なにが」
「シャンプー……?」

なんで疑問系なんだよ、少し気後れはしながらも開けたドアの向こうでは案の定眉間に皺を寄せて困り果てる砂月の姿。
その手に握られたボトルは那月がたいそう好いているキャラクターのもので、バスラックには非常に似通ったデザインのボトルがいくつも並んでいた。
ああそうか、数日前にこのボトルへと変わったばかりで俺ですら見間違えることがあったのだ、砂月の目じゃ余計区別がつかないだろう。
素っ裸なのに少しも隠そうとしない砂月は、何とかしろと言いたげな視線を寄越す。
受け取ったボトルの口をひねればなるほど中身はすっからかんで、どうせお前が余計にポンプ押したからだろと文句のひとつでも言ってやりたいがそんな度胸はない。
そもそもシャンプーじゃなくてボディーソープだよこれ、呆れながらも中身を詰め替える背中に「早くしろ」と言わんばかりの視線が突き刺さる。
他のボトルと一見すれば見分けのつかないそれを持って、けれども砂月には手放さず浴室へと押し入った。

「おい……?」
「そこ座れよ、洗ってやるから」
「は?」

肩を掴み無理やり座らせれば当然砂月は抵抗するが、頭からざあざあシャワーをかけると不満そうに口を尖らせながらも大人しく押し黙った。
腕を捲って向かい合うようにしゃがむ。泡立てたシャンプーをわしゃわしゃ髪に馴染ませれば、水に濡れたからというだけではない少々きしきしと痛んだ指通り。
まさか二日続けてボディーソープで洗ったのだろうか、最初から俺に任せておけばいいのに意地ばかり張って面倒くさいやつ。
わしわしとやや乱暴に髪をすすいで次はコンディショナーを、とポンプに手を伸ばしたところで砂月が小さく声を上げた。

「いってぇ……」
「え、まさか目に入ったのか?」

片目を瞑って俯く砂月が、目元を擦ろうと手を伸ばすのを寸で止める。洗い流さなきゃいけないってのに、無頓着すぎるだろ。
思わず叱るような口調でたしなめるが彼はさして気に留める様子もなく、大人しく俺にされるがままだった。
丁寧に目元を洗い流してやると砂月は恐る恐るといった様子で目蓋を数回瞬かせ、もう痛くない、とぼそり呟く。
それでも気になるのかごしごしと擦る手を止めるように掴めば、ふっと見上げる両の瞳とかち合った。
そういえば砂月の瞳をまっすぐ見据えたことなんて今までなかった気がする。
いつだって眉根を寄せて目を細めている彼が今はこんなに近く、大きく目蓋を開き俺を見上げていた。
ぴんと伸びた睫毛、少し小さな瞳孔、頬に張り付く濡れた髪を掻き上げる仕草もすべてが新鮮で、那月と同じである筈のものが砂月というだけで違う色に見える。

「……チビ、続き」
「えっ、あ、ああ……」

促されて初めて、自分が見とれていたことに気付く。
訝しげな砂月の視線にどこか気まずさを覚えさっと顔をそらすが、最初は抵抗していたくせに大人しく髪を弄られる砂月の姿にはどうも調子が狂うばかりだった。
コンディショナーを撫で付ける髪はほんのわずかにウェーブがかっているだけで、いつもふわふわとあちこち跳ねているはずのそれがないというだけでひどく落ち着かない。
なんだかぎこちない手つきで洗い流すが、気付かないらし彼はのんきに鼻歌まで歌い始める。
そこだけはいつもの那月みたいでちょっとおかしくて、けれど目の前に居るのは紛れもない砂月で。

「体洗うからシャンプー取ってくれねえか」
「あっ、と、これだな!おう!しっかり洗え!」
「……なんだそれ」

可愛らしい黄色のボトルを手渡す俺はひどく動揺している。
それが何に対してなのか、自分でもよく分からないけれど。砂月の存在が今日はやけに気になって仕方ない。
じゃあ俺はこれで、と足早に風呂から出ようとするが裾を引かれ叶わなかった。
濡れた手で触るなよ、文句を告げようと振り向いた先で砂月は珍しく笑う。

「チビ、これシャンプーだぞ」
「……見間違えた」
「お前が間違えてどうすんだよ」

責める口調も今はすこしだけ柔らかい。
ラックに手を伸ばす砂月は相変わらず目を細めてボトルに書かれた文字を眺める、それはいつも通りの彼の姿。
けれどもやっぱり不憫に見えるもので、せめて那月に気付かれないようこっそりボトルを詰め替えてやろう、そう思った。



END.









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