例えば人生についての補足的な何か(翔那)




例えば生きていく上での必要な物事を、最低限で済ませようとするならば。

「いただきまぁす」

両手を合わせてにこにこと挨拶する那月の目の前には、およそ一人では食べきれない量の食事。
対して俺の前にあるのは年頃としては少々物足りない量の食事。
ホワイトソースにパスタを絡め、細い銀のフォークをぱくりと咥える那月が俺の手元をじっと見た。

「…翔ちゃん少ないです、夜中にお腹空いちゃうよ?」
「別にこんくらいでいいんだって、腹八分目っつうだろ」

これで十分満たされるの、
一口大に切り分けた肉の塊をとぷりとソースにディップして、口の中へと放り込む。
じわりと溢れ出す肉汁ごと咀嚼。
これを数回繰り返すだけで、食に対する欲というものはいとも簡単に落ち着く。
お陰で山ほど用意された食事を那月がのんびり片付けている間に、俺の腹は満たされてしまった。
食後に飲み物でもどうですか、と言われたが喉を潤すだけなら水で十分だと断る。

「ごっそさん、俺先に部屋戻ってるわ」

もぐもぐと両頬を膨らませた那月はこくりと頷き、まだ半分近く並べられた色取り取りの料理に手をつけた。
その表情はなんとも楽しそうで、幸せそうで。
食欲以外にも別のものを満たしているのだろう。でもそれは多分、生きる上でそこまでの重要性はない。
無駄なく、最低限で良いのだ。
未だ食事を続ける彼を背に、食堂を後にした。



「あー翔、いいところに!」
「ん?」

部屋へと続く廊下の先で、見慣れた赤い髪がひょこりと飛び跳ねた。
その隣で涼しげな瞳が青い髪の隙間から揺れる。

「二人ともなにしてんの?」
「映画のDVD借りてきたから皆も観ないかなって、レンには用事があるって断られちゃった」
「あんな男放っておけばいい」
「マサ冷たいよ……あ、で、翔もどう?那月も一緒にさぁ」

にこにこと人懐こい笑みを浮かべた音也に、どこか罪悪感を覚えながらも断りの言葉を述べる。
一瞬彼はしょぼくれたような表情を浮かべたがすぐ笑顔を取り戻した。
隣で様子を見ていた真斗がそういえば、と口を開く。

「彼は一緒ではないのか」
「ああ、那月のやつならまだ食堂。多分それ観たがるだろうから悪いけど声かけに行ってやってよ」
「わかった、んじゃまた今度遊ぼうね」

おう、と片手を振って二人の背を見送る。
娯楽は人生にとって重要なものだけれど、必要最低限と考えたら間違いなく真っ先に切り捨てられるべきもの。
ああでも勿体無いな、あの映画ちょっとだけ気になってたんだよな。音也が手にしていたパッケージを思い出しながら自室のドアを開けると不意に襲いくる睡魔。
人間の三大欲求は食欲の次に睡眠欲、これは無視できない。
部屋の電気も点けず、服も着替えず。そのままごろりとベッドに身を投げて俺はゆっくり目を閉じた。



「……ちゃん、翔ちゃん」
「んー……」

耳をくすぐる心地好い声音に目蓋を上げれば、人工の光を背に見慣れたくせ毛がふわりと揺れていた。
心配そうに覗き込む眼鏡越しの瞳はいつだって儚い。
陽に照らされた若葉のように澄んだ、緑色の両目に映った己の顔を見てようやく眠っていた事を思い出す。

「…やべ、今何時?」
「11時半だよ、翔ちゃんまだお風呂も入ってないでしょう」
「うん……那月は、もう入ったのか」

こちらを覗き込む那月の首元にはタオルが掛けられていた。
どことなく香るボディソープの匂いは清潔そのもので、けれどもどこか求めずにはいられない。
ほんのり上気した頬はまだしっとりと濡れている。伸ばした指先で触れれば思わず驚くほどに心地の好い柔らかさだった。

「なに、翔ちゃん寝惚けてるんですか?」

ふにゃりと目尻を下げて微笑む那月が、伸ばした指先に己の指を絡める。
その火照りは指先から腕を伝ってじわじわと侵食してゆく。まるでそのまま心臓が食べられてしまうんじゃないかとすら錯覚して、どくりと胸が高鳴った。
那月の香りが一段と、鼻腔をくすぐる。

「え……うわっ!」

絡んだ指を引っ張ればバランスを崩したように那月の体が倒れこんでくる。
まだ少し濡れたままの髪が鼻先を掠り、そのくすぐったさについ笑みが零れた。
火照る体が俺の上へと乗り上げる。密着した部分から那月が入り込んでくるような気がして、俺の中の欲求は増すばかり。
飢えた喉はからからと悲鳴を上げる。
那月の指を口元に引き寄せて、ちゅ、と吸い付けば彼の口からは明るい声が上がった。

「翔ちゃん、くすぐったいよ」
「嫌?」
「さぁ、どうでしょう」

くすくす笑う声音はいつも通りの那月なのに、両の瞳を彩る緑は深く妖しげに揺らいでいた。
ああもう、決めたばかりなのに。
最低限で済ませるなんてそんなの、ちっとも、満足出来ないんだ。
満たそうとするのは食欲と、あとは何でしょう。

「……ごめん、やっぱ八分目なんて全然足りなかったわ」

那月は相変わらずくすくす笑ってる。
いただきます、
タオルに隠された白い首筋へと誘われるままに噛み付いた。



END.









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