もどかしい距離(マサレン)




神宮寺からディナーに誘われるなど初めてのことだった。
なんてことのない休日の夕方、一十木達と課題に勤しんでいた所へ一通のメールが入る。
特別な着信音なんてない、フォルダだって分けていない、そもそも今まで一度だって寄越されたことのない相手からのメール。
登録していた事実すら忘れていた、そいつからのメールは素っ気ない一文が綴られているだけだった。
一十木達に断りを入れ、コートと携帯以外には何も持たず寮を出る。マフラーのない首元には少々冷えた風が吹き、しかして我慢できない程ではなかった。
敷地を出た大通り、たまたま通りかかったタクシーに乗り込む。五分と揺られることなく目的の場所へは着いてしまった。

「いらっしゃいませ、ご予約は」

重い扉を開ければ正装に身を包んだボーイが優雅な足取りで近づく。
先に待たせてある、告げながら店内を見渡せば一際奥に鮮やかなオレンジ色を見つけた。
脱いだコートを預けて一直線に向かってゆけば夕日色の髪をわずかに揺らして神宮寺が、来たんだ、と苦笑を浮かべる。

「人を呼びつけておいてその言葉はなんだ」
「ああすまない、急だったからてっきり来られないと思っていただけだよ」
「忙しくはなかったからな」

神宮寺の目の前へと腰を下ろす、彼は肩口でひとまとめにした長い髪を指先で弄んでいた。
髪型のせいだろうか、それとも服装のせいか。普段より幾分か落ち着いた印象に改めて彼が年上なのだという事に気づく。
窓の外を見やれば日はとっくに暮れていた、冬の陽は姿を隠すのが早いものだがそれにしたって急ぎ足すぎやしないか。ちらりと確認した腕時計はディナーには少々早い時間を告げている。

「……食事はもう少し後に頼んであるんだ、何か飲むか?」
「いや、今はいい」
「そう」

交わされる会話は短い。普段から二人でいる時も他の誰かが合わさっている時も、この男との会話が弾んだ試しはない。
外で会ったからといって特別な話題なんてありはしない、互いの間に流れる沈黙はけれども心地の悪いものではなかった。
くるくると髪を弄る神宮寺がふっとその指を離して窓の外へ視線を向ける。
それは決して何かを見ようとしている瞳ではなく、ただぼんやり遠くを眺めるだけのそれに見えた。

「約束、してたんだけどね」

ぽつりと神宮寺の口から言葉が漏れる。

「ふられちゃったんだ」

どこか寂しそうな瞳の色だった。
誰に、なんて聞けるはずもなくそうかと素っ気なく返せばそれきり彼の口は噤まれる。
やがて運ばれてきた料理を口にしながら時々、おいしい、とか、この味ならあれが合う、とか中身のない会話ばかりが交わされた。
デザートにと用意されたフロマージュのムースはひかえめな甘さで、どこか大人の口に合う味だなとぼんやり思った。
そういえば今日の神宮寺の服装はえらくきちんとしている、女性と会う夜は決まって胸元の開いただらしない服ばかりだというのに。
彼から送られてきたメールを思い出す、今からここへこれないか、食事の誘いだというのは分かったが思い返せば彼が女性にふられたからと代わりに俺を呼びつけることなど今まで一度とてなかった。
ふられること自体はあったようだが、どんなに予約が困難な店でも断ってそのまま寮へ戻ってきていたように思う。
それが今日は、よりによって何故俺を呼んだのか。
ちらりと目の前に座る男を見れば最後の一口を掬って、けれども中々口元へ運ぼうとはしなかった。

「……なぁ聖川」

ふいに彼の口が開く。
なんとなく視線を逸らして、なんだ、と返せば彼はほんの躊躇いの後に言葉を続けた。

「このムース、兄のお気に入りだって聞いたんだ」

寂しそうに呟いて、彼は最後の一口を食べる。
ふられてしまった約束、ディナーにしては早すぎる時間。
神宮寺の口から家族の話を聞いたことなどなかった、だが人づてに耳にしたことは幾度かある。
彼は料理が運ばれるまでの間にいったい、どれだけの話を用意していたのだろうか。
少し年の離れた兄、長い間すれ違っていた二人の間に交わされる会話はおよそ見当もつかない。けれどもそれは双方にとって大切な会話となりえただろう。
わざわざ自分好みの店を教える兄の、弟に対する想いが垣間見える気がしてけれどもそれ以上の深入りは無粋だった。
運ばれてきたコーヒーにミルクを少々入れる。くるくるとスプーンでかき混ぜてそっと口元に寄せた。

「……今度はお前の好きな店でも、用意すればいい」

兄が好きだと言った味をお前が諦め切れないように。
俺ならば妹が用意したディナーを、たとえふられてしまっても一人で楽しむだろう。その言葉は口に出さなかったけれども神宮寺の瞳がほんの少し、穏やかに揺らいだのを見てゆったりと息をついた。
わずかに苦いコーヒーはゆっくりと胸の内を温めてゆく。
神宮寺はシュガーポットから少しのシュガーを掬い入れてかき混ぜた。

「なぁ聖川、今度お前の好きな店でも教えてくれないか」
「……俺だけというのも不公平だろう、お前のお気に入りも教えろ」
「ああ、絶対な」

ミルクは入れない、ほんの少しだけシュガーを混ぜたコーヒー。
いつかその味をお前の兄も知ることが出来たらいいな、ぼんやりそんなことを思った。



END.









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