【企画】嗚咽混じり(マサレン)




幼い頃はまるで弟のように懐いていたあいつ。
女の子みたいに小さくて、大人しくて、可愛らしい笑顔ばかりを浮かべていたあいつは今、まるで面影もないほどに冷めた目しか向けてこない。

「今日はずいぶん早かったな」

常となった夜遊び、珍しく早くに帰宅すればルームメイトの男はえらく素っ気ない態度で俺を出迎えた。
規律正しいこいつのことだからてっきり床についた後だと思っていたのに、案外遅くまで起きているものだと共同生活を始めてもう半年が経った今になり初めて知る。

「聖川こそずいぶん遅くまで、勤勉じゃないか」

脱いだコートをハンガーにかけながら茶化すように言うと、別にそんなものではない、とやはり素っ気なく返される。
ちらと見やった彼は机に向かってペンを動かしていた、だがよく見ればノートも何も広げられておらずあるのは白い便箋一枚。
電子化が進むこの時代に手紙とは聖川らしい、少しだけおかしくなる。だがその相手についてを考えるのはさして楽しくなかった。
おもむろに引き出しから取り出された封筒の宛名を無意識に覗き込めば、見えたのは"兄"の文字。
ああやっぱり、どこか冷めた思いで手紙をしたためる彼の姿を眺めている自分がいた。

「神宮寺、シャワーへ行くなら早くしてくれないか。音が気になっては眠れない」
「……今行くよ」

机に向かったままの聖川がこちらを見ることもなく急かす。
脱いだシャツを手荒にベッドへ放ってシャワールームへと足を向けた。

彼が妹へ宛てた手紙を書く姿を見るなんて今回が初めてだったが、自分が気づかなかっただけで今までに何度もその場面はあったのだろう。
妹思いの優しい兄、きっと誰もがそんな感想を抱く。いや、俺だってそう思う。
だがそれ以上に浮かぶのは、兄妹の仲の良さに対するどろどろとした感情だった。
嫉妬の一言で片付けてしまうことも出来るその想いは、けれども重ねてしまった年月の分だけ純粋なる嫉妬の念から大きく外れているだろう。

幼い頃、俺と聖川はよく一緒に遊んだものだった。
自分よりも背が低く年下のあいつはまるで弟のように俺になついていたし、時にはお兄ちゃんなんて呼ばれる事もあった。
素直に彼を可愛がっていたがある時ふと、兄とはなんぞ、という疑問が湧く。
自分の兄二人は決して、俺が聖川に接するような甘さも優しさも、そもそも言葉を交わすことすらなかった。
それを兄弟としての正しいあり方だと錯覚していたのだと、聖川によって分からされてしまった。
本来の兄とは下の者にこうも優しい存在である、ならば俺と兄たちはどうしてこんなにも離れているのだろうか。
幼い時分に抱いた疑念は成長した今も、まるで呪縛のように俺をがんじがらめにしている。
そうして昔は弟のようだった聖川が今、兄として妹を可愛がる姿にどこか自分を重ねてしまう。
神宮寺の家で自分が置かれていた立場を、まだ理解していなかったあの頃。
何も知らずに"妹"を可愛がる"兄"にもうずっと、嫌悪にも似た感情を抱き続けていた。



「あ、レンだ!こんな所で会うなんて珍しいよね」

放課後のスタジオ棟、不意に声をかけてきたのは赤い髪に負けぬくらい明るい人物だった。
ギターケースを背負った彼は今まさにスタジオへと入れかけた足をひっこめ階段を下りてきたばかりの俺の元へと近づく。

「練習かい?」
「そうそう、中庭で弾こうと思ったら那月が鳥と遊んでたからさ、邪魔しちゃ悪いかなって思って」
「イッキもシノミーも、らしくて良いね」
「それ褒めてんの?」

訝しげに眉をひそめるも彼は楽しそうに笑う、いつだって人懐こい元気さはもはや彼のチャームポイントといってもいい。
だが決して無差別に振りまいているわけでもなく、心から信頼を寄せている相手には特別華やかな表情を浮かべる。
自惚れかもしれないが俺に対して向けられる笑顔はいつだって、真夏の太陽みたいにひたすら真っ直ぐな明るさだ。
二言三言交わしスタジオルームへと消えてゆく彼の背中を見送りながらふと、幼い頃の聖川を思い浮かべる。
イッキはまるで俺を兄のように慕っている、どこまでも純粋で直向な視線は嬉しいのに少しだけ、寂しさを感じてしまった。
あいつとイッキは違う、分かっているのに。
どうしたって切り離せない記憶、俺はイッキを、弟を可愛がる兄でいたいだけなのに。

「……やめよう、考えすぎた」

まるで言い聞かせるような独り言を呟いて、遠くで聞こえるギターの音を背にその場を後にした。



「今日は出掛けないのか」

聖川はさして興味も無さそうに声をかけてくる。
気分じゃないからね、返せば納得したようにそうかと相槌をうって、けれどもそれきりだった。
聖川の手には薄い青の封筒が握られており、彼は丁寧にナイフでその封を切った。ああ、数日前にしたためた手紙の返事か、優しい笑みを浮かべた彼を見て瞬時に悟る。
愛らしい妹からの手紙を前に聖川はすっかり兄の顔をしている。それは滅多に見ることのない表情で、俺の知っている聖川とはまるで違っていた。
いいね、あの子はこんなに優しい目を向けてもらえて。
思い起こした自分の兄二人の視線はどうしても靄がかかったように不鮮明で、ちっとも思い出せやしない。
ベッドに寝転がって、しかし考えれば考えるほど惨めな感情ばかりが渦巻く。
自分勝手に小さなレディに嫉妬を抱いて、ばかみたいだと分かっているのに止まらないこの思いはなんだ。

「……先にシャワーもらうよ」

いったん頭を冷やそうとベッドから身を起こせば、机に向かっていた聖川がこちらを見やる。
その目はいつものように素っ気ない視線だったのに、突然驚いたように見開かれた。

「……神宮寺、どうしたんだ」
「どうした、って何が」
「こんな時まで強がるな、どこか悪いのか?」

強がる?どこか悪い?何を言っているんだろうか……聖川を見つめ返す視界が徐々にぼやけてゆく。
そうしてほたりと伝い落ちたそれにようやく、自分が涙を流しているのだということに気づいた。

「……何でもない、シャワー浴びてくる」
「何でもない訳がなかろう、どうしたんだ」

読みかけの手紙を置いてこちらへと近づく聖川から無意識に顔を背ける。
見られた、よりによってこいつに。
俺の右手をつかんで心配そうに覗き込んでくる表情はいつもの鉄面皮みたいな冷たいそれではなくて、まるで。

「……俺の知ってるお前じゃない」
「は……?」
「そんな顔、やめてくれ。いつもは俺に興味ないって態度ばかり取るだろうに、どうして」
「ちょ、落ち着け神宮寺、いきなりどうしたっていうんだ」

困惑の向こうに見える心底不安そうな表情はどこまでも優しくて、俺はまた訳が分からなくなる。
どうしてしまったのかなんて自分が知りたい、壊れてしまった涙腺は止まる事など知らずぽろぽろと大粒の涙を零すばかりだった。
困ったように眉根を寄せる聖川は口を開きかけ、けれども何も言わずに俺を抱きしめ、背を叩く。
とん、とん、ゆっくりとしたリズムは心地良さと同時に幼い記憶を思い起こさせる。
あの頃、泣いてばかりいた聖川をあやす俺は一つしか違わないのに小さく華奢な体をぎゅっと抱きしめて、優しくその背を叩いたのだった。
べそをかく聖川はやがてリズムに合わせて呼吸を取り戻し、いつもの愛くるしい笑顔に戻っていた。
けれども俺の心臓は一向に落ち着くことなく、寄り添う聖川のシャツを濡らすばかりだった。

「なんで、お前、こんなの……覚えてるんだよ……」

あの頃の俺のようにあやす聖川と、あの頃の聖川とは違い泣きっぱなしの俺。
兄の顔をした彼は、俺を抱きしめたままぽつぽつと言葉を零す。

「妹が初めて大泣きした日も、こんな感じだった」
「……なんだよ、それ」
「お気に入りの人形を見せてもおどけても、泣き止まなくてな。あまりに悲しい声だから聞くのがつらくて抱きしめたんだ」

その時にふっと、かつて自分がしてもらった事を思い出した。
懐かしそうに呟く声音は柔らかく鼓膜を揺らし、どこかくすぐったさえ覚える。

「今のお前は声こそ上げないが、だから余計につらく見える」

その言葉にはっと顔を上げ、気づけば聖川の体を押しやっていた。

「つらく見える……?ふざけるな、何も知らないくせに、何も……!」

小さな子供に対する嫉妬心、兄という存在へのコンプレックス。
自分で認めたくない感情たちをお前は欠片も知る由がないのに、知ろうともしないくせに。
いつだって俺に守られていたはずのお前が、いつの間にか誰かを守るように笑顔を浮かべて。けれどもその表情は決して俺に向くことはなくて。
堰を切ったように流れる涙、しゃくりあげる声はもう言葉にすらなっていなかった。
羨ましい、妹が。
兄の愛を一身に受ける存在が羨ましい。
兄に笑顔を向けられる、羨ましい。
太陽のように笑うイッキの、その笑顔だけじゃ満たされない思い。
弟のような彼の笑顔じゃなくて、俺が本当に求めているのは。

「俺にだって……もっと笑いかけてよ……」

嗚咽交じりの呟きはかろうじて言葉となる。
息を呑む声が聞こえた一拍後、俺の体は再び聖川に抱きしめられた。
相変わらず年は一つ違う、そのくせ俺と変わらぬ身長で見た目以上にしっかりとした体躯。
伝わる心臓の音に合わせしゃくりあげる声はやがて微かなすすり泣きへと変わった。
安心したように聖川は息をついて、けれども恨めしそうに言葉を零す。

「……神宮寺こそ俺のことを、避けているくせに」
「そりゃ避けるさ、お前のせいで惨めな思いをするばかりだ」
「どういう意味だ」
「教えないよ」

涙に濡れた頬を肩口へくしゃりと押し当てれば、怒ったような呆れたような目がこちらを見据える。
それはいつも通りの聖川で、けれどもそんな表情が、心地良い。

「……大きな弟というのは少々肩が凝る」

聖川の呟きを聞こえぬ振りして、くたりと肩口に顔をうずめた。



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Jealousy 】様に提出しました
素敵企画に参加させて頂き、本当に有難うございました!

20120217 よかん









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