〔93〕

盛大な宴は続く。ゾロがルフィに呼ばれ立ち去ってから、リイムとローはがやがやとした一帯から少しだけ距離を置いてた。
その途中でキャベンディッシュとレオに声をかけられたり、ベビー5に謎の熱視線を浴びたりと、いくつもの宴ならではのテンションと、それをより盛り上げる酒に付き合い、楽しくもあったが自分達はもう充分だと感じていた。



適当に寄りかかれる場所を見つけたリイムとロー。リイムはゆっくりとしゃがんでもたれ掛かると、ぼんやりと船上の宴を眺める。いくつもの陽気な酔っぱらい達の声が、心地よく聞こえていた。
本当にひとつ、大きな山を越えたのだと実感していたリイムの耳に、隣にいるローの声が鮮明に届く。
「そういやさっきのアレ、ファンに何絡まれてたんだ」
「ファン?」
ファンという単語をすぐに処理出来なかったリイムだったが、ここに来るまでのやり取りと心当たりのある人物の顔を思い浮かべ、ローに聞き返す。
「ファンって、もしかしてキャベンディッシュの事?」
「あァ」
あ、あってた、そう思いながらリイムはローの質問に答えていく。
「絡まれてたっていうか……いつかお酒でも、なんて言った手前、適当には出来なかったのよね。
ローが、ルフィを追って私にお守りを渡して行っちゃった後、近くまで連れてってくれたのは彼だしね」
あの時キャベンディッシュと話した事で、少しだけ背中を押してもらえたような気がするから、とリイムは続ける。そしてふと、ローとやり取りをしたピアスの存在を思い出した。

「そういえば!」
「?」
ローにお守りとして渡してあったそれは私が持ったままだった……リイムはすぐに上着のポケットに手を入れ、ぎゅっと握りしめながら取り出すとローの膝の上にその手を乗せる。
「これ、やっぱり持ってて欲しいの」
小さな巾着に入ったピアス。一度はローがリイムに返した、リイムの意志と決意の片割れ。
それを見たローは、ピアスを持ったリイムの手に自身の手をそっと重ねるとそのまま視線を前へと戻す。

重ねられたままのローの手。これは受け取ってもらえたのだろうかとリイムは悩みつつもローに問いかける。
「ロー、あの時何て言ったの?私、全然聞き取れなくて」
「あの時ってのは、これを返した時、か」
リイムはうん、と小さく呟きながら頷く。
「あれは……また後で持って来てくれと言ったんだ。都合がいいよな。おれが死んだとしてもリイムの大切なモンはお前の手元に残る。生きてりゃそれを持って、リイムはまたおれの所に、帰ってくる」
「……」
我儘な、自分勝手な願いだ。そう思いながら、ローは少しだけ視線を下げたように見えたリイムを横目に続ける。
「……あの時、あの時のリイムが、あの瞬間のリイムは。ゾロ屋との大切な誓いよりも今を選んだんだと思ったのと同時に、このまま止まらずに消えちまうんじゃないかとも、思った」
ピアスの入った袋ごとリイムの手をぎゅっと握るロー。リイムはローの言うその瞬間とは、トレーボルとの戦いの中で首から下げていたピアスが切れてしまった時の事だろうと、すぐに言葉を返した。
「……ネックレスにしてたピアスの事よね」
「そうだ」
「あれは……うん。トレーボルに切られた時にちゃんと意識にあった、やけに冷静だった。ついに切れちゃったんだなって。確かにあれは私にとって本当に大切なモノだった。でも優先順位の問題で、これからを生きたいって、今ここでローの側にいられるのは私だけだって考えたりして」
側にいるだけで、それだけでも力になるからとレベッカに言ってもらえたから。間違ってなかったと思う……そう思いながらリイムはローの反応を待った。
「そう、か」
「そうかって、それって、どんな感情?」
「は……どんなって、」
「私が消えた時、私はローに何か残せるのかな……」

今日は随分酔いが回っているようだと、リイムはやけに眩しく見える空へと視線を向ける。ローにこんな質問をしたり、自分が死んだ後の事を考えたり。もっとローが、自分の事で悩んでくれたらと、思ってしまう。
こんな気持ちを抱くようになったのは一体いつからだろうか。
リイムがちらっとローの様子を伺おうとした瞬間、視界に急にローの顔が見えたかと思えば、酔っ払いには厳しい衝撃が頭を襲う。
ごつん、と鈍い音がする。同時に、痛ってェ、と小さな声が聞こえてきた。ローに頭突きされたのだと分かった頃には脳がぐらぐらとするような感覚で思わず空いていた手で額を押さえた。
「痛っ〜〜〜!!痛い!何するのよ!?」
「バカ」
何故突然頭突きをされたのかすぐに理解したリイムは言い返す事もなく、そうねと小さく呟く。すると、聞けなかった答えの代わりに、ローから思ってもいない言葉が返ってくる事となった。

「おれは、随分欲張りになったと、思う」
「欲張り?」
「だから、急に他の奴らに女神だなんだって言われてるのが気に食わねェ。散々死神だなんだって言ってたってってのに、一体いつからそうなったんだ」
「えっ」
パッとピアスの入った袋を掴んで取るとそっぽを向いたロー。リイムはその表情を探るように目で追う。
確かに今日、そんな言葉を何度かかけられた。言われ慣れていなくてこそばゆさもあった。
しかしそれをローが気に入らないと言うのは、純粋に女神という言葉が嫌いなのか……それとも。リイムはローの言葉の真意を聞き出そうと問いかける。
「それってつまり、私がその、それじゃダメって事?」
「そういう事じゃねェ」
「じゃあ、ロー以外にとってのそういう存在じゃローが嫌だって事?」
「そうはっきり言われると返答に困るが……まァ、今だから自白する。おれは前からそうだと、そう思ってた」
「前……から?」

口元を手で隠しながら決まりが悪そうにしているローからの突然の、予想外の自白。リイムは目を大きく見開く。
「お前と出会う前から、リイムの事を知ってから、逆説的にそうなんじゃねェかとな。そしてあの島で出会って……マリンフォードで副船長として帰ってきた時に、やっぱりそうなんだと。掴めないとされている幸運の女神の後ろ髪ってやつを、あの時おれは掴んだと、思ってた」
「そう、だったのね……」
「ま、今となっちゃそんなもんどうだっていいけどな。今更そうやって呼ぶ奴らが増えんのも都合が良すぎだろ」
リイムはそれはヤキモチみたいなものなのだろうかと、なんともくすぐったいような気持ちになり、口元の緩みがローにばれないようにどうにか誤魔化しながら続けた。
「キャベンディッシュに、実際に会ってみてそうかもしれないって、私が、幸運の女神かもしれないって言われた時、そういう捉え方もあって、誰かの為に何か出来るのなら、死神でも女神でもいいのかもってハッとした」
自分はどんな形であろうと、大切な人達の為になれるなら。笑いながら自分の後頭部に手を伸ばしてリイムは続けた。
「後ろ髪、か。あった時に死神って呼ばれるようになって、なくなってから女神って言われるなんて、ちょっと皮肉よね」
「まァどれもリイムで、リイムはリイムだからな」
「……そっか」

始まりはそうだったかもしれない。だが今となっては……努力はしてみると言ったものの、伝えたい事が上手く言葉にならず、リイムに少しでも伝わっただろうかとローが視線を向けると、隣で嬉しそうに微笑むリイムと目が合う。

あァ、おれはこの笑顔が見たかったんだ、おれが素直に、真っ直ぐにリイムに思いを向ければいいだけなんだ。ローはそう確信する。

「ゾロ屋の言葉を借りるなら、リイムが笑うとその瞬間だけは……確かに、おれは生きてるんだと実感できる気がすんだ」
「なっ……急にどうしたの?もっ、もしかして酔ってるの?」
あわあわと視線を動かした後動揺して下を向いてしまったリイムの顔にかかる髪の毛にローはゆっくりと触れ、リイムの耳にかける。
突然のローの言動に、リイムの耳元には熱が集まる。そしてそのまま覗き込むように顔を傾けたローと、しっかりと視線が絡んだ。
「……!ロー、やっぱり酔ってるわね?」
「いや、酔ってる度合いで言えばシャボンディでリイムがユースタス屋に絡まれて帰ってきた時のほうが酔ってた」
「あっ、えっ、あれは私も酔ってたけど……」
それでも視線を逸らさないローに見つめられたままのリイム。熱を帯びたその眼差し。リイムはあの時のキスの記憶を鮮明に思い出してしまう。
「あ、じゃあ!お酒、まだ飲む?」
そしてとっさに出た言葉は、酔ってるだろうと問い掛けた相手に、まだ酒を飲むかというちぐはぐなもの。口に出してから気付いたリイムは、さっきまで大丈夫だったのにと、パンク寸前の思考を必死で落ち着かせようとする。
「ちがっ、間違えた、お水!お水もらう?」
「フッ、リイムのほうが酔ってんじゃねェか?」
「私だって全然!まだまだ飲めるわ!」

それでも、いつまでたっても視線を逸らしてくれない……ローは一体どうしたのだろうかと、リイムはやけくそで体をローの方へ向けて座り直した。
何と戦っているのかわからなくなっていたリイムだったが、これならどうだと、ぐっと下唇を噛みながら何かを堪えるようにローを見つめ返す。
それが予想外だったのかローはフッと小さく笑い、目を細めた。

「死神と呼ばれるリイムも、女神だと言われるリイムも……こうやっておれの前にいるリイムには敵わねェな」

……あぁ。私はローが好きだ。そんな笑顔反則だし、誰にも見せないで欲しい。ハンコックの気持ちが少しわかった気がする。一挙一動に心が揺れ動かされるこれが、きっと恋焦がれてるって事なんだ。
本当に今更。自覚して、この気持ちをもう隠さないと思えば思うほど、全てがこんなにも眩しい。リイムはまさかこんな感情と向き合う日が来るなんてと、手元の空のジョッキを覗き込んでローの視線から逃げる。
「……っ、無理、お酒もらってくるわ」
「は、無理ってどういう意味だよ」
「飲んでないと……色々と持たない」
「色々って何がだ」
「言わせないで!ローが悪い!」

一瞬、自分の言葉を否定されたのかと思ったローだったが、リイムの様子からするとたぶん、ただ照れてるだけなんだろうと、目の前でムッとしながらもにやけるのを抑えているような顔のリイムの手首を掴む。
「そりゃァ悪かったな」
「その顔!悪いなんて思ってないくせに!」
「これでも何て言えば、どうしたら伝わんのか悩んでる。一応努力してみてるが自分でも困ってる所だ」
「そっ、それが困ってる顔なの!?」
さらりと答えるロー、そして何かを伝えたいと努力をしている……らしい。ならばと、リイムは酒を取りに行くことを諦めるが、酔いも程よく回っておりとっさにそっぽを向く。
「そんなローなんか、嫌いよ」
「……っ、お前、そんな顔で嫌いだって言った所で説得力がねェよ」
「そんな顔って……何よ、私ばっかりが、こんなにかき乱されて」
「それは、そのままそっくり返す」
「……!?」
「気持ちひとつでこんなにも、変わるもんなんだってな。余裕こいてねェとおれも無理だ」
掴んだままのリイムの腕をローは引き寄せる。前のめりになったリイムをそのまま自身の胸へと収めた。
「……もう、こんなに大勢の前なのに」
「本当に今更だな。散々人前で恋人ごっこしてきたんだ、それと変わんねェだろ」

ふわりとローの左手がリイムの頭をなでた。その瞬間、ぞわりとした感覚がリイムの背中のあたりから脳天を駆け抜けていった。
「……!!」
リイムはまさかの自身の身体の反応に石のように固まる。頭を撫でられただけなのに、これはきっと酔ってるから……ではなさそうだ。
顔は見えていないからローには気付かれていないはずだと、心を落ち着かせようとリイムは必死に返す言葉を考える。
今のローの言動はつまり、今までの恋人ごっことは違うという意味でいいのだろうかと。
それに私は今まではごっこだったから、恋人であることを演じていただけだったから、自覚、していなかったから……だから人前で抱き合おうがキスをしようが気にせずにいられたのだと、今の出来事でもう後戻りできないのだとリイムは実感してしまった。

「ロッ、ロー、つまり!」
「なんだ」
「これは、そうじゃないって事!?」
「そうじゃないってどういう意味だ」
それをはっきり言わせるのかと、リイムの脳はどんどんと沸騰していく。自覚して厄介なのは私自身の感情より、ローの言動の方だ……リイムはええい!とストレートに答える。
「だから!もうフリ、じゃないんでしょって事!私言ったわよね、自覚したからこそ、今までの事も……今も!これからだって!!恥ずかしいんだって!!」

リイムにそこまで言われて、ローは一度リイムを抱きしめていた手を緩めるとその顔を覗き込む。すると、今にも泣きだしそうな程に顔を真っ赤にしている表情が目に入った。そして目が合った瞬間すぐに、リイムはボコボコとローの胸を叩いた後、顔を見せまいと自らローの胸に突っ込んだ。

……こんなにも、余裕のない、子供のような反応を見せるリイム。今まで見た事のない表情のリイム。ローは今まで抱いた事のない感情が溢れて来るのを実感しながら、もう一度リイムを両腕でしっかりと抱きしめる。
「本当にリイムには迷惑をかけた。だからこそ、伝えていいもんか悩んで、伝えてェって、思った」
「……うん」
「全部じゃねェにしても伝わったんだと思うんだが、どうだ」
「〜〜〜!!!確かに難易度がどうこう言ってたけど!!どうだって!?そんなのわかるでしょ!?急に開き直りすぎじゃない!?」

もしかしたらローから決定的な何かを言ってくれるのではと期待したリイムだったが、こうなっては、絶対に自分から言ってやらないと心に決める。
必死に泣きそうになるのを堪える。素直になれたらいい、でも簡単には自分を変えられないし、ローは吹っ切れたのか困ってると言いながらも余裕そうでなんだか悔しい。
……それでも、この気持ちだけは抑えられない。リイムはちぐはぐな思いをぶつけるように自分の両腕を伸ばすとローの背中に回し、ぎゅっと力を込めた。
そんなリイムに、ローは答えるように抱えた腕にほんの少し力を入れ、本人も気付かぬ間に笑みを浮かべながらリイムの名を呼んだ。

「リイム」
「なに!」
「顔あげろ」
「あげない!」
「あげろ」
「絶対、いや」
「……あげてくれ」
「無理!」
「あげて欲しい」
「言い方変えたって無理なものは無理!」
「リイム、キスするから顔あげろ」
「なっ……」

一体何を言っているんだと、反射的にリイムがローの胸元から顔をあげる。しかし今まさにキスをする為に顔をあげろと言われたばかりだという事に気が付くと一気に顔に熱が集まる。
するとそれが予想外だったのかローの眉が僅かに動き、今度こそ本当に困ったような、それでも僅かに微笑んでいるような、そんなローの顔がリイムの目の前にあった。
リイムはあまりの恥ずかしさで本当に泣きそうになる。
しかしどうしようかと悩む隙も暇もなく、小さく「やっぱ、うまく言えねェな」と声がした後、静かに、しっかりとリイムの口は塞がれていた。



死神時々女神、ところにより



「そこのおかきオヤジ……麦わら達が無事に出航しちまったってのに、随分と嬉しそうじゃないか」
「そんな風に見えるか?」

がれきが降った後の海をセンゴクは見つめていた。そこへやってきたつるは、その何とも言えないセンゴクの表情に思わず大きなため息を吐き出した。
「もうちっと隠してくれないかね……!!」
「なんだ、その何か言いたそうな顔は」
センゴクの視線、向かう先は麦わらのルフィ達を乗せた船。そこにはかつて幸運の女神と呼ばれた海軍、シャイニーの娘がいる事もわかっていたつる。
Dの名を持つ者の周りには自然と仲間が集まる。トラファルガー・ローの右腕となった今もこうして、麦わらの一味とは同盟関係にあり、おそらくこれから先も……最悪な事に、麦わら達にとってのそんな存在になりえる。
海軍にとっちゃ本当に厄介な存在なのだが……と、この船出を見守っていたような穏やかな顔のセンゴクに小さく呟く。
「フランジパニ・リイム……まぁ孫みたいなもんか」
「自由な“奴ら”は好きにしたらいいんだ」
「奴ら、ね……何の事かはわからないが、部下達には聞かせられないね、全く」

センゴクに勧められたおかきを呆れながら受け取ったつる。
二人はおかきを豪快に頬張りながら、しばらく真っ直ぐに海を、徐々に地平線に消えていく船を眺めていた。

prev/back/next

しおりを挟む