修行にござる!


 ワノ国に入ってから麦わら屋と合流するまでにやることはそれなりにあった。
 大将、カイドウの首を取る討入りに向けて……拠点・食料の確保、情報収集、腕の傷と体力の回復。同じく先にワノ国に入ったニコ屋達とは過度な接触を避ける。あいつらは花の都で上手く町民に溶け込み情報を得る。もちろん定期的に報告はし合うが、おれらが、『同盟』が揃ってこの国に居ることがどこかから知る奴らにバレても面倒なので極力目立たぬようにということで話はまとまった。
 そしてとある……侍達の墓が存在する山の上、九里のおでん城跡地を根城にしたおれ達。20年前の過去からやって来たという信じ難い話だったが、詳しく聞いた上で墓を見る限り信じる以外にない。
 死んだはずの人間……あいつらも派手には動けない、ともなればリイムに花の都との連絡役、そして情報収集に当たってもらうかと思っていたがどうやら本人はそれどころではないらしい。



「ね〜キャプテン、もう何日目? アレは何してるの? 寝てるの? それとももしかしなくても修行?」

 城の跡地のすぐそば、ボロボロの小屋の外で寝転がっていたおれに向かってシャチが呟く。「飲まず食わずで刀抱えたままで、どしちゃったん? 生きてるよね」と、昼夜問わず目を閉じたまま座ったまま動かないリイムを指差すので「おれに聞かれてもな」と正直に答える。そう、おれですらリイムがこの数日していることが何なのかはわからないのだ。
 ゾウで能力について質問されて、リイムの欲した答えかは微妙だがある程度は具体的に説明した。ピンときたような雰囲気ではなかったが、あいつは「ありがとう。色々考えてみるわ」と言ってニッと笑った。
 そもそもおれの能力は『パラミシア』でリイムは『ロギア』だ。それに能力は本人次第の部分も多い……まぁおれの説明に意味があったかどうかはこれからわかるのだろう。リイムのことだ、何の策もなくああして動かずにいる訳がない。

「にしても、もったいないよなァ」
「何がだ」

 おれの隣に腰を下ろしたシャチが頬杖をつきながらふんっと軽くため息をついた。そしてピクリとも動かないリイムをチラリと見る。

「だーって、前に2人が祭りに行った時のさ、あの浴衣姿以来の可愛いしっとりとしたリイムが見られると思ってたのに……まさか男装するとか言い出すなんてさ! キャプテンもそう思わない?」
「……あいつにしっとりもクソもねェだろ」
「またまた〜、照れちゃって! いやね、かっちりした着物姿のリイム信じられないくらいバチクソにカッコいいんだけどね? 前髪上げて分け目変えただけであんなにイケメンになる? 素材? さすがおれらの副キャプテン! でもさぁ」

 そして複雑そうな表情を浮かべたあと「マジでイケメン、なんだけどさァ……」と呟いてガクッと肩を落とす。確かにリイムが男装すると言った時の錦えもんもやたら阻止しようとしていたし、鼻水垂らしながら悔しそうな表情をしていたが……そういうことだったか。
 照れちゃって、とほざいてたのはスルーするとして。実際、侍スタイルに違和感はなく、そもそも剣士であるリイムは腹立たしい程に様になっていたりする。
 シャチは『イケメン』だと称しているが、おれからすると性別など関係なく……上手く言えねェが以前の浴衣姿とは違って、異国の着物をまとい刀を抱え何かに集中しているリイムからは完成された美、のようなものを感じる。おれと同じでいつも何かしら頭に乗せるなり巻くなりしているリイムが何もかぶっていないという珍しさもある。いやまァ、浴衣姿も黙ってりゃ趣があって決して悪くはなかったが、一度は着てみたかったと言っていただけあってとにかくハマっているわけで……本人には絶対に、死んでも言わねェが。

「男装してたところで話し方も普段と変わらねェし、外見なんざこの国に馴染むこと以外の意味は持ってねェよ」
「でも胸、潰れてますよ?」
「……本人がそれで良しとしてんだ、外野がどうこう言っても無駄だろ」

 本当にこいつらは暇さえあればおれとリイムの話ばかりだ。あげく「そっか! あとで揉んで元に」とまで聞こえたので、反射的に起き上がってシャチの頭をど突こうとしたその時。

「お腹すいたァ!!!」
「うわぁ!」

 突然、リイムが目を開けたと同時に腹が減ったと叫び立ち上がった。シャチがそのリイムの声にビビっておれがど突かずともひっくり返った。そしてそこへぎゅるるる、とデカい腹の鳴る音がしてリイムが「あっ」と声を上げておれのほうを見た。

「あ〜、もしかしなくても聞こえた?」
「そりゃな」
「リイム〜! お前よく何日も食わないでいられたなァ、何してたん?」
「んー、これ説明必要かな……必要で、ござるか?」
「ちょ、リイム急に武士言葉……って! もしかして会話聞こえてた?」

 恐る恐るリイムの顔色を伺うように確認するシャチに向けて、おれの真似をしたのであろう低い声で「そりゃな」とリイムが答える。別におれは会話を聞かれていても問題ない、シャチがアホなだけだからな。
 一度喋り出してしまえば美もへったくれもねェ。そこにいるのはただのリイムだ。それにしても、ゾウの宴の時にも思ったがリイムはこんな砕けた部分を出すキャラだっただろうか。麦わら屋達との付き合いのせいか……それとも、こいつも色々と心境の変化でもあったのだろうか。

「やべっ、ってそれよりさ! 説明してくんねェとリイムただただ寝てただけになるけどいいの?」
「まぁそうなるか……わかった、簡単に説明する。でもとりあえずご飯! ベポとペンギンも呼んできて?」
「オッケー任せて!」

 シャチが半ば逃げるようにベポとペンギンを呼びに駆け出した。確かにシャチの言うとおり、このままではワノ国に入ってから寝てただけにも見える。リイムはといえば伸びをして少し体を動かした後、刀を手に、何か確認するようにそれを眺めている。

「ロー、凍雨を持ったことあったわよね」
「あァ。単体だとクソみてェに重かったな」
「ちょっと持ってみて? あ、握るだけでいいから」

 リイムの刀、『凍雨』。リイムごとかかえた場合と刀のみを手にした時の重量の差異の意味は今だに理解できない。リイムがとんでもなく軽いのかというとそうではないので、刀自体に何かあるのはわかる。本人もよくわからないらしいので妖刀だから、ということにしておいて……おれの方へと向けられた刀。断るという選択肢はないらしい。リイムの要望どおりに柄の部分をゆっくりと掴んだ。が、予想外の出来事におれは「イッてェ!!」と声を上げながらすぐに刀から手を離した。

「あ、大成功〜」
「いや、大成功〜、じゃねェよ!! 先に言え!!! こういうのはあいつらにやらせろ!」
「しっとりした私、だったら先に言ったかもね」

 なぜ手を離したかというと静電気よりも強い、おれも能力で使うような電気のようなものが走ったからだった。天候を操作した素振りはなかったが、放電現象を刀から起こしたのだろう。
 で、どうやらおれが「しっとりもクソもねェ」と言ったことを根に持っているようだ。ほら見ろ事実だろふざけんな。するとすぐに「今度は平気だから」と再び掴むように急かされる。仕方なく触れると今度は柄がひんやりと冷気を帯びたようだった。

「つまり?」
「フフフ、秘密」
「おい、人で試しておいてそれはねェだろ」
「ナミのクリマタクトとはまた違うわよ」
「そもそもナミ屋のその仕組みも知らねェからな。とりあえず、お前が意図してやってるってことでいいんだな? たまたま何かで触った時に放電されてもたまったもんじゃねェ」

 そこまで言ったところで再び、まるで返事をするかのように「ぎゅるるるる」とでっけェ腹の虫が存在を主張した。リイムはさすがに恥ずかしかったのか「はやく! ご飯!!」と小屋へと逃げるように駆け込む。そして一度中に入ったリイムはちらりと顔を半分ほど覗かせおれを見ながら「武士言葉のほうがいい?」と確認してきた。一体今更何の確認だよ……呆れ半分で「そのままでいいだろうが」と答えると見えていた顔が引っ込んで「アイアイ」とだけ聞こえた。
 イケメンかと思えば言動はリイムでしかも時々おちゃらける。が、改めて確認すると今は侍の姿。このちぐはぐな感情の処理が面倒だという点では普通の女の着物でよかったのでは、と思った。



「うぇぇぇ!? 刀に能力を貯めておくゥ!!?」
「寝てても能力を使うー!!!?」
「いやいや、そんなことできんの!?」

 もぐもぐと飯を頬張るリイムの説明にベポ達が驚く。ベポ達にもわかるように簡単に説明したんだろうが、刀に貯めておくってのはさっき実際に見た、刀を通して能力を使うというものだろうし、あれが全てではないはず。それよりもだ、寝ている間……つまり意識のない間も能力を発動させておくのだとリイムは言った。

「お前、それどういうことかわかってんのか」
「もちろんよ、おかわり!」

 茶碗をグイッとおれに向けて差し出すリイム。そこでペンギンがおれの受け取った茶碗を流れるように横から手に取り「え、つまりさっきまで寝てたように見えて能力使ってたってこと?」とリイムに問い、おかわりを渡す。「そう」と答えたリイムに今度はシャチが「でもリイムの能力って天候的なヤツだよね、特になんもなくていい天気だったと思うんだけどなんか影響してたの?」と茶をすすりながら尋ねる。すぐに「……あっ、本当は雨だったとか!? それを晴れにしてたの?」と身を乗り出した。

「いいえ、今日の天気はちゃーんと晴れ。言葉にするのが難しいんだけど……影響してないっていう影響? の練習?」
「???」

 ベポ達が顔を見合わせて首をかしげた。何を言っているかわからない、というリアクションだ。おれでもこのリイムの返答には頭を悩ませた。いくつかの可能性を考えていると「それって能力使ってるってことになんの?」とペンギンがリイムに確認する。「それがなるのよねぇ」とリイムが平らげた茶碗の代わりに湯飲みを手を取り呟いた。

「やっぱリイムのやることって、たまにわけわかんねェや」
「わかりやすかったら弱点になりかねないし、意味がわからないくらいがいいのよ」

 会話を続けるリイムとペンギンだがそこでおれは違和感を覚えた。微かに痛む傷口。耳の奥の振動。ベポが一瞬手で頭を押さえたのが視界に入る。不思議そうに辺りをキョロキョロと見回してから何事もなかったかのように会話に戻った。ペンギンとシャチは特に変わった様子もなく話し続けているが、この流れだ、リイムの仕業だろう。

「リイム、今なんかしただろ」
「え!? そうなの!?」

 ベポ達が再度驚く。リイムは少しだけ目を見開いたあとフフッと小さく笑いながら頭をぽりぽりとかくと「さすがロー殿でござる」と呟いた。

「気付いちゃったのね。こっそり試してみただけなんだけど」
「えー! 能力使ったん? 今普通にお茶飲んでたじゃん!? 全然わかんなかった」

 つまりだ、リイムは寝ている間どころじゃなく、起きていても既に能力を発動した素振りを見せずに使える、ということだ。

「……お前ら、とりあえず飯食い終わったんなら、一旦その辺見回ってこい」
「あ、アイアイ!」

 おれが出ていくように促すとベポ達はやけに機嫌よさそうに小屋から出ていった。もちろん素直に従った、のは半分程度で半分は「二人きりになりたいんでしょう、どうぞどうぞ」とでもいわんばかりのぶん殴りたくなるような表情だった。特にペンギンとシャチが。とりあえず後で一発ぶん殴るとしておれは問題のリイムの能力について問いただそうとリイムの方へと向き直し片肘をついた。すぐにリイムはその意図を汲み取ったのか「……わざわざみんなを締め出して、何かあるの?」と首をかしげた。

「念のため確認しておこうと思ってな。『寝てる間能力を発動しっぱなしにする』ってのは、睡眠時はオート、活動時はマニュアル……ってことだよな。まさか『起きてようが寝てようが常に能力を発動させておく』とか無茶苦茶やるわけじゃねェだろうな」
「聞かれなきゃ言うつもりはなかったけど、そのまさかのほう」
「は」
「常時」

 当たり前だとでも言いたそうにリイムは茶をすすりながら答えた。いや、ゾウでも「リスクが大きすぎるような」と呟いていたのを聞いている。それが何を指しているかはおれにはわからないが、どう考えたって負担にしかからないであろうそれをする意味はあるのだろうか。

「さすがに使いっぱなしってのは賛成できねェ」
「ベポ達には特に突っ込まなかったけど、使いっぱなしっていうのは合ってるようでちょっと違うのよね。まぁもともと睡眠時間も短めだし、昼寝で補ってる生活リズムだからこそいけると踏んだの。今はまだ調整中だしちょっと疲れてるけど、イメージはバッチリ。実際にはこのあとまた何日か試してみてからの運用になると思うけど」
「にしても、だ。デメリットのほうがデカすぎんだろ」
「いざって時に役に立たなきゃ意味がないもの。四皇、カイドウと当たるんだもん、これから」

 一度言い出したら聞かないじゃじゃ馬がここで発揮されるとは思ってなかった。常時というインパクトが強すぎて忘れていたが、刀にも貯めておくとなりゃそれなりに疲労は蓄積されるはずだ。正直、あれだけ能力ではなく刀に、剣士であることにこだわっていたリイムから出てきた発想だとは思えねェ。ゾウで言っていた「面白いこと」はおそらく分身の類のことだとは思うが……それを出すためにもコレは必要なのだろうか。いや、いくらなんでも常時じゃなくたっていいはずだ。

「極端すぎだろ……どうしてそうなった」
「器用じゃないから。一瞬の、何の予備動作も作りたくないしムラができるのもちょっと、刀に集中したい時に思考を切り替えたり、いちいちオンオフするくらいならとかその他色々考えた結果使いっぱなしが一番私に合いそう、良さそうだなって」
「いざって時の威力が減るんじゃねェか?」
「だから、別に貯めておくの」

 何を言ってもダメそうだ。そもそもこいつさっきから簡単に「貯めておく」と言ってるがそれだってたった数日で簡単にできる話ではないだろう。だがそれをやってのけた。計り知れないリイムの能力……いや、と相性のいいのであろう『妖刀』だからこそできるという可能性もあるのか。どちらにせよ、素直にはいそうですかと言える問題ではない。

「もしかして心配してたり?」
「そりゃそうだろ」
「あらあらあらあらあら」

 いつもより余分にあらあらと繰り返すもんだからおれは思い切りリイムの頬をつねる。リイムは「痛い!」とつねったおれの手を叩く。いや、こいつの「あらあら」は8割は照れ隠しなのはもうわかってはいるんだが、それでも何というか腹立たしさが勝る。

「あらあら、じゃねェよ」
「……でも困ったな、想像以上にしっくりきてて上手くいきそうだから今更別の案を考えるのも……こんなに反対されるとは思ってなかったし」

 いや、普通反対するだろう。何杯目かわからない茶をリイムは飲み干す。負荷がゼロなはずがない。どうしたもんかと何か考えるような表情でリイムは刀を見つめ握りしめる。

「おれと一緒に、2人でいる時くらいはいいんじゃねェか?」
「……」

 リイムの視線が刀から、ぬるりとおれへと向く。待て、よく考えると今おれはかなり小っ恥ずかしいことを言ったような気もする。リイムがそれに気付いたのかはわからねェが、「あー」とだけ声を出すと再び刀に視線を戻し、少しして長いまつ毛が伏せられる。それっきり黙り込んでしまった。

「……まさか寝たのか?」
「いいえ、起きてるわよ」
「あー、って何だよ」
「特には」
「絶対何かあんだろ」

 何かを思い付いたようだが、そもそもなかったことにしているあたりそれを素直に言うつもりがないのだろう。さすがにリイムのそういう部分は手に取るようにわかる、ようになったのだと思う。おれは「一体何だ」と再びリイムの頬を引っ張った。

「もう! 痛い! わかった、わかったって、言うから」
「素直でよろしい」
「! ムカつくわね! いたた、言います、すぐに言います」

 素直だと褒めりゃムカつくと睨む奴がどこにいるんだ。いや、ここにいるんだが……リイムは眉間にこれでもかとシワをよせ、一度おれから視線を外す。今にも刀を折りそうな、血管が浮き出るほどの力を手に込めながら、その行動とは対照的に絞り出したような小さな声が聞こえてきた。

「じゃぁ、ローと手、つないでるあいだは、解除、一旦、休憩……」

 ハァァァァァ、おれは心の中でどデカいため息を撒き散らした。リイムはまだ刀から視線を上げない。確かに「おれといる時は」と言ったのはどこの誰でもなく正真正銘このおれだ。だが。目の前にはたどたどしく必死に言葉にしたのであろうリイム。こんな状況じゃなけりゃ思わず押し倒しているところだったが今は潜伏してる身で、真面目な話の最中だ。代わりにと言ってはなんだがとりあえずおれは聞こえていたのにも関わらず再度確認することにした。

「おれと?」
「……手ェ! つないだら! 解除ッ!」

 凄まじい勢いでバァン!! と音を立てて握り拳を床に叩きつけるリイム。そんなに嫌なのか恥ずかしいのかなんなんだ。若干涙目になっている。おれは早速そんなリイムと距離を縮めてまだフルフルと震えている手を掴んだ。するとリイムはすぐに顔を上げて不自然におれから離れようと仰け反った。

「ちょっと待って。そんなにすぐ適応できるはずないでしょ! これ採用するなら練習しないと」
「へェ、手をつなぐ練習。」
「違ッ……言い方!! 私の意思とは関係なく手をつないだことで起きてようが寝てようが一旦解除するって脳と体が覚えないと。常に使うって方向でやってきたわけで」
「……お前の意識でオンオフするとムラになったり隙が生まれる。それなら別のスイッチ的な……ある意味強制的な外部からの影響のほうが切り替えがうまくいきそう、ってことか」
「そんなに都合良くできるかは……わからないんだけど」

 リイムの顔が茹で上がったタコみてェに真っ赤だ。面白いもんを見たわけだが……そろそろ真剣に『手をつないでいる間は能力を解除』ということについて考えておこう。おれは想定されるいくつかのパターンを例にあげた。

「解除すんのは手じゃねェとダメなのか」
「どこでも誰の前でもローができるっていうなら手以外でもいいけど。私は手が一番に浮かんだから」
「なるほど。たとえば戦闘中やらで掴まなきゃならねェ状況で、かつ解除はしたくねェって場合どうする」
「出来るだけ手以外を掴んで欲しいし、使えるならシャンブルズとかで対応して」
「おれの手がなくなったら」
「そうならないようにして。私もするし、それはなった時に考える」

 おれが握っていた手をリイムは振り払うように左右に動かした。なった時に考えると言ったが、リイムはそもそも常時でいいと思っていて、おれの意見との妥協点で一瞬でも解除することを選択肢に入れたわけだから、おそらく解除することはないというだけだろう。流れでポロッと出た「じゃあおれが死んだら」と続けた言葉には即答で「常時使うまで」と返ってきたのでやっぱりな、と息を吐き出した。

「愚問だったな……だがもうひとつ、思うことがある」
「これ以上何か注文があるの?」
「キスしようがセックスしてようが手を繋いでなきゃ解除はされねェってことか」
「あのねぇ」
「さっきのアレ、気圧を変化させたんだろ。前は無理だなんて言ってたってのに……ヤッてる最中にあんなんなったり放電されたり凍っても困るからな」
「曖昧にしたらスイッチとしての意味がないからしない。それに常時って言ったってもちろん意図して使うし、精度はもっと上げるし、わざわざ不快になるようなことしないし……って、手、痛い」

 気付けばリイムが痛みを感じるほどの力を入れて握っていた。「こうでもしなきゃ振り解くだろ」と文句の一つでも言えば「練習しないとって言ったじゃない。つなぎっぱなしじゃできないことくらいわかってるはずだし、わざとでしょ」と正論で返される。

「……なら心配してんのも少しはわかれってんだ」
「わかってるからこうして折衷案を出したんだけど」
「……」

 これ以上何か言ったところでリイムの意思が揺るがないことはわかってる。困らせてるだけだ。リイムは強い。止まらずにひとりで行っちまうんじゃねェかという思考はあれ以来……リイムが昔から大切にしていたピアスよりもこれからの未来を選択したあの時から時々頭をよぎる。今も、そうだ。命を削ってでも強さを取るリイムは、強い。それはリイム自身のためであって、きっとおれらのためでもあるんだろう。

「……あ〜もう、違うの、別に手をつなぎたくないわけじゃなくて、ローにだったらオンオフを任せられるって思ったの。他の誰でもなくてローだからこそ可能なんじゃないかって。ローの手、好きだから。むしろつなぎたい」

 おれが少し黙り込んだせいで、予想外の言葉がリイムから発せられた。この世界に絶対なんてモンは存在しない。なぜなら今目の前で、絶対にそんなこと言わねェだろうと思っていた人物からその言葉は出てきた。
 ニコ屋に『D』について話した時、リイムがその場にいなかったからかリイムの話になったんだが……ニコ屋はリイムについて饒舌に語り始め、しばらくすると満足そうに「トラ男くんという彼がいなかったら私、惚れちゃってたかもしれないわね」と冗談なのか本気なのかわからねェ表情でおれの肩を叩き去っていった。いや、冗談だと思うんだが、説明されなくてもニコ屋の言っていた『ときめき』だとか『たまらない』と思う感情はおれもたぶん、多少はわかっているハズで、まぁしっとりもクソもねェとは言ったが……日に日に、感じる機会が増えていることは認める。
 今だってそうだ。今までの、ドレスローザまでのリイムを思い浮かべる。どう考えても言わねェだろ。「別に繋ぎたくないわけじゃないけど!? じゃなきゃ最初っから別の方法にするし!」とか言いそうだ。けど言ってんだよな、「ローの手、好きだから、むしろつなぎたい」って。目の前で。ハァ……
 ただ覆うように握っていたおれより少し小さな手。今までの努力がわかる傷だらけの手。おれは一度力を緩めてからリイムの指と指の間をこじ開けるように、でもゆっくりと絡ませてつなぎ直す。するとリイムは「ああもう! 言わなきゃよかった! そうじゃなくて練習! 早くちゃんと手伝って!」とつなぎ直した手をブンブンと、これでもかと揺らした。

「おれは聞いてよかったが」
「もう言わない、絶対。二度と。ほらちょっと、一旦離して」

 リイムが言っていたとおりに予備動作なく周囲が重い空気に包まれた。早く離せということだろう。やはりこれは厄介だ。元の天候の状態からの自然な変化ならそれがリイムの仕業だと思わないし、対応が遅れる。もしかするとこいつ……気付かれないうちに自然な流れで悪天候状態にしておいて突風やら落雷で不意打ち、なんてことも簡単にやりそうだ。

「……また能力使っただろ、今はつないでんだから使うな。それと完全に影響が味方にまで出るよな、コレ」
「細かいところはこれから考えるし、つなぎっぱなしじゃ練習にならないって言ってるじゃない」
「手、好きなんだろ」
「それとこれとは別! 練習!」
「手をつなぐ?」
「だから!!! オンとオフの!」
 
 リイムは声を荒らげながら、手を振りほどこうと勢いよく宙に上げた。と同時にさっきまでのがお遊びだったのだとわかるレベルで脳が揺れた。嵐の前にたまに起こる体調不良、を通り越して急激な気圧変化によるものと思われるめまいがおれを襲う。手を離したおれはそのまま床に手をついてどうにか体を支える。リイムもバランスを崩したおれを抱き抱えるように手を回した。

「あっ、今のはわざとじゃなくって……大丈夫?」
「悪かった。真面目にやる。だが……」
「だが?」

 まだ調整段階……このレベルの、もしかするとこれ以上の威力を不意に出されても困る。安定するまでは練習に協力するしかなさそうだ。
 
「もう一度確認するが、手をつなぐのが好きなのにそれを解除条件にしていいのか」
「おれといる時くらいは、って言ったのローじゃない。それに……別に、ね」
「別になんだ」

 リイムは、わずかに口元をへの字に曲げる。それを聞くのかと言った表情をしたあと、キョロキョロと視線を泳がせてから、おれの方を見ずにボソボソと呟いた。

「手が全てじゃないし、それ以外の……スキンシップだってあるから」

 本当に、なんだってコイツは……おれはあれこれ考える前にリイムの体を抱き寄せて頭と腰に手を回した。男装するにあたって多少着込んではいるがそれでも野郎とは違う柔らかさがしっかりと感じられる。

「それならあいつらが戻って来る前に一回するか……と言いたいところだが状況が状況だからな、最低でもどちらかはすぐに動ける必要があるだろう、となると」
「は?」
「とりあえずお前だけイッておくか。おれはあとで適当に抜く」
「あのね、どこからどう突っ込むか悩むけど! どうしてそうなるの! 真面目にやるって言ったそばから!」
「仕方ねェだろ、侍の格好してようが着飾ってようがリイムはリイムなんだ」
「〜〜〜! そういうことペラっと平気で言うのやめてよ! こっちが恥ずかしい」
「は? おれが平気でペラペラ言ってると思ってんのか? これでも多少は恥ずかしい自覚があんだよ! お前こそどう考えたって誘ってんだろうが!」
「ど! こ! が! だだ今までより少しは、思ってることちゃんと口にしないとって思ってるだけだし!」
「そういうところだよ!」

 結局いつもどおりの口喧嘩だ。おれはリイムの口をキスで塞いで黙らせる。少し前に押し倒すことを耐えたおれはなぜ耐えたのだろうか。逃さないように頭をしっかりと押さえ込む。外からはかすかに、戻ってくるあいつらの気配がする。んなもん知るか。リイムが床をバンバンと叩く。そんなに離して欲しいなら能力でもなんでも駆使すりゃいい。

「ほっ……ほら、みんなの気配するし、するなら私だけとかじゃなくてちゃんとしたいから、今はここまでにして!」

 どうにか顔をずらしてキスから逃れたリイムは今「ちゃんとしたい」と言ったな……勘弁してくれ。もはやおねだりじゃねェかよ。おれはどうにか今ヤってもいい理由を探すが、バレてねェとはいえ敵地に乗り込んでいるという状況だ。耐えろ、コラさんならどうする……コラさんだったら、絶対に……我慢すんだろ。クソッ。

「……リイム、おれの理性に感謝するんだな」
「もうないようなもんじゃない!」
「今のは前言撤回レベルだったぞ、ふざけんな」
「なによ今のって、あ……ちゃんとしたいってやつ?」
「……お前な、わかってて言ってんのか!? いい加減にしろよ、さすがのコラさんだってブチ切れんぞ!!」

 おれがコラさんと言葉にした瞬間、リイムがスッと真顔になったのがわかった。そして「この流れからの突然のコラさんはさすがの私も色々と、そうね、いえ……そうなんだけど、わかるんだけど」と俯きながら呟いた。その一連のリイムの声色、仕草におれはとっさにもう一度リイムを抱きしめていた。
 
「あー、いや、今のは」
「『おれの中のコラさん』が我慢しろって言ったのよね。それなら私はローの理性じゃなくてコラさんに感謝しないとね。本当に……しょうがないなぁ」

 顔は見えないが、たぶんリイムは今笑っているはずだ。おれの背中に回された手にも少しだけ力が入った。暖けェ。
 ゾウでリイムはおれのことをもはやコラさんそのものだ、と言っていた。いや、呆れられてはいるんだろうがそれでもコラさんをおれの一部だと認めてもらえているのだと、今のリイムの言葉からも感じることができた気がした。が、さすがに少しは考えねェと、とは思う。

「いや、とりあえず一回キレてくれていい。キレてくれ」
「じゃあ……コラさんと出会っていたら私はコラさんを好きになったかもしれない」
「がっ、ガチトーンでそれはやめてくれ、キレられたほうがマシだ。それにコラさんはお前の想像以上におっちょこちょいのドジでだな」
「フフフ、ウソに決まってるじゃない。そんなに焦っちゃって……私はどんなローでも好きになってたよ、きっと……その、たぶん」

 リイムの顔が見えるように体を離す。ヤるのはお預けだとしてもキスならいくらでもいいだろう。案の定自分で言っておいて耳まで真っ赤にしているリイムは本当に……あークソ。こっちの台詞だってんだ。正直、おれの感情をここまで突き動かす人物が現れるとは思っていなかった。
 きっとこの世界にはたくさんの『愛してる』があって、コラさんからもらった愛も、コラさんが死んだあとに世話になった奴らからの愛も、仲間達からの愛もどこか違うもんで、おれがリイムに伝えたいのはそれらと、コラさんが言っていた『愛してる』と同じである必要がないのだと思い始めたのは本当にこの数日の話だ。伝えるタイミングがないことが問題だが。
 
「リイム」

 ゆっくりと、リイムの少し潤んだような瞳を眺めながら唇を重ねた……ところで、そこですっかり忘れていたあいつらが「キャプテーン!! リイム〜!」と戸を開いた。別に見られても減るもんじゃないんだが、異様に、過剰に反応するのが面倒なんだ。

「わぁぁぁぁ! おれら空気読むの下手過ぎィ! まさに今からってところじゃん!」

 とっさに離れようとしたリイムの頭を押さえる。こんなんで中断されたほうがおれの気が収まらねェってもんだ。あいつらの存在など知らん。

「や、え、もしかしておれら空気読めないどころか空気?」
「ひぇ〜〜〜! イケメンとイケメンの濃厚なキッス、おれ、新しい扉開きそう」
「おれもいい加減かわいいメスグマと出会いたい」

 無視、無視だ無視。そう思っているとあたりに異様な空気が漂った。が、先程までの変化とはまた違って……やけに部屋の中の温度と湿度が上昇していくのがわかった。犯人はもちろんリイム以外に考えられない。

「え、なんか急に蒸し暑く?」
「わぁ、なんか潜水してるみたいだ……おれ、離脱!」

 ベポが真っ先に出て行き「おれも無理〜!」とシャチが続く。残るはペンギン……我慢比べということか、面白ェ。おれは負けじとリイムの口内に舌をねじ込む。「んっ」とリイムから吐息が漏れる。あークソ。今までのおれならこれくらいなんてことなかったハズなんだが……

「ぬおぉぉぉぉ!! もっと見ていたいけどこれ以上は暑くて敵わん! 周囲の警備はおれらに任せてゆっくり続きを! どうぞ!」

 バタン! と戸の閉まる音が部屋に響いた。勝った。無駄に汗だくにはなったがあいつらは全員出て行った。が、下がらない温度。ゆっくり顔を離せば「もう……ローのバカ。バカバカバカ」と頬を染めながらポコポコとおれの胸を叩くリイム。どうにかコラさんのおかげで持ち堪えていたモンが全部音を立てて崩れ、おれは床にリイムを押し倒していた。

「ハァ……おれの理性はもう無理だと言ってるがどうする」
「……確認するってことはまだちゃんと理性は働いてるのね、そういうところ好きよ」
「お前やっぱりわかってて言ってるだろマジで、最悪だな」
「ローがそれを言うの? お互い様でしょ。私も同じ気持ちだとだけ言っておくけど、さすがに早く精度上げないとほら……こんな感じになっちゃったし」

 こんな感じ、とはこの夏の夏島のような状況のことだろう。つまりだ。こいつも本心はしたいと思っていてはいるが、直接的な原因かどうかはともかく周囲の気温を上昇させてしまった。まだまだ問題点が多いのでそれをどうにかするほうが最優先、ということか。
 少し落ち着いたのか徐々に温度は下がってきているようだった。もちろん今は入れるつもりはなかったが仕方ねェ。こっちはあとでどうにかするとして……大人しくリイムを抱えて起き上がるとリイムはパタパタと手で顔を煽いだ。

「まぁこれでちゃんとコントロールできないと支障が出るってわかったし、また何日か集中するからオンオフの練習はそのあとね」
「また飲まず食わずのアレをするのか」
「……どこかで何回か試しに手、握ってみて。練習してないから意味ないかもだけど意識のどこかにあれば上手くいくかもしれないし」
「そうか。ついでに他も触っておく」
「どうなってもよければ足でもお尻でも胸でもどうぞ」

 立ち上がって「あ、某今胸ないんだったっけ」と自分で胸元を覗き込んでから「いや一応あるけど」とひとりツッコミを入れたリイムが外へと出るべく戸を開くと、おれはリイムの先……小屋のすぐ目の前に立っていた上半身裸のペンギンとシャチと目が合った。「あっ」「やべっ」と声を上げてその場から動けなくなったアイツらの横をリイムは無言で通り過ぎる。2人はホッとしたような表情を浮かべた束の間「うわァ!!!」「イテテテテ!!!」と悲鳴を上げ地面に転がった。リイムのお灸という名の何かが炸裂したのだろう。
 そのまま先程まで座りっぱなしでいた場所へと歩いて行ったリイムは静かに腰を下ろした。
 その後数時間はここ最近にしては珍しくパッとしない天気だった。影響しない影響がと言っていたが……いくら切り替えが早いリイムとはいえ不完全燃焼だった気分が能力に反映されていたのでは、と思った。そうなのだとしたらちょっと……いや、こんなことでちょっとでもかわいいとか思ったら負けだ。深く考えるな、他に考えることは山ほどある。



 自身の能力のこと、今後についての思考を整理しながらも、寝ているのか起きているのかわからねェただただ無駄に男前のリイムを眺めて時間が流れる。そういえばと思い出して頬に触れれば一応手加減が感じられる静電気程度の電流が刀から放出されたり、かといって手を握ったところで解除されてるのかはわからねェ。それと似たようなことを何度か繰り返していると、解除の話を知らないベポには変人扱いされる。ペンギンとシャチにもおれの気が狂ったのではないかと余計な心配をされる始末。何度も下痢を起こす錦えもんにはどうにかならんかと泣き付かれ……リイムが再び飯だと大声を上げて目を開くまでの数日はおれにとってもただの修行だった。

prev/back/next

しおりを挟む