愛と嘘(マサレン)


※軽暴力・暗めの内容注意






特に意味なんてなかった。
相応しい言葉があるとすれば「魔が差した」、これが一番しっくり当てはまるだろう。
まるでどこぞの犯罪者のような言い訳を携えて、俺は聖川の前に立っていた。

「…神宮寺、今なんと言った」
「だから、魔が差したのさ。最初はするつもりなんてなかった」

告げる己の表情はまさに"無"そのもの。
対して目の前の男は、冷静さを保ってはいるもののその表情に段々と怒気が見え隠れし始める。
まぁ、予想はしていた。こうなるだろうと分かっていながら自分は。
こんな事を、してしまったんだ。
ゆらり、聖川が距離を詰める。深く眉間にしわを刻んで、ねめつけるような彼との視線が交わった。

「お前は、そうやって簡単に誰とでも寝るんだな」
「…ああ」

ひゅっと空を切る音が耳を掠める。
その一瞬後に、ゴッと鈍い音が響いた。暗転する視界、衝撃を受ける頬。血の味が口一杯に広がり思わず顔を顰める。
強く握られた聖川の拳がみえる。
頬がひりりと痛み、じくじくと責め立てるように疼く熱でようやく殴られたのだと理解した。
彼の手が伸びる。そうして今度は締め付けるような痛みが首へ。
立てられた爪がぎちりと肉へ食い込んだ。鼻をつく鉄の臭いに俺ではなく、聖川が不快感を顕にする。

「っ…驚いたね、まさかお前が誰かを殴るなんて」

気道が押さえつけられているせいで上手く声がでない。
引き剥がそうと両手で彼の腕を掴むが、恐ろしいほどびくともしない。
いっそ爪でも、立てようか。今のこいつと同じように。
だがそれは許されない事だった。責め立てる、傷つける権利が俺にはない。

「…俺にだって、限界というものがある」

ゆっくりと開かれた聖川の口からは、およそ今まで聞いたことのない唸るような声音が搾り出される。
低く、鼓膜を震わせる言葉。いやなほど耳にこびりついて離れそうにない。

「お前が女にだらしないのは以前から承知していたし、それなりに許していた。俺じゃ女の代わりは到底出来ないからな」

ぐ、と顔が近づく。
目頭をひくつかせ、沸々と湧き上がる怒りを双方の瞳に宿していた。
ギリ、よりいっそう首への締め付けがきつくなる。こらえるように奥歯を噛みしめれば余計に血が滲み出た。

「だが男は、違う。俺へのあてつけか?俺だけでは満足出来ないか?」

がつん、と後ろ頭に衝撃が走った。
壁に押さえつけられ、追い詰めるように脚の間へと聖川が入る。
彼の腕をつかむ両手はもはや、形だけの抵抗。たらりと首から鎖骨へ流れる血の感覚が、やけに生々しく感じられた。

「…そういうつもりじゃない、言っただろ。特に意味なんてなかった」
「言い訳は聞きたくない」

ぴしゃりとした物言いに、ああ、彼らしいな、と思う。

「今大事なのは、お前が俺を裏切ったという事実だ」

ぴちゃり、殴られた頬を真っ赤な舌がなぞる。
熱さと痛みしかないそれは、俺がした事をいつまでも責め立てるよう。
あいていた方の手が、ゆっくりと俺の唇をなぞる。そうして無遠慮に人差し指を押し込まれた。
その指がねっとりと口内を撫で回す。
いやな予感がする、思考の片隅で彼の意図を探る間もなく親指までもが侵入した。
思わず逃げるように舌を引っ込めようとするが、それより早く彼の指に捕まれてしまう。
舌を引かれ、だらしなく口が開かれた。
ぐにぐにと指先が舌を弄ぶ。だがその指使いにも彼の視線にも、一寸の優しさなど存在しなかった。

「したんだろう、キス。そして舐めた筈だ。舌も、指も、アレも全部」

憶測で物事を言うとはらしくない、普段の俺ならきっとそう返した。
だが今の俺には声を発する手段がない。それどころか、否定という概念すらなかった。
だらりと開かれた唇の端から唾液がこぼれる。少々血の混じったそれを、聖川の舌が舐め上げた。
かかる彼の吐息がまるで獣のようだ、と思った。

「神宮寺、俺は今からお前に酷い事をする」




遮られた視界、世界は暗闇だった。
人間というものは普段当たり前に使っているそれらの器官をたった一つ制御されただけで、ひどく不安定になる。
いや、俺が不安定になっている原因は一つだけではなかった。
ぎちりと肌に食い込むのは恐らく布だろう、それらに手足を縛りつけられ四肢の自由すら奪われていた。
後ろ手に拘束されているせいで肩が痛む。
足なんて折りたたむように縛られているせいで血が巡らず、こころなし冷たく震えた。
おまけに膝をついて、うつ伏せになっている。圧迫された肺からひゅうひゅうと掠れた呼吸が繰り返された。
先ほど殴られた頬の痛みはもう無い。だが恐らく床へこすり付けているからだろう、やけに熱かった。

「いい格好だな、神宮寺」

遥か高い位置から聖川の声がする。
それが前なのか後ろなのか、左右すら判別がつかない。
そもそも麻痺した神経では、本当に離れた位置から発せられた声なのかすら見当がつかなかった。

「何か言うことはあるか?折角口は自由にしてやっているんだ、別にだんまりのままでも構わないがな」

不意に髪を鷲掴みされ、引き上げられる。
吐き出した吐息はすぐ近くで何かに遮られるように、僅かな跳ね返りを見せた。
ああ、お前は今目の前にいるのか。それすらも上手く悟ることができないこの身がもどかしい。
恐らく聖川の指であろう、冷たいそれがついと顎を撫でる。
その感触に思わず背がぞくりと震えた。

「ぁ……っ」
「何を期待しているんだ」

軽蔑するような聖川の声音。
仕方ないだろう、だってお前がそうやって、俺に触れるから。
きっと普段通りの彼ならこのまま溶けるような口付けをくれた。
いつだってキスを仕掛けるのは俺の方で、そのくせ飽きるまで求めるのはお前の方。
俺の顎をなで、髪を弄びながら、いつまで経っても離そうとはしない。
熱くやわらかな唇の感触を無意識に、思い出していた。

「…キス、してほしいのか」

相変わらずの軽蔑。
その声音にさえ体が熱を帯びた。
思わず息が詰まる。
期待しているのだ、聖川が俺を愛してくれることに。
こくり、頷く。その瞬間顎を撫でていた手がばしん、と激しく音を立てて頬にぶつかった。

「生憎だがどこぞの男と合わせてきた唇に、触れてやるほど俺は安くない」

搾り出すような声だった。
どんな顔で彼がこんな声を出したのか知りたくて、けれど見えない方が正解のような気もした。
ぐ、と髪を掴む力がいっそう強まる。無理やりに顔を上げさせられているせいで首がひどく痛んだ。
衣擦れと共に、ジジジ、という鈍い音がする。ややあって腫れ上がった頬にぺしりと何かが押し当てられた。
それは驚くほどに熱かった。肌に触れる感触は軟らかいのに、しっかりと芯はある。
まさか、口に出すより早く聖川の声が降り注いだ。

「口寂しいのだろう、舐めればいいじゃないか」

その一言で押し当てられているものが何なのかを、理解する。
記憶の中にある彼のそれを思い出し、ごくりと生唾を飲み込んだ。

「…お前が、舐めてほしいんだろう聖川」
「口をきいたと思ったら、ロクな事を言わないんだな」

不機嫌そうな声音、そのくせ頬をなぞるそれの先端は水気を帯びていた。
大きく口を開き、舌を伸ばす。
頬を滑らせ強引にそれを口の中へと捻じ込まれる。予想だにしない質量に、ぐ、と喉の奥から色気のない声が漏れた。
奪われた視界、拘束された四肢。唯一自由だったはずの舌すら主導を奪われる事に本来なら屈辱を味わっていただろう。
けれども今の自分には、膨張したその熱へと従順に奉仕する事しか残っていなかった。
ぬるりと唾液を塗りつけるように側面を舐める。
根元まで咥えこみ、口を窄ませ先端までを吸い上げるように動かせば聖川の口から僅かな呻きが漏れた。

「ッ…神宮寺、お前はそうやって他の奴のモノも愛撫したのか」

否定も肯定もしなかった。
今更何かを言ったところでもう、彼の怒りを買うことはあれど事態が良い方向に進むなんて事はないのだ。
いつの間にか髪を掴むのは両の手になっていた。深くまで咥えるように、頭を押さえつけられる。
息苦しさに思わず、目隠しの布にじわりと涙が滲んだ。
はぁはぁと、鼓膜を震わせる彼の吐息は荒い。彼の表情を窺えないことが急に、不安になった。

「っは…もういい、もう放せ」

唐突にずるりと口の中のものが引き抜かれる。
名残惜しむように追いかける舌から、飲み込みきれない唾液が垂れた。
その唾液を拭うように聖川の指が唇をなぞる。思わず舐めようと舌を出すがさらりとかわされた。
聖川の手が離れ、再び床へと頬をつく。息の上がった状態で、腰を上げて這いつくばるこの体勢には苦しいものがあった。

「…ひじり、かわ」
「何だ」
「目、外してくれないか…」

ずりずりと顔を床に擦りつけ、何とか目隠しをずらそうと試みる。
だがそんな俺の言葉に奴は一寸とも動かなかった。ああそうか、裏切り者にくれてやる優しさなんてもう無いんだな、お前。
いつの間に背後へ回ったのか、聖川の冷たい手がひたりと尻朶に触れる。
押し広げられたそこへ先ほどまで愛撫していた唾液まみれのものがひたりと当てられた。その先に待つのは嗜虐的な行為しかないと、理解して少し悲しくなった。
ろくに慣らされもせず聖川のものが押し込まれる。いくら唾液の潤滑があってもぎちりと身を裂く痛みはちっとも楽になりはしない。
背後から包み込むように、聖川がのしかかる。首筋に触れた唇からは苦しそうな呻きが漏れた。

「ぁぐ…!力抜け、神宮寺」
「…こんな体勢で無茶、言わないでくれるかな…」

ず、ず、と強引に聖川が押し入る。
その腰使いは己を慰めるものでも互いに快楽を与えるものでもなかった。ただ、俺を責め立てるためだけのもの。
こんな風に抱かれるなんて微塵も思っていなかった。どこかで彼を冷静な男だと、勝手に決め付けていたのだ。
裏切りに逆上し、怒りに身を任せて他人を痛めつけるような人間だなんて思ってもみなかった。
俺の知らない聖川がここにいる。それはひどく恐ろしくて、けれども――。

「っ…慣らしていないくせに、貴様のここは容易く男を飲み込むんだな」

熱く硬いそれが内壁を抉る。
ぐちゅりと粘膜を擦る音の卑猥さに腿が戦慄いた。
激しく打ち付けられる腰に痛みが走る。後ろ手に縛られた両手を、ぐ、と強く握り締めた。
やがて限界を感じたのか、奥深くへと聖川の熱が注ぎ込まれる。非生産的な行為の末路はいとも呆気ない。
ぐたりと背に彼の重みを感じた。ず、と腰を引かれる、己の中から抜かれてゆくその感覚にぞくりと身が震えた。

「なぁ神宮寺、男のモノがどうしてこんな形をしているのか、知っているか」
「…中のモノを、掻き出すための形だろう」
「よく知っていたな、いやお前からすれば当然か」

ぴたりと、腰の動きが止まる。
撫でるように彼の手が髪に触れ、目隠しが外される。唐突な眩しさに思わず目を瞬かせた。
手足は已然として自由が利かぬまま、ごろりと仰向けに転がされる。
おかしな体勢の所為か、繋がったままのそこがひどく痛む。心なしか聖川のそれは熱を取り戻していた。

「どこぞの男のモノがまだ残っているかもしれないな」

ぼやけた視界の中で、聖川が嗤う。
細められたその瞳にはどこか残虐さを湛えていた。
例えるならば虫けらを踏み潰す子供のように、そこに慈悲はない。
今まで見たことの無い表情を、させてしまった事に少なからず後悔した。




本当に意味なんて無かったんだ。
ただ何となくの気まぐれで、俺はあんな事を"言ってしまった"。

「痛くされたかった訳じゃないんだ」

紫に腫れあがる両手首をさすりながら覗き込んだ聖川の表情は、ひどく悲しげなものだった。
かろうじてこちらを見てはいるものの、その目には後悔の色以外何一つ見えやしない。

「その目、やめてくれないか。ちゃんと俺を見ろよ聖川」

手を伸ばせば、指先に触れた肌はまるで血の気が引いたように冷たかった。
両手でそうっと暖めるように包み込んでやる。途端、堰を切ったように彼の瞳からは大粒の涙が零れた。
目尻に唇を寄せる。
本来ならこういうことは女性相手にすべきだろうと、彼は笑ってくれるのに。

「…泣くなよ、悪いのは俺だ。お前は俺の欲求に答えてくれただけ、そうだろ?」

あやすような声音を彼は嫌がるだろうか。
縋るように背へと回された腕は温かく、けれども満たされない自分が居た。
最初はただ愛されたかっただけなんだ。
真っ直ぐに純粋に、俺を想って欲しい、と。
それがいつしか歪んだ形になっている事に、気づいたところでもう衝動は抑えきれない。
一方的な欲求、独り占めの愛情。無いもの強請りは段々と膨らんでゆく。

「…神宮寺、教えてくれ。どうして浮気したなんて嘘ついたんだ」

懇願するような声を喉の奥から捻り出して、聖川は俺に明確な答えを求める。
自分の行為の正当性が打ち破られたことへのショックなのか、冷静さを欠いた彼の姿はひどく痛々しい。
けれども俺にはそれが、たまらなく愛おしかった。
ひたりと密着する体、見つめる彼の瞳には間違いなく俺以外何も映ってなどいない。
その視線を独り占めしながら、瞳に映る自分はふわりと微笑んだ。

「言っただろう、特に意味なんてなかったのさ」

そうしてまた俺はお前に、無意味な嘘を繰り返す。



END.









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