雨音、てのひら、浮かぶ虹。(翔那)




朝見たテレビの天気予報では、少し幼さの残る愛らしい気象予報士が「はれときどきくもり」と言っていた。
その程度ならば。
そう気まぐれに散歩なんて考えてしまった、ほんの一時間前の自分を呪いたい。

「参った、どうしましょう…」

見上げる空は分厚い雲、大粒の涙を滴らせる。
幸い葉の生い茂った大木の元へと避難できたからいいものの、この様子ではまだ暫く雨は止みそうにない。
広い学園の敷地内、寮まで大分距離がある。
ずぶ濡れを覚悟して帰ろうか、とも思ったが季節は初秋。下手に濡れて風邪をひくのは御免だった。

「…とりあえず、少しでも雨足が弱まるのを待ちましょう」

木の幹に背を預けて、ふかふかの芝生へ腰を下ろす。
湿気で少々湿っているがそれでも座り心地は良好。再び見上げた雨空は相変わらず絶え間なく泣いていた。
雨は、あまり好きではない。寒いし濡れるし、いい事ないよ。
かといって嫌いという訳でもなかった。
目を閉じ耳を澄ます。空気の振動が体中の産毛をかすかに震わせた。
しとしと、降り注ぐ雨の音。
ぼたぼた、大きな葉に当たる雫。
ひゅうひゅうと風は凪ぎ、拡散した小粒の水滴が細い葉を揺らす。
ぐずぐずと土に染み入る鈍い音すら鮮明に聞こえた。思う、ああまるでここは一つの演奏会だ。
たった一人、自分という観客のためだけに用意された音の洪水。
鼓膜全体を震わせ、全てを覆い尽くすほどの圧倒的な音、音、音。
ひとつひとつが確かな主張をしていて、けれど違和感なく混ざり合う。
自然とそれらの単音が繋がり、奏でる旋律の心地よさに思わず歌声を乗せたくなった。

「…あ、でも僕が邪魔しちゃったら、折角の音が聞こえなくて勿体ないですね」

くすくすと笑う拍子に立てられた衣擦れの音さえ、耳障りが好かった。
しんしん冷えゆく体も気にならないほどに今この時が、楽しい。
閉じた目蓋の向こう側では彼らが、まるで踊っているようだった。




どれほどの時間をそうして過ごしただろう、やがて雨音が控えめなものに変わる。
そして聞こえてきたのは、微かに芝生を踏む音。
遠くから徐々に近づくそれは、よく聞きなれた音だった。
ばたばた、ビニールを跳ねる水。ぬかるんだ土はやわらかく踏まれ、自分のものとは別の呼吸音がした。

「…こんな所に居たのか…那月、帰るぞ」

ぱちりと開いた目に飛び込んだのは、曇り空を背に輝く金の髪。
透き通る二つの青はまっすぐとこちらを見据えていた。

「翔ちゃん…どうしてここに居るんですか?」
「おめーが出かけたっきり帰らねーからだ、バカ。携帯も何もかも置きっぱなしで何してんだよ」

ずい、と一歩近づいた彼がこちらに手を伸ばす。
そのてのひらに自分の手を重ねた。あたたかい、きゅっと握れば強く引かれる。
立ち上がり、服についた土や葉をぱんぱんと払う。先ほどまで下敷きになっていた草はへたりと萎れてしまった。
ごめんね、でもありがとう。小さな観客席に心の中でそう呟いた。

「翔ちゃんも、ありがとう。心配して来てくれたんだね」

よくよく見れば彼の足元はしとりと濡れ、だいぶ長い間雨に濡れていたのだと見て取れた。
心なしか息も荒い。きっと走って探してくれたんだね。
おう、と照れたように小さく笑う翔ちゃん。その笑顔がまぶしくて、格好良くて。まるで僕には王子様のように見えた。

「で、だ。悪い那月」
「はい?」
「…傘、一つしかない」

探すのに必死で、つい忘れた。
申し訳なさそうにしょんぼり告げる翔ちゃんがちょっとおかしくて、僕はつい笑ってしまう。
肝心なところで格好がつかない、けれどそんな部分も彼の魅力。

「いいですよ、相合傘ですねぇ」
「バカそんなんじゃねー、いいからとっとと入れ」

差し出された傘、彼の隣へ滑り込む。
身長差のせいでほんの少し腰を屈めると、それに気づいた翔ちゃんはさりげなく傘を持つ手を上げた。
お互いが無意識に、顔を見合わせる。
そうして翔ちゃんが一歩、足を踏み出す。
歩幅に合わせて同じように足を出せば、二人の足音は心地よく重なる。
しとしと、雨足はだいぶ弱まった。
ビニール傘の隙間から空を見上げれば、遠くでは雲の切れ間から光が差し込む。
輝く陽に照らされて、雫たちはきらきらと七色に喜んだ。

「…くっついて歩けよ、濡れてもしらねーぞ」
「はぁい」

ぴたりとふたり、近づくように。
傘を持つ翔ちゃんの手に自分のてのひらを重ねた。



END.









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