【if】天上前夜


 麦わら屋のバカでけェ声が響いていた。決着が、ついたんだ。ほとんど動けねェおれはペンギンとシャチに両側から担がれながら、まだどんよりとした鉛色の空を見上げた。

「……リイム、は」
「すんません、おれらも把握できてなくて」
「そうか」

 再び空を見上げる。戦いの終わり、時代の節目だというのに重い空気だけが周囲を包んでいる。雪は、降らない。
 あいつのことだ。そのうちふらっと姿を現すだろうというおれ達の認識は一致していた。お互いがそうだろうと、それ以外に何があるのだとでも言いたげに顔を見合わせた。その瞬間に感じた何とも言えない気持ち悪さを、おれはベポ達に悟られないよう、吐き出さないようにゆっくりと飲み込んだ。
 

 
 おれは、二人を払い除けるようにして、動かないほうがいいと止めようとしたベポをも押し退け走り出した。もうほとんど動かない身体が勝手に動いていた。けれどすぐにもたついて地面に膝をつき転げるように倒れる。ベポが駆け寄っておれを抱え起こす。ペンギンとシャチも慌てて追ってくる気配がした。みっともない姿だ。
 瓦礫に寄りかかるようにもたれかかっている黒い影……人の姿が視界に入って、直感的にあれはリイムだとおれは思った。だから、なりふり構わず走ったんだ。

「リイム!!」

 ガラガラの声をどうにか絞り出す。すると伏せたままだった頭をあげたその人物はゆっくりとこちらに顔を向けた。リイムだ。一瞬だったが安心しきったような、穏やかな笑みを浮かべたように見えたが、小さく「ローの見たい景色、私も一緒に見たかったな」とだけ声がして、その姿はゆらりとその場から消えた。

「なっ……」
「本体じゃねェのか」

 蜃気楼の、あいつの能力によって実体化していたリイムだったのだとおれ達は把握する。ならば本人はこの周辺にいるはずだと辺りを見回す。すると人の気配とどこかから石が転がり落ちるような音がした。少し離れた瓦礫の山の上に仮面姿、白装束の人物を確認し反射的に鬼哭を手に構えを取った。

「あれ! キャプテン!」
「……CP0、か」
「いかにも」

 そこでおれは、ベポがリイムが途中で別行動を取ったのはCP0を追ったからだと話していたことを思い出した。CP0が一言二言、誰かと会話をしたように見える。そしてすぐに、よく知った、おれ達が探していた人物がその男の横に並んだ。

「……リイム」

 鬼哭を下ろし、なんとか発生した声は自分でも酷く情けない声だと思った。あいつの顔を、目を見た瞬間にわかってしまったからだ。もう、おれ達と共に歩むつもりはないのだということを。
 リイムはしっかりとおれ達を見ていた。操られてるだとか、意識がないということはなさそうにそこに立っていた。
 少し違うがこんな景色には覚えがある。シャボンディで別れた後、マリンフォードの中継カメラに映ったリイムの姿。当時の七武海達と肩を並べていた姿には驚かされたものだが……あの時は必ず戻るというリイムの言葉があった。ベポ達はリイムの言葉を伝えずとも戻ってくると信じていた。
 けれど今は1ミリもそんな風に思えない、思わせないものをリイムは纏っている。ベポ達も感じ取っているようだった。あの時の絶対的にリイムが帰ってくるのだと信じている表情ではまるでなかった。

「トラファルガー・ロー、何が起こっているか理解に苦しむといった表情だな」
「……いや、おれもバカじゃねェ。そういうこと、なんだろうよ」
「それなら話は早い。まぁ、説明やら別れの時間くらいはくれてやる」

 仮面の男はリイムに耳打ちをしてから背中を押すとその場から姿を消した。リイムはふぅと息をひとつ吐いた。瓦礫の山から飛び降りると一歩ずつ、こちらに向かってくる。
 言いたいこと、聞きたいことは山ほどある。だがその前に……こうなったであろう要因が、思い当たることがいくつも浮かんでくる。
 ペンギンが何か言いたげに一歩踏み出した。だがリイムからの圧が、気迫がそれを許さない。シャチも隣で唇を噛み締めていた。
 目の前で歩みを止めたリイムが「……もっとボロクソに色々言われると思ったんだけど」とおれの目を射抜くようにわずかに見上げる。それはつまり、言われたほうがマシということなのだろうか。

「お望みならそうしてやるが」
「……」

 声が震えた。リイムにはバレちまってるだろう。どうにか吐き出したものの、次の言葉が出てこない。何を言えばいいのかわからねェ。違う、引き止めるべきなのか。いや……その行為に意味はあるのだろうか。

「私は、私の信念を曲げない。私自身を信じてる。あなたに失望したとか、そういうことじゃないとだけ言っておくわね」
「だとしたらおれはもうお前に殺されてるはずだからな、わかってるよ」

「わかってる」と言った瞬間にリイムの瞳がわずがに揺らいだ。あぁ、こいつはどうしようもなくリイムだ。偽物でもなんでもない、おれ達の知ってるリイムじゃねェか。嘘が下手クソで負けず嫌いで、真っ直ぐな、一度はわかり合えたはずの、ひとつになれたはずのリイムだ。

「ひとつだけ」
「別にいくつでもいいけど」
「敵を欺くにはまず味方から、って線も……その顔じゃなさそうだな」
「私がやったらバレバレよ、知ってるでしょ」
「……そうだな。これがあの時のお前がなりたいと願っていた『自由』ってことでいいんだな」

 リイムが器用な人間だとは思っていない。今だってそうだ。隠し事もできなくて、決めたことは曲げないで突き進む。リイムの中で今のこの選択はおれと、おれ達と進むものよりも意味のあることなのだろう。

「……自由になるためよ」
「今が不自由だってことか」
「好きに解釈して。これからの私のすることが気に入らなければ殺してもらってもかまわない」

 力強く発せられた言葉とその表情をおれは知ってる。おれが『そうだった』からわかってしまったのと同時に、おれはもうリイムを引き留められないと全身で感じてしまった。もうリイムのために何も、できないのでは、と。

「これからすることってのは……死ぬことか」
「……! なにそれ、自由になるために死ぬって?」
「覚悟を決めたってことなんだろ」
「勝手に決めつけないで。まだ……私はまだ、生きてやることがたくさん、残ってるの」
 
 そう言ってリイムは視線を逸らす。今の言葉は嘘だ。本当なら今までどおりに大剣豪になるだとか、どんな道をたどろうとおれの隣にいるだとか、具体的なことを口にする。
 自身で傷付けて、全く力が入っていないであろう左腕と、泣くのをこらえている表情が痛々しい。今回のカイドウとビッグマムとの闘いで命もかなり削っているはずで、もう長くないのかも……しれない。
 加えて手負いのおれ達と共にCP0とやりあうのも得策ではないと判断したに違いない。最後におれたちを巻き込まないように、どんな取引、目的があるのかはわからねェがあえてCP0とここを離れるのだろう。

「結局私は、自分が一番大切で、ひとつところに留まれない。そういう人間なの」
「本当に嘘が下手だな。まるで逆の意味に聞こえる」
「ふざけないで! そうやって全部わかったような気でいて決して私の手をとらないローが大嫌い!! 大切にしてる素振りで違うこと考えてるローが、大嫌いだったの!」

 リイムの周辺に突風が吹き上げ、おれは数メートル後ろに押される。思わず腕で顔を覆ったがその瞬間にリイムは抜刀して距離を詰めるとおれの足下目掛けて刀を突き刺した。

「キャプテン!」

 ベポ達が困惑した声色でおれを呼んだが、すぐにリイムとは距離を取り、来るなと手で制す。おれも鬼哭を手に、何をするわけでもなくただROOMを広げた。

「蜃気楼のお前が言った言葉は、そういうことじゃねェのか!」
「……? 何のことかわからないわ! それよりも、もう出がらしみたいな体力しかないんじゃないの!? 今の私に敵うわけないじゃない!」
「出がらしはお互い様だろう? 本当に心配性だな」
「誰もローの心配なんてしてない! いい加減にしてよ!」
 おれのROOM内にいるのにも関わらず、リイムは納刀する。ずかずかと距離を詰め、再びおれの目の前に立つと思い切り胸ぐらを掴んできた。

「だから、なんで……そうやって、私の気持ちを! 勝手に決めないで!」
「……ッ!」

 リイムに左頬を殴られたのだと、痛みが全身にジリジリと伝って気付く。それでも怒りは静まらないのだろう。おれを睨み続けているその瞳は、不謹慎だが今まで見てきた中で一番きれいだと、好きだと思った。怒りの感情を剥き出しにしているなかでどうしても消せないそれは、自惚れかもしれねェがまだおれという存在がリイムの中にいるんだと、そう見えて思わず泣きそうになった。
「大嫌い」と小さく呟いたリイムはおれを乱暴に突き放すと姿を消した。それは、大好きだと言っているようだった。いつもと違って余韻もなく、まるで最初からいなかったかのように消えたリイム。おれはROOMを解く。それを確認したベポ達が駆け寄ってくる。
 ひとつだけ、リイムが本当のことを言っていたところがあると思う。おれが、リイムのことを全部わかった気でいて、手をさし出さなかったことだ。
 今だって意味はなくとも引き止める言葉くらい言ってやればよかっただろう。
 リイムにとってはまだ『終わっていない』。だから、雪は降らなかった。信念を曲げないと、自身を信じているのだと言い切ったリイム……これは、あの時ドレスローザから発つときに話した『もっと自分の気持ちに素直に生きてもいい、そうなりたい自由』を、おれに頼らずに一人で見つけようとした結果で、リイムにとって素直に生きることと、誰かに頼ること、甘えることは似ているようで全く違うのだろう。
 時々見せていた表情。悩んでいた、迷っていた様子はおれも感じ取っていた。だが、『リイムだから』という理由で深く探らなかったのだ。リイムは強い。おれが立ち入らなくてもあいつは、自分の力で答えを見つけるのだろうと思っていたから――本当にそうなった。おれたちは、おれはリイムの一部にはなれていなかったのだ。

 最初に屋上で麦わら屋達と共にカイドウとビッグマムとやり合った時、リイムは一度意識を手放した。おれらごと吹き飛ばしかねなかったリイムをとっさにゾロ屋が斬撃で叩き起こし、一瞬意識を取り戻したリイムは自分で自身の左腕に刀を突き刺すことでどうにかその場は持ちこたえた。
 あの時の青ざめたリイムの表情が頭をちらつく。制御しきれねェ力があいつの能力にはあるのだと、わかったはずだったのに、知ったというのに。
 負けず嫌いで、強がりなリイムには何を言っても引き止められなかった。っていうのは全部、言い訳だ。結果は同じだったとしても、ちゃんと手を取っていたら、あいつに……別れ際の消える瞬間にあんなに思い詰めた顔をさせずに送り出せたのかもしれない。
 リイムがどこかでたったひとりで死ぬのなら、意識を失くしたリイムをいずれ殺すことになるのなら、今ここで意地でも引き止めてやり合って、殺したほうがあいつは幸せだったのかも、しれない。



 そうじゃねェよ。おれの見たい景色を一緒に見たかったと言ったもう一人のリイムの言葉こそ、リイムの本心だ。大剣豪を目指すあいつでも、副船長をしてるあいつでも、シャイニーの娘でもなくて、ただのリイムに向けて何かできていたら、リイムがひとりで全てを決める前におれがあいつの手を取ればよかっただけだ。
 一緒にいると、おれがどうにかしてやると、もしできなかったとしたって言ってやればよかったんだ。その結果おれが、仲間が、世界がどうなったとしても……ただ、それだけだったんだ。

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