ふと、ある日の、リイムが正式に副船長になったばかりのころの、ただの平凡な一日。そんな日のやり取りをおれは思い出していた。



「……何真面目に読んでんだ」
「あっ、おはようございます! いや、まぁ気象現象に詳しくなっとこうかなぁと思いまして……」

 ふらりと食堂へと足を運んだおれはずいぶんと珍しい光景を目にしていた。いつもならまだ部屋にこもって細かい作業をしていたり、ベポやペンギンと何かしら騒ぎを起こしてる割合が高いシャチが、目の前の本に真剣な表情で向き合っていた。

「へェ、いい心掛けじゃねェか」
「でも、思ったよりたくさんあって……手ぇ出さなきゃよかったとも思いますよ、かなりレアなのとかありますし」

 ほら、こんなに全部無理っす、とぼやきながら、シャチにはあまり似合わない分厚い本をペラペラとめくる。

「ま、このでたらめな海を航海してたら普通なら見れるもんも見れなかったり、逆に珍しいのもあっさり見れちゃったりするんでしょうけど。でもなんか改めて色々見るとキレイだなぁって、これとか、これも、今まで見たことないっすよ〜」

 そう言いながらシャチがとあるページで手を止める。そこに目を向けると、写真に収められているそれらは、気象現象というよりもっと神秘的な何か、のようにもみえた。

「……実害がありそうな物以外はそんなのあったな、程度でいいだろ」
「っすよねぇ、でもリイムなら何やっても不思議じゃないっていうか、そんな感じしません!?」
「……そうか?」

 一拍おいて、おれは適当に答えた。正直なところ、そうだな、と思ったがおれはそれを濁した。

「えー、まぁキャプテンは何が起きても動じないでしょうから、いいっすけど〜」

 何がいいのか、と突っ込むのは面倒でやめた。濁したのは、素直に答えることで、あいつのことを素直に褒めるような気がしてしまったからだが……シャチはそこまで深く考えてなさそうだった。


 そんな、特筆すべきことのないやりとりだったが、たまたまシャチが開いたページだけが、今でも強く印象に残っていた。



〔94〕エピローグ



 あれから、ドレスローザを出てから一週間。記録指針では辿り着けない幻と呼ばれる象主の島、ゾウに着いたおれ達は先にこの島へ来ていた麦わら屋の仲間と合流し、そして……おれらも仲間に会うために森を進んでいた。
 手の上に乗せた一枚の紙切れ。使われることのないと思っていたベポのビブルカードがカサカサと揺れる。途中でリイムに渡そうかとも考えていたが、麦わら屋と同盟を組んでからは忘れていた。

 ここゾウに着くまでの間、あのやたら麦わら屋贔屓の船ではアクシデントばかりで、扱いの差にも正直疲れたが、リイムとゆっくり話をする時間も取れた。
 一部から無駄な気の使われかたもしたが、まァこの先そんな暇も取れないだろうと思えばありがたい時間だった。
 どちらからともなく、昔の話を始めて……リイムは全部話さなくてもいいと言っていたが、おれが話したかった。コラさんに出会う前のこと、出会ってから、死んじまった後、あいつらと出会ってからのことも……もう誰にも話すことはないと思っていたそれは、隣でリイムが聞いてくれていた。

 ペンギンがいつだか、リイムはおれの精神安定剤みたいだと言っていたことがあったが、今は少し違う、と思う。いつからか気付きかけていた気持ちは、コラさんの本懐を遂げるためには不必要なものだった。だから安定剤くらいがちょうどよかった。
 今は……一緒に進んで行くのに、これからおれにとっての自由を見つけるために、Dの意志が一体何なのか……その答えを探すために。副船長としても、リイム個人としても隣にいて欲しいと思うのだが……

 その今後を考えるにあたってひとつ、思うことがある。たぶん、これから先の航海、なんだかんだ麦わら屋達に関わることになるんじゃねェかと思ってる。振り回される、とも言えるかもしれねェが、同じDの名を持つあいつは……きっとこの先も色んな大事件を、奇跡を、起こすんじゃねェかと。
 リイムにとっても麦わら屋達は、特にゾロ屋は特別な存在だ。そういう意味でもきっと、あいつらとは長い付き合いになるんだと、思う。
 カイドウを倒す為の同盟だけで終わる気がしないというか……裏切りという言葉を知らない、海賊らしからぬそういう所が、人を惹きつけるんだろう。
 さすがに馬鹿正直に全部話すのは気恥ずかしいので簡単にリイムに伝えてみると、ふんわりと笑いながら「たぶん、そうね」と返ってきた。
 その表情は、いつになく穏やかと言えばいいのか……何か一つでも間違っていたら、こうしてそばで、この笑顔を見ることはできなかったのかもしれないと思ってしまった。
 そう考えると、これが愛しいと思うこと、なのかと、そしておれにも我慢できねェもんもあるもんだと……
 いや……
 まァ、これはいいとして。あいつらと合流したときのリアクションの予想なんかも話して、あらためておれは、今、生きているんだと、そんな感情ばかりだった。




 少し先から聞き覚えのある声が聞こえてきてくる。おれと、リイムを呼ぶ声。しだいに大きくなるその声と……はっきりと見える、よく知った姿。そして予想していたとおりの反応が、今目の前で起こってるわけだ。隣でリイムのクスクスと小さく笑う声がする。
 あいつらは泣いてるんだか笑ってるんだかわからねェが、おれも今、泣いていいのか、笑ったらいいのかはわからねェ。ただ、本当に、またここに、あいつらの所に帰ってこれたんだ、という気持ちがでかい。

「帰ってきたわね」
「ああ」
「ちゃんと言ってね」
「……」
「言うのよ?」
「わかった、わかったからそう押すな」

 早く行けといわんばかりに後ろから背中を力強く押してくるリイム。そんなリイムに押されておれは少しだけ歩幅を広げて、あいつらの所まで進む。一歩、また一歩。ある程度近づいたところで、待ちきれなかったのか一斉にあいつらが駆け寄ってきた。
 20通りの『おかえり』という叫びと共にもみくちゃにされるおれ。でも何か、反応が、少し様子がおかしいことに気付く。

「リイム!! 何突っ立ってんだよー!」
「副キャプテンも、早くー!!」
「リイムさぁん!!!」

 そんな声で振り返ってみると、リイムは少し離れた所で立ち止まったまま、こちらの様子を伺っているようだった。今にも泣きだしそうな顔をしながら、口を動かして何か言ってる。
 だが聞き取れない声量の、わざと声に出していないのであろうそれは「はやく」と読み取れて、たぶんさっさとアレを言えということなんだろう。わざわざそんなことしなくたって言……いや、言わなかったかもしれねェ。

「お前ら……ただいま、今戻った」
「おおおおお!! お帰りー! キャプテーン!!」
「キャプテン! おかえりなさい!」

 再びいくつものおかえりが辺りに響く。リイムもそれに満足したのかゆっくりとこちらに歩いてきた。

「おかえり、ロー」
「何でリイムがおかえりなんだ、お前もただいま、だろ」

 今にもリイムにも飛びつきそうな勢いのベポやペンギン、シャチ達……しかし、そのタイミングを計っているのか、はたまた考えすぎかおれに遠慮しているのか、とにかく耐えているという表情を浮かべて一斉におれに視線を向ける。
 とりあえず、ようやく手の届くところまできたリイムの頭におれは手を伸ばした。たぶん、今にも泣きだすんだろうその顔を、リイムの帽子を少しずらすことで隠した。

「うん゛……っ、ただいま! みんな!」

 待ってましたと言わんばかりの勢いで、リイムも同じようにもみくちゃにされた。こいつら、力の加減を知らねェのか。どうにか涙を拭うような仕草をした後、リイムは自分でズレた帽子をかぶり直して顔を上げた。
 おれはそのとき、リイムがゾロ屋達を例えていた、太陽みたいだと言っていた意味が、ほんの少しわかった気がした。


 ああ、そうか。あのときの……一際目を惹いた写真。それと、リイムが重なって見える。リイムは太陽というよりは……



 リイムの見せた柔和な笑顔につられたように、その周りでクルー達が嬉しそうに笑みを浮かべる。ただただ眩しいそれは、おれには縁がないと思っていた……ずっと、いつまでも包まれていたいと思うような、どこか懐かしさも感じる温かい笑顔だった。





Moon Halo

END

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