〔82〕

ドフラミンゴが放った糸をリイムは間一髪で避けるもその隙に体勢を立て直したトレーボル。分断されていた体が、タイミング悪く元の姿へと戻り始めた。
リイムは避けた拍子に足下のガレキでバランスを崩す。刀でどうにか持ち堪え体勢を立て直すも、軌道を変え再度襲い掛かる糸を弾き飛ばした頃には目の前では自由を取り戻したトレーボルが鼻水をすすりながらぐにゃりと顔を歪ませていた。
「んね〜〜!!元に戻った!死神リイム、お前はもう満身創痍だろう??」
「クソッ!」
これでは形勢が逆転してしまう……焦りリイムはドフラミンゴへと視線を移すが、元に戻ったトレーボルを見てもう問題ないと判断したのだろう、その矛先は再度ローへと向かっていた。
「……アイツの自慢の運も、ここまでのようだな!!」
「……」
「それにしても!お前が“D”!?隠し名か……お前がここへ来たのも運命と言いてェのか……コラソンはお前に何を吹き込んだ!?“D”ならおれを止められるとでも!?“天敵”なんざ迷信だ!!」
そんなドフラミンゴの声と、糸と刀がぶつかる音がリイムにも聞こえる。意識の全てが二人に持っていかれそうになりながら、今はまずトレーボルを討ち取らなければと凍雨をしっかりと握る。
しかし、まるで余裕とでも言わんばかりにトレーボルの視線もまた、ドフラミンゴとローへと向けられていた。
「……確かにこんな状態だけれどっ、余所見してるんじゃないわよ」
「オイオイドフィ気をつけろ!!ローの能力圏内だ!」
「……この気味悪い鼻水がァ!!!」
「“注射……ショット”!!」
ローもリイムも、討つべき敵へと意識を集中させた。瞬間、ローはドフラミンゴの腹部へと攻撃を命中させ、その衝撃を受けたドフラミンゴは口から血を吐き出す。そうしてローはようやく、先程のドフラミンゴの問い掛けに答えた。
「コラさんも百も承知だ……名前一つでお前に勝てりゃ世話はない、それはきっかけだった……おれは、優しいコラさんがあの日引けなかった引鉄を!!代わって引きに来ただけだ!!」

ローの声がリイムの頭の中でこだまする。ローの言葉全てが気になって仕方がない。それでも確かに今、刀はトレーボルのわき腹辺りを捉えたはずだった……嫌な汗がリイムの額から流れ落ちる。感触が全くなかったのだ。
確かにこの刀は貫通したはずだったのに、と、リイムは冷静に考えようとすればするほど乱れる呼吸をどうにか落ち着かせようと一歩後ろへと後ずさる。トレーボルはドフラミンゴの身を案じ声をかけながらも、息を切らすリイムへと迫る。
「べへへ、今のが最後の力だった?んねェ〜?」
「そんな訳、ないじゃない」
「それに!……一気に顔色も悪くなったなァ!ローがあんなにコラソンに執心しきっている姿を見るのも、」
「……黙れっ!」
「図星!??ねーねー!ドフィから聞いたんだ、お前、コラソンの事ローから一切聞かされてなかったんだろ?これだけ命を懸けても何も知らなかった!ねー、そうやってムキになるって事は」
「……ッ」
耳に入るもの全てが気に障る、うるさい。こんな感情になった事が確かいつかあった気がする……リイムは少し霞んで見える世界を見ながら思い出す。――ああ、こんなにも簡単に。懐かしいような、何かが体を駆け巡っていく感覚を得たリイムの周囲には急激に風が吹き荒れ、疾風は刃のようにトレーボルの腕をかすめるとその体を勢いよく倒した。
「でぇ〜〜〜!!まだそんな力がっ」
「なによ……あんなに守りたいと思っても上手く使えなかった能力が……バカみたい」
そう小さくこぼした言葉は誰かの耳に入ることはなかった。歯を食いしばり立ちすくむリイムを避けるようにローの刀線が王宮の一角を斬ると、すぐに周囲をROOMが包んだ。
「“タクト”」
大きく切り取られた外壁塔が宙に浮き徐々にドフラミンゴ達の頭上に迫る。このままここにいれば衝突に巻き込まれる……リイムは妙に冷静に外壁塔を見つめていた。
何故か足が動かない。なんだやっぱり、もう私の体は限界なのか。そういえば、この似合わないドレスも随分と血が滲んで黒く汚れているし、傷口も、その周囲も熱く熱を持っている気がする。そう思うと急に力が抜けててしまったかのようにリイムの体は膝から地面へと崩れそうになる、その時。
「“シャンブルズ”」
ぐらり、体が揺れ急激に景色が変わると同時に一瞬、誰かに力強く抱きしめられたような温もりをリイムは感じる。それは近くにいたと思っていたのに、今ではもう随分と遠い、けれど大切な人の……
「泣かせてばっかだな」
「……!」
そうとだけ聞こえてすぐにリイムが感じたその気配は遠のいてしまった。そして今自身のいる場所がつい先程までローがいた所であるとリイムは理解する。見上げればドフラミンゴの糸で、巨大な外壁塔が粉々に砕けていく。そうすることで直撃を避けたのだろう、今度は散った瓦礫がドフラミンゴ目掛け飛んで行った。王宮にそれらが激突し煙が立ち込め視界が悪くなる。
「……泣いてなんて、ないのに」

……確かに、あの瞬間泣いてしまいたかった。感情のままに泣き喚いてしまいたかった。恐らく、今そうしたら私の能力は制御しきれずに簡単にこの島を飲み込んでしまうのかもしれない。体中を駆け巡ったあの感覚は、自分でも恐ろしいと感じてしまった。一つの仮説を立てたと同時に、あまりにも不安定なこの能力を、自身をリイムは呪った。感情の起伏と能力の関係性。負の感情がまるで低気圧のような……
「……もしかしてそういう事、なの?」
リイムはハッと顔を上げる。急に光がさしたような、そんな気がして自身の手を見つめた。そうだと分かってしまえばこんな厄介な能力もどうにでも出来そうな……そう思い視界から消えたローを追おうと辺りを見回したリイムの背後には黒い影が迫っていた。
「んねー!!」
「!!」
すぐにリイムは身を返し刀を抜き払うが、その斬撃はまるで見当違いの方向へと飛んだ。どうしてかと考える間もなく刀は手から滑り落ち、背中を強い衝撃が襲う。リイムの体は受身を取る事も出来ずに地面に叩きつけられた。


「無駄な攻撃を繰り返すんじゃねェよ……すっかり根性丸出しの熱い男になっちまいやがって……」
ローの繰り出した右手は簡単にドフラミンゴによって阻まれ、そしてそのまま掴まれてしまう。宙に浮いたまま、ローは目の前の男を見据え、男は静かに語り始める。
「お前がもし本気でおれを殺したかったのなら、カイドウとおれをぶつける作戦だけに終始すべきだった……だが、コラソンへの思いで感情を露にし、おれに直接一泡ふかせようと思った瞬間……お前の“死”は確定した!!」
「……」
「覚えてるか?あの時の“文書”」
そうドフラミンゴに言われたローは、コラソンとの遠い日の記憶を思い起こす。それはこれまで生きてきた間いつでもすぐ側にあったもので、“文章”にまつわる記憶を引き出すのにそう時間はかからない。
……3年で死ぬとわかっていた珀鉛病の自分を、ドンキホーテファミリーから連れ出し、どうにか治すのだと、生きるのだと共に旅した半年の出来事。
運命の、オペオペの実をめぐるミニオン島での出来事。自身の為にオペオペの実を奪い重傷を負った大好きな、大切な人……コラさんから託された一通の文書。ローが思い浮かべるのはその筒を握り締めた幼い頃の自身の姿。
『この筒一つで……“ドレスローザ”という国を救えるんだ』
『ありがとう、私が預かる、安心してくれ』
コラソンとヴェルゴ、それぞれの表情がローの脳裏に今でも嫌という程鮮明に映し出される。海兵に渡すようにと受け取ったそれが、皮肉にも海軍に潜入していたファミリーのヴェルゴの手に渡ってしまった13年前のあの日。
「コラソンはこの“ドレスローザ”を救おうとしてたんだ!!」
「!!!」
「お前があの日ヘマをしなきゃこの国に降り注いだ数々の悲劇は起きなかったのかも知れねェ……」
「……お前がそう思うのか?」

あざ笑うかのような表情を浮かべるドフラミンゴに、すぐにローが言い返したその時……雲に覆われていたドレスローザの空がより一層暗くなり、突如として異様な重い空気に包まれた。傷を負っていてたローも、そしてドフラミンゴも何とも言えない体の痛みに小さく声を上げる。
その異変にはドレスローザにいるほとんどの者達が気付く程だった。海軍大将、藤虎の重力かと思う者もいたが、上空の異変から急激な気圧の変化であるとリイムを知るものは答えを得る。
「フッフッフッ……リイムか、虫の息でよくやるよ。だが、いつまで持つか……お前が一番よく分かってるんじゃねェのか?ロー」
「……」
「あの能力の性質上、今が一番、本来のウェザウェザの実の力を発揮できるだろうが……当の本人が死にぞこないだ。そのまま命ごと持ってかれちまうかもしれねェだろうよ」
「……どういう意味だ」
「知りてェのか?知ったところでお前にリイムは救う事なんかできやしねェ。まァ一度話を戻そう、その後まだ生きてりゃァ、冥土の土産に教えてやってもいい」
ニヤリと顔を歪ませたドフラミンゴは足を上げ、真っ直ぐに伸ばす。そしてそのままその足をローの肩へと運んだ。
「おれに言わせりゃあの“文書”がどうであれ作戦を変え……この国の王座にはついた!!つまりだ、コラソンが命を賭けてやった事は結局全てムダだったって事だ」
「それはこれからおれが決める!!!おれが死ぬまでにやる事全てが……コラさんの遺した功績だ!!!」
「成程、そりゃ泣けるはなしだ……そうさ!どんな悲劇も失態も!!起きちまった事だけが現実っ!!!お前が“オペオペの実”を食って逃げた事も、パンクハザードでおれにキバをむき!今ここにいる事も!!」
宙に浮いていたドフラミンゴは、ローを掴み足を肩にかけたまま急降下を始める。そうして空から落ちてくる二つの影を、リイムはトレーボルのベタベタの実の能力によって地面にはりつけられ、そして左足を突き刺され朦朧とした意識の中で見つめていた。
そして、衝撃と共に聞こえた痛々しいローの叫びとトレーボルの笑い声にリイムは目を見開く。徐々に見えてくる人影……そこには信じがたい、右腕のないローの姿があった。
「フフフ!!もう一人の“D”に感化されてかお前が直接挑んできたのも起きちまった現実!!だからおれは許す!実の父と弟を許したように……“死”をもってな!!」
「くっそォ……!!!」
「処刑はやはり“鉛玉”に限る……!」
銃口をローへと向けたドフラミンゴ。リイムが高ぶる怒りを能力に乗せようとした瞬間、大きな衝撃音を伴ったルフィの声が辺りに響く。
「“JETガトリング”〜〜〜!!!ミンゴォ〜〜〜!!!出てこォ〜〜〜い!!!」
その声に、あぁ、とリイムは笑みを浮かべた。根拠はないけどもう大丈夫、ロー。きっと、ルフィならローをみんなの所へ、帰るべき場所へと送り届けてくれるはずだから、と。
「……フフっ、ル…フィ……後は…お願い」
ルフィの怒りを受けた影のドフラミンゴは天井を突き破り下階から吹き飛ばされ、最上階にバラバラと崩れ落ちる。そして空は明るい光に包まれ、一筋の雷が王宮の最上階へと、真っ直ぐに降った。



「ちょ!!危なかった〜〜!この女ァ!」
「ハァ……ハァ、おい……リイム……ッ!」
「随分王宮も崩れたな……もう少しで直撃する所だったが、ローもいたってのにそれでも構わねェっていうのか?リイム」
落雷によってごっそりと削れた王宮。凄まじい地響きはドレスローザ全土に広がった。しかし空はゆっくりと、元の曇り空へと色を変えていく。それはリイムの意識、はたまた命が潰えた事を意味するものだと、数名の者達は理解していた。
返事のないリイムに、ドフラミンゴはチラリと穴の空いた空間を覗き見る。ルフィがベラミーを止めろと叫ぶとドフラミンゴはその通りベラミーを解放し、再びローの前へと立った。
「フッフッフッ、お前の優秀な右腕は力尽きたようだが……教えてやるよ。ウェザウェザの実の一般的とされる能力、それは負の力が働けば働くほど絶大な力を発揮する、低気圧みてェなもんだ……命をかけりゃ島ひとつどころじゃねェ規模の天変地異をもたらす。
お前がいつあの場に着いたかは知らねェが、マリンフォードでも一度、その片鱗を見せた事があった。その時のリイムは随分と荒れていてな」
「……」
「利口なお前ならここまで言えばわかるだろう?……コントロールと使い方によっちゃ何とも凶悪な悪魔の実、コイツの母親はその点では優秀だった。それ故……まァこれ以上死にゆくお前に話しても仕方がねェな。お前を目の前で殺されたリイムが怒り狂う姿を見てみたかったんだが……」
「……黙れ」
「今の一撃からして、本人もそのトリガーに気付いたんだろう。だが、おれに受けた傷も効いてたんだろうよ、こうして王宮を崩しただけだ。このまま死ねば正真正銘の無駄死に、お前ら二人揃ってお似合いじゃねェか。こうなっちまったのも現実だ!!ロー!!」

静かに目を閉じたままのリイムは、ただ眠っているだけのように……ローにはそう、見えた。
……あの日、雪の中目を閉じて動かなくなったコラさん。でもリイムならもう一度、起き上がってまたいつものような捻くれた言葉を吐くのだろう、俺をからかい笑うのだろう、昼寝をしてるだけ、なのだろう。そう信じたい気持ち。
立ちはだかるドフラミンゴとトレーボルへと視線を戻して、ローはその思いを静かに心の底に沈めた。




祈り

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