世界につまる(翔那)



※数年後、別れ話





今日、仕事の帰りにコンビニでコンドームを買った。
十個入りのそれはいつも使っているメーカーのもので、けれどもこれを使うのは今夜で最後かな、とぼんやり思った。
ジーンズのポケットに小さなその箱を忍ばせながら帰宅すると、一人暮らしの部屋は出かける前に散らかしたままで、仕事でへとへとなのに片付けなきゃいけないのは面倒だなあと少々げんなりする。
そのまま放置というわけにもいかず、空調を入れて目に付いた衣類から片付けてゆく。
途中テレビを点ければ、画面の向こうでは見知った青年の楽しそうに歌う姿が映し出された。昔よりわずかに伸びた赤い髪、いつ見ても変わらない笑顔は見ているこっちの心までもを晴れやかにする。
あれから何年経ったのか、数えようとしたが先にすべき事を思い出しせかせかと部屋中を走り回った。
家にはほとんど眠りに帰ってくるだけ、それが何日も続けばいやでも散らかってしまう。今日みたいに休日の前は決まって整頓に追われるばかりだった。
ある程度落ち着いた頃、ポケットに入れたままの携帯が振動する。ディスプレイに表示された名前はもう飽きるくらいに目にしている人物のものだった。

「もしもし?」
『あっ翔ちゃん、今ね、駅にいるんです。夕飯のお惣菜買っていこうかなって』
「弁当がいいや、肉のやつな」
『はーい、あと少ししたらお家行きますね』

ふわふわとした声が途切れる、通話時間は十秒にも満たない。あっけなさを感じると同時、いつも通りの変わらないやりとりに安堵を覚えた。
学園にいた頃からアイドルデビューして数年が経った今までずっと、俺と那月の関係は変わらない。
ごく自然と付き合い始めた最初こそどこかぎくしゃくする事もあったが、そこからはいつだって同じ歩調で歩んできた。
デビュー当時の右も左も分からなかった頃、少しずつ軌道に乗り始めた頃、初めての大きな仕事にあたふたしてた頃、そして今。
平行線の上をただ歩いてきただけの、俺たち。別に変化が欲しかった訳じゃない、今の関係は互いにとって心地が良かったんだ。
けれど、もう終わる。
どっちが先に言い出したかは覚えてないけれど、今日がその最後だった。

「お邪魔します、みてみて翔ちゃん、新スイーツ!雑誌の人が差し入れにくれたんですよ」

合鍵を使って部屋に上がってきた那月はやってくるなり手に提げていた袋を俺へずいと差し出す。
保冷材で二重になった袋、箱には有名な店のロゴが書かれていた。
開けてみると那月が昔から好いているキャラクターをあしらったスイーツがいくつも並べられており、なるほどだからこいつは浮かれているのかと納得する。

「あ、その前にお弁当です。大盛りだから胃もたれしちゃうかもしれないけれど」
「俺はまだ若いから平気」
「僕だってまだ若いです」

でも高校生役続けてる翔ちゃんにはかなわないかなー、茶化す物言いに条件反射でうるさいと怒鳴れば那月はけたけた笑いながらソファを陣取った。
そこはいつだって彼の特等席だった。
デビューが決まってこの部屋に引っ越した時、互いにプレゼントし合おう、と贈り物を選んだ。
那月はよくソファに座ったまま寝てしまうのでソファーベッドでも、と選んだものは偶然にも那月が俺宛に選んだものと同じで、思わず顔を見合わせながら笑ったのだった。
結局色違いで購入したソファーベッドは互いの家に上がったときの、互いの特等席となった。
だから俺の部屋にあるソファは那月専用で……これからは、俺しか使う人間は居ない。
いつの間にか増えていたクッションも、カバーも、選んだ本人に使われることはもうない。改まって考えるとそれはあまりにも寂しいもので、だからといって今更なかったことになど出来なかった。
那月の向かい、背の大きな座椅子に腰を下ろして黙々と弁当を食べる。
そういえば、最後に那月の料理を口にしたのはいつだっけ。仕事が増えてからはこの部屋に来たって料理に勤しむ姿、見てなかった。
どうせなら少しくらいあのとんでもない味を口にしてもよかったんだけど、ちらりと見やれば那月はすでに弁当を平らげ、デザートのスイーツに手をつけている。
大好きなキャラクターを平気で食べられる辺り、ただのぼんやりした人間なんかじゃないと思う。
いつだって夢見がちな言動するくせに変なところ頑固で、繊細な割に図太いところもあって。
面倒くさいやつで、でもそんなところが俺は。

「……あ」

ふとテレビから流れてきた音楽はとても聞き覚えのあるものだった。
学生服に身を包んだ男女が映し出され、その中でも一際目立って自分の姿が現れる。
学園が舞台のドラマ、もう二十歳をとっくに過ぎたというのにその作品で俺は十七歳の少年を演じている。顔馴染みの中では渋谷も一緒に出ているが向こうは教師役だった。

「うわぁ、今回の翔ちゃんもブレザー姿がとっても可愛いですねぇ」
「うるせーよ、この年で似合ったって嬉しくもねえし」
「えー?」

スプーンをくわえながら食い入るように画面を見つめる那月、こいつは俺が出ている番組を見るといつもこの調子だ。
恥ずかしいうえ本人が目の前に居るのに、どやしたって聞きやしない。
一生懸命頑張る翔ちゃんは全部目に焼き付けたいんです、なんて笑う那月に負けて結局一緒になって最後まで見てしまうのがお決まりの流れだった。
ドラマの内容は佳境に入る、主人公役の女優と訳あって別れた俺が、彼女を冷たくあしらうシーンだった。
食い下がる彼女に画面の中の俺は、一度別れたらもう友達になんて戻れる訳ねーよ、とどこか未練を残した表情で呟く。
シナリオでは結局よりを戻してハッピーエンドになる二人。でも、これは作り物の話で、現実はそんなに上手くいく訳ない。
エンドロールが終わって次回予告、じっと見つめる那月は一体何を思っているのだろうか。
那月と別れて友達としての関係に戻るかどうか、そういえば話題にすらしてこなかったけれども。
たぶん、彼が考えていることは俺のものと同じ、そんな確信があった。

「……那月、明日の仕事って何時から?」
「九時までに入りなので、六時にはお家に帰ろうかなって思います」
「そっか」

タイムリミットの瞬間までもう半日を切っている。
那月はテレビを見つめたままこっちを向くことはない、その画面にはもう俺の姿なんて映っていないというのに。
深夜のバラエティ番組、流れる音楽は馬鹿みたいに明るい。なんとなく聞くのがつらくなって、けれども消すわけにもいかず席を立った。
浴槽に干したままの衣類を片付けバスタブを洗う。一人用の風呂はびっくりするくらい小さくて、俺一人のときはいつだってシャワーだけで済ましてしまう。
湯を張るのは決まって那月が来たときだけ、お陰でファンの子から送られる入浴剤は一向に減る気配を見せない。
お湯張りのボタンを押していくつかの入浴剤を手に居間へと戻る。

「なぁ那月、風呂沸かしてんだけどどれ入れる……」

テレビからは相変わらず騒がしい音楽が流れている。
那月の視線は画面からゆっくり俺へとスライドした。
明るすぎるタレント達の声に混じる、しゃくりあげる声。演技でだって見たことないくらい、悲しげに揺れる二つの緑。
いつも通りのはずだった。
電話越しの声も、スイーツにはしゃぐ姿も、テレビに食い入る視線もすべて、いつもと変わらなかったのに。
涙ひとつで那月の内側はこうも簡単に暴かれる。
彼がついた優しい嘘は、残酷なほどに俺の心を抉っていた。

「ごめ、翔ちゃん……」

那月は誤魔化すように笑顔を浮かべようとするけれど、あまりにも下手くそで見ていられない。
時計はいつの間にか日をまたいでいる。
俺のジーンズのポケットには忍ばせたままのコンドームの箱。
これを使うのは今日で最後、だから。

「那月、おれ、今からお前を抱くよ」

はっと息を呑む声はテレビの騒音にかき消された。
放り投げた入浴剤が床に散らばるのも気に留めないで、俺は夜のはじっこを掴む。




それはいつもと同じ、少しつめたい朝の空気だった。

「あんま寝てねーじゃん、移動中とか気をつけろよ」
「大丈夫だよ、僕って結構寝不足に強いんです」
「うそつけ」
「あはは、行ってきますね」

薄手のカーディガンを羽織っただけの俺とは対照的に、もこもこのジャケットに身を包んで那月は朝の風景に溶けてゆく。
少し歩いて振り返り、小さく手を振り歩き出してはまた振り返り。
早くしねーと遅刻すんぞ、怒鳴れば那月は笑みを浮かべてもう一度、行ってきますと叫んだきりもう振り向くことはなかった。
小さくなりゆく背中を見送ることもなく玄関のドアを閉める。
かちゃり、鍵をかけながらふと彼を見送ったのが始めてだったという事に気がついた。
いつもは俺が寝ている間にこっそり出て行く那月、机の上には決まって可愛いキャラクターがたくさん落書きされた置手紙。
居間に戻れば手紙は今日も置かれていた、一体いつの間に書いたのかと気づかなかった自分が少しだけ悔しくなる。
少しインクのかすれた小さな鳥のキャラクター。その下にたった一言、書き込まれた文字をどうしてか読む勇気がない。
手紙の上に乗せられている鍵は引っ越した日、何よりも一番最初に那月へ渡したものだった。
無くしたらいけないからとキャラクターもののキーホルダーがつけられたそれを、彼はあんなに大事にしていたのに。
自分の元へと戻ってしまった鍵は外の空気より冷たくて、けれども俺はその冷たさを受け入れる。

一人になった部屋、外はまだわずかに夜を引きずっている。
今日は折角の休日だから、二度寝でもしよう。締め切ったカーテンから差し込む日に少しだけ憎さを覚えながら寝室へ戻れば、床に転がった小さな箱が目に止まる。
結局、ひとつしか使わなかったそれ。
最後に抱いた柔らかなぬくもりを思いながら、ゴミ箱へと投げ捨てた。
もぞもぞと潜り込んだ布団はまだ暖かく、かすかな甘さが鼻をくすぐる。夢みたいな時間の残り香を吸い込んでゆっくりと目を閉じた。
もうすぐ、長い長い夜が明ける。



END.









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