夜と朝のあいだ(マサレン)




ああ、まただ。
もぞりと寝返りをうった視線の先、離れた場所に置かれたベッドの上の人影。
暗闇の中その人物――神宮寺レンは起き上がり、けれども何をするでもなくただぼうっと宙を見つめていた。
かろうじてカーテンの隙間から差し込む月明かりにすら背を向けるその姿は、あまりにも異様。
もぞり、もう一度寝返りをうつ。
衣擦れの音に気づいたか、こちらに向けられた瞳がぱちりと瞬いた。

「…聖川、悪い、起こしたか」

起こすような事など何もしていないというのに、どうしてだか申し訳なさそうに呟く。
その声に、いいや、と短く答えれば彼はほっと息をつき再び瞳を瞬かせた。
瞬間、月明かりにきらりと目尻が光る。
俺はそれに気づかぬ振りをして、手繰り寄せた布団に顔を埋めた。

「神宮寺、眠れないなら何かしてもいいぞ。電気だって少しくらいなら構わない」
「いや…別に、大丈夫だ」

視線を逸らす神宮寺はけれども眠りにつくといった風ではなかった。
時々彼はこうして眠れずの夜を過ごしている。
いや、もしかすれば見ていないだけで彼は毎晩、何かを押し殺すよう静かに涙を流しているのか。
それは恐らく俺にとっては関係のない事だし、知られたくもない事だろう。気づいたところで今までずっとそ知らぬ振りをしてきた。
だが、どうしてか今夜は。
声をかけてしまった事を今更悔やんでも仕方ない。
それでも彼の普段見せるものとは違う雰囲気に、余計なことをした、と己の浅はかさを責めた。

「…聖川、ちょっとした話を聞いてくれないかな」

彼は視線を逸らしたまま呟く。
お前が俺に話なんて珍しいこともあるな、本来ならそう茶化してやるべきだったのかもしれない。
だが開かれた口は無意識にそれを躊躇う。
一瞬考えた末、彼の方を向くようにベッドへと腰掛けた。それを肯定と取ったか、神宮寺はぼんやりと言葉を続ける。

「あるところに一人の少年が居た。彼はひどく夜を怖がって、眠ることすら恐れていた」

てっきり相談事でもされるのかと身構えていたからか、あるいは神宮寺がこんな話をする性格とは思っていなかったからか。
おとぎ話を語るようなその口調に、戸惑う。

「闇の中で瞳を瞑ることをひどく不安がる少年に、ある日誰かが言うんだ。"ならば昼間に眠ればいい、それならば眠っている間も怖くなんかない"と」

それじゃあ解決されるのは不眠に対してだけじゃあないか。
口を挟むことはなんとなく躊躇われ、仕方なしに次の言葉を待つ。
神宮寺の視線は相変わらず、どこか不安定に宙を彷徨ったままだった。

「その日から少年は昼間に眠るようになる。相変わらず夜は怖いままだけれど、耐えているうち夜は過ぎ去っていった。
 そんな毎日を続けるうち彼の中におかしな感覚が芽生えてゆく。眠っている所為で昼間の明るさを忘れた少年の目には、夜の闇が段々と明るいものに感じられていった」

神宮寺の視線が真っ直ぐにこちらへと向く。
闇の中その瞳の輝きは見えない。
ただ何となく、夜を怖がる少年と同じ表情なのだろうと思った。
すい、と何かに誘われるがごとく立ち上がる。素足で踏みしめた床はおどろくほどひんやりとしていた。

「…飽きたか?」
「いや、続けてくれ」
「…気づけば少年はあんなに恐れていた夜を、まるで昼間のように過ごし始めた。
 縮こまらせていた身を伸ばし、夜の街を独り占めするよう闊歩する少年の瞳には夜の闇など映し出されていなかった」

俺の行動に一瞬戸惑いを見せ、けれども淡々と話を続ける神宮寺の隣へ腰を下ろす。
二人分の重みを受け止めたベッドがきしりと悲鳴を上げた。

「月明かりはまるで太陽のように眩しく少年を照らし出す。眠った街の中で彼はただひとり、夜を統べる王になった…」

そこで神宮寺はぷつりと、まるで言葉を忘れたように口を閉ざした。
隣に座るその顔を覗き込む。闇の中へと溶けてゆきそうな瞳はさながら夜に囚われた者の目をしていた。

「…神宮寺?」
「ごめん、続きはまだないんだ」

そうか、と俺は短く答える。
彼はそれを了承の意味と捉えたのだろうか、小さく笑ったように見えた。
瞬間、なんて痛々しい姿なのだろうと思う。
あんな風に涙を滲ませるほどの何かを抱えているくせに、俺が見ている前では誤魔化す。そんな自分に気づかれていないとこいつは思っているのだろうか。
オレンジの長い髪がくしゃりと肩にもたれかかる。
それを払い除けることも、撫でてやることもせずただじっと神宮寺の重みを感じていた。

「…昔も、こんな事があったな」
「あったっけ?」
「あっただろう、覚えてないのか」

それは夜ではなかったけれど。
子供の時分、神宮寺と共に過ごした時間のことをよく覚えている。
純粋に、寄りかかる存在がほしかったのであろう彼は甘えるという行為があまり上手くないからか、はたまた自分のほうが年上であるという自覚があったからか。
言葉では絶対に言い表さず、そのくせ物欲しそうな視線を俺に向けていた。
子供らしく素直に誰かを求められるほど器用でないのは俺も同じだったけれども。
彼を言い訳に、まるで心の穴を埋め合うがごとく寄り添っていた幼少時代。
あの頃の俺は摺り寄せられた神宮寺の体を、どんな風に受け止めてやっていたか。

「…言われてみれば誰かに寄りかかって、頭を撫でられてた気がするな。あれは聖川だったのか」
「ちゃんと思い出すよう撫でてやろうか?」
「いいさ、もうあの頃とは違う」

その声音はどこか昔を懐かしむような、羨むような。
寂しさを纏う彼の、心の穴を埋めてやる者は俺以外に現れなかったのだろう。
いや、俺だって埋めてやるには不十分すぎた。だからこそ神宮寺は今もこうして…。

「…神宮寺、さっきの話は結末すらも決まっていないのか?」
「ああ、長らく未定のままだ」
「そうか…」

ふと、頭に浮かぶ一つの道筋。
夜を怖がる少年の姿がじわりじわりと形作られてゆく。

「なぁ、その話の続きを俺に託してくれないか」
「……は?」

神宮寺の長い髪を撫でれば一本一本が指の間をすり抜けるようさらりと流れた。
形をなぞるよう耳に触れる。
その後ろ、擽るようにキャッチを外すと彼の耳たぶを塞いでいたピアスはいとも簡単に転がり落ちた。

「え…なに、ひじりかわ」

ぽかりと開いたピアスホールへと舌を這わせる。
彼は戸惑うように身を引こうとはするが、嫌がる素振りは見せなかった。
ちゅ、ちゅ、と執拗に弄る。薄く肉のついたその穴を埋めるのは無機質でちっぽけな鋲などでいいはずがない。
ひじりかわ、ともう一度彼が名を呼ぶ。物欲しそうな瞳を隠すよう閉じられた目蓋に、やわらかく口付けた。

夜を恐れ昼間に眠った少年の目蓋は、いつ開かれたのだろう。
闇はどこまでいっても闇でしかないのだ、明るさを感じる事などありえはしない。
夜を、闇をその瞳に映したくないという一心で少年は、その目蓋の内側に世界を閉じ込めたのではないか。
そして閉じられた先にあるものもまた闇だという事実を隠すために、少年は自分を取り巻く全てを騙す。
なぁ神宮寺、少年はどうして夜を怖がっていたのだろうな。
誰かのぬくもりを感じることもなく、心に開いた穴を夜風がすり抜けていく、そんな夜。
少年が怖がっていたのは夜そのものじゃないよ。
ただひたすらに、孤独な自分と向き合うのが怖かっただけなんだよ、お前は。

「…神宮寺、夜の終わりには必ず朝が待ってるんだ」

眠りから覚めた時に、おはようと温かな笑顔をくれる存在が居てもいいだろう。
それは自らを偽ったお前が、まるで着飾るように連れている女性たちではない。
寄せられた好意を一度手放してしまった俺だけれど。
孤独な夜を優しく照らす月明かりのような、肌寒い朝にあたたかな目覚めを運ぶ朝日のような。
お前にとっての俺を、そんな存在にさせてはくれないか。

はは、と神宮寺が小さく笑う。
長い睫毛を震わせて開かれた彼の、双方の瞳に映る己の姿がぐらりと揺らいだ。

「俺は所詮なり損ないだな、本当の王はお前だよ聖川」

寄りかかるべき存在を失ったのは彼だけではなかった。
闇のように開いた穴を、見て見ぬフリして目を閉じたのは誰?
彼を言い訳に、寄り添ったのは誰?

「あ…」
「眠る振りして、痛々しいよお前。見ているこっちが悲しくなるくらいに」

神宮寺の指先が目元を撫でる。
つ、となぞられた目尻に彼の唇が触れた。柔らかな温もりはどこか懐かしい。
頭に思い浮かぶ幼少期の二人もこうして触れ合い、温もりを分け合っていた気がする。
愛されたい子供。そうか、寂しかったのは自分も同じ。
互いの穴を埋めあおうと寄り添ったのは必然だったのかもしれない、気づきたくない己の感情を二人ごと閉じ込めたのは俺の方だった。
こつん、と額を合わせる。
青い髪にくしゃりとオレンジの髪が混じって、何だか朝焼けのように見えた。

「…聖川、昔っから甘えんの下手すぎ」
「お前だって同じだろう」
「そうかもな」

俺を理由にして彼はこれからも涙を流す。それを受け止めてやるのは自分で、受け止めてやりたいと思うのも自分だ。
夜はまだ永い、それでも必ずいつかは明ける。
次にこの瞳が開く時、紡ぐ言葉がおはようの合図だったらいいと笑ったのはどちらだろう。
求め合うように重ねた唇はまるで、互いの隙間を埋め合わせるようだった。



END.









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