愚かな夢の話(翔那)


※那春前提の翔→那です





そういえばね、と
読みかけの雑誌に視線を落としながら、那月がつぶやく。

「ハルちゃんがね、この前すごく素敵な曲を作ってくれたんです」

僕、はやくあの曲に歌詞をつけたいな。
優しい声音でそう告げる那月は心底嬉しそうで。
意地悪がしたい訳じゃない、けれど何となくもやもやとして雑誌のページを捲った。

「ああっ翔ちゃんひどい、そこまだ読んでなかったのに…」
「お前が遅いのがいけないんだ、ばか」

先ほどとは一変してしょんぼりとした那月が、俺の肩口に顔をうずめる。
そうしてぎゅっと力が込められた。背後から俺を包み込む、あったかい腕に。
ベッドの上で俺は那月に背後から抱きしめられていた。
翔ちゃんかわいいです、なんてマイペースにじゃれつくもんだから邪険にするのも気が引けてついついほだされてしまう。
そうしてすっぽりと抱きしめられて、二人で雑誌を読んでいた。
穏やかな時間だった。
なのに。

「翔ちゃんちょっと機嫌悪い?」
「そんなんじゃねーよ」
「そうですか…」

ふわりと頬をくすぐる那月の髪から、ほんのりとした甘さが香る。
普段の彼にはない、独特の匂い。脳裏を過ぎるのは可愛らしい笑顔の似合う、あの子。

那月とあの子は同じクラスで、パートナー同士だ。
音楽はもちろんそれ以外にも波長や感性が合うのだろう、よく二人は一緒に居る。
同室のよしみでと俺もそこに混ざる事が多々あって、その度あの子は俺にもとても優しく、親切にしてくれた。
俺はあの子が好きだ。可愛いし、健気だし、本当にいい子だと思う。

厄介なのはそれ以上に、俺が那月に対する想いを抱いているという事実。

「…那月、明日早いんだろ。もう寝ようぜ」
「そうですねー、遅刻なんてしたら怒られちゃいますもんね」

ほわりと微笑む口から悪びれもなく飛び出す、その言葉の奥にはいつだって彼女の姿が見え隠れしていた。
くそ、乱暴に那月の腕を振り払いベッドから立ち上がる。
呆気にとられたのか彼は口をぽかんと開き、わずかに眼鏡のずれた瞳で俺を見上げた。

「…翔ちゃん、やっぱりちょっと怒ってます」
「怒ってねぇって」
「でも…」
「しつこいってば!」

思わず荒げた声に、那月はぴたりと口を噤む。
しまったと思ったときにはもう何事も遅い。不安そうな、悲しげな瞳に見上げられるのは非常に心苦しかった。

「…ごめん、なさい、僕もう寝ますね」
「ああ…おやすみ」

のそりと立ち上がった那月は、俺から顔を逸らすように横をすり抜けてゆく。
テレビを挟んだ対面、俺から逃げるように自分のベッドへ戻った那月。
違う、そんな表情をさせたい訳じゃないのに。後悔はいつだって後から後から湧いてくるばかり。
悲しい顔なんて見たくなくて、何も言わずに部屋の電気を消した。眠ることも出来ずベッドに腰掛ければやがて聞こえるのは穏やかな寝息。
那月はいつだって穏やかに呼吸する。
そのリズムはとても綺麗で、どうしたって俺は彼の唇から吐き出される吐息の行く先を意識してしまう。
僅かに空気が震える気がした。那月が部屋中に散らばってゆくような気がした。
けれど那月は俺をすり抜けてゆくんだ、だってあいつの求める先に居るのはいつだって。

「……くそっ」

ぎしりと床が軋む。裸足で踏みしめる床はとても冷たかった。
那月のベッドへ近づく、横たわる大きな体は柔らかな毛布に包まれてとてもたおやかに息づいている。
枕に散らばるクセ毛は暗闇の中でも分かるくらいに綺麗で柔らかだ。その香りだって知っている、でもその髪に顔を埋めていいのは俺じゃない。
白い肌も、細い睫毛も、色素の薄い唇も何もかも。
近くに居るはずなのに何一つとして俺のものにはならない。
大きく暖かな手のひらが俺の頭を撫でるたびに、重ねて見る姿は。

「……くそっ……!」

ぎり、と奥歯が軋んだ。
いっそあの子の事を嫌いであればよかった、恨み言はいつだって声にならず心の中を渦巻くばかり。
知ってるんだ、那月の笑顔が一番輝くのはあの子の隣に居る時なんだって。
俺が好きな那月はあの子が居るからこそなんだって。知っている筈なのにどうしたって、悔しい。
なぁ、俺のことも見てくれよ。ほんの少しだけでいいから俺にもお前をくれよ。
後ろから抱きしめられたって、首元をくすぐる様に顔を埋められたって、足りないんだ。

薄く開かれた唇はたおやかな呼吸を繰り返す。
大切なものに触れる時のように、そっと唇を寄せた。
吐き出された吐息を、那月の欠片を大事に大事に飲み込んだ。ほんの少しだけ満たされた心と湧き上がる罪悪感。
これぐらい、いいだろ。
震える唇から那月の熱がじわりと広がる。あったかい、気持ちいい、もっと欲しい。
求めるように唇を舐めた。舌を差し入れ、那月のそれとこすり合わせる。もう止まらなかった。

「…ん……翔ちゃ、ん…?」

ぴくりと那月の目蓋が震える。ゆったり開かれた向こうに揺れる瞳は俺の姿しか映していなかった。
角度を変えて、深く口内を貪る。鼻先に触れる眼鏡の縁さえ愛しく感じた。
乗り上げたベッドが、ぎ、と鈍い音を立てる。
柔らかな布団の下、那月の体すらとてもふわふわと柔らかな心地がした。
ちゅ、と唇を離せば熱い吐息がどちらからともなく漏れる。那月が何かを言うように口を開くが、押し当てるように再び唇を触れ合わせて制止した。

「那月、これは夢だよ」
「……ゆめ?」
「そう、明日の朝には忘れちまうそんな夢」

呪文のような呟きを、彼は寝惚けた頭で噛みしめるように飲み込んだ。
これは夢なんだ。
明日の朝には那月の吐息も熱も全て、なかったことにする。それでいいだろ?夢のようなひと時はいつか必ず醒めるものなんだ。
夢の世界に身を任せるように、那月はゆっくりと目蓋を降ろした。
再び呼吸はおだやかに、たおやかに繰り返される。
ほう、と息を吐く。俺の吐き出した欠片は那月の吐き出す欠片と混ざって宙へ散っていった。

「おやすみ、那月」

夢の中に居る那月はほんの少し、頷くように顔を傾けた。
欲張りな俺が欲しがったものは全てなかったことにする。
隠された想いと少しの罪悪を那月のベッドに残して、そっと離れた。願わくば夢の中に彼とあの子の姿を、思い浮かべませんように。



END.









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