「ん」

突き出されたビニール袋を見て、臨也は目を細めた。

「…なに?」
「ん」

確か日本アニメ界巨匠の作品に、似たような場面がなかっただろうか。
あれは傘だったけれども、ビニール袋から突き出ているのは、どうみても草花だ。しかも、先端についているわさわさしたものは、

(ねぎ帽子…?)

葱の花であるそれは、ビニール袋の持ち手から顔をのぞかせ、臨也をじっとうかがっている。
臨也はちょうど夕食の準備を終えて、帰宅した静雄をキッチンで迎えたところだった、
エプロン姿に右手にお玉、まるで新妻である。
言おうとしたセリフも「ご飯もうできるから」とある意味どんぴしゃだ。
ひと月前からとある事情で一緒に住んでいる二人だが、料理番は必ず臨也がつとめていた。外に出ることの多い静雄が、足りない食材を買ってくることはままあったが、今日は何も頼んでいない。
なにがどうして、こうやって静雄に花の生えた葱なぞつきつけられるはめになっているのか、皆目検討がつかなかった。

―――否、ある。ひとつだけ、まさかと思わないでもないものが。

ねぎ帽子とにらめっこする臨也に焦れたように、静雄が眉根を寄せてさらにビニール袋をよせてきた。
「やるっつってんだよ」
「ええっと、シズちゃんもしかしてこれ…」

「みどりの日だ」
「…………は?」

臨也は絶句した。
なんだって?
「しらねぇのか。今日はみどりの日っつー祝日なんだぞ」
「いや、知ってるけど」
「みどりをはぐ…はぐ…? ……。要するに葉っぱとか花を大事にして、人間性を磨けっていう日だ」
「やめて、俺をこれ以上混乱のるつぼに落とさないで。君の口から人間性なんて言葉がでてくるなんて」
「……死ぬか?」
「人間性を磨くんだろ、シズちゃん」
互いにほっぺたをひきつらせて、顔を見合わせる。
だが、この葱の意味を正確に把握した臨也は、小さくため息をついた。
静雄の手からビニール袋を受け取った。

「なるほど、みどりの日、ねえ」
「………」

静雄は鼻を鳴らしてそっぽをむいた。多少気に咎めるところがあるのだろう。「みどりの日」といった瞬間「しまった」という顔をしたのを臨也は見逃さなかった。
みどりの日、ことゴールデンウィークの一翼を担う祝日は、臨也の誕生日である。
素直におめでとうの一つも言えない化け物に、嫌味の一つでも言ってやりたいが、今までの自分たちの関係をかんがみると仕方のないことなのかもしれない。
自分だって、静雄の誕生日に「おめでとう!」と満面の笑みでホールケーキを差し出す勇気はない。
単純にプレゼントとやらを買わねばなるまい、と考え安直に(もしかしたらあのおせっかいチリ毛に何か言われたのかもしれないが)花、と考え、花束を臨也に渡す光景の寒さに慄いた結果がこれなのかもしれなかった。情状酌量の余地を認めないわけにはいかない。
とはいえ、別の口実を使った静雄に、いらだたないと言えば嘘になる。
ありがとうの言葉もなく、あきれたように聞いた。

「それで、なんで葱なわけ?」
「せっかく葉っぱなら、食えたほうがいいだろ」

情緒のかけらもない。
もう一度、わざとらしくため息をついてやる。
むっとしたらしい

「いらねえならかえせ」と静雄が低くいった。
「別にいいよーみどりの日のお祝いなら」

わざとあっさり言ってやれば、ちょっと驚いたように目をしばたく。
自分がプレゼントしたものを突き返されるなんて考えもしなかったに違いない。こいつはこと、臨也に関して傲慢だったことしかない。
「誕生日プレゼントなら返さないけど。ああ、シズちゃんは覚えてるか知らないけど、今日って俺の誕生日なんだよね」
「………」
「とりあえずいまは鍋にてるから、一応植物なんだしベランダにでも出しておけば?」
うけとったビニール袋をそのまま静雄の手に返却する。
お鍋お鍋、と台所に戻れば、弱火にした煮物がちょうどいい塩梅に煮上がったところだった。
鼻歌を歌いながら出来上がった料理を皿に移していると、静雄がリビングに移動して葱を言われた通りベランダに出していた。
葱をベランダに出すその肩が、わずかに下がっているのを見て、「ばかだなあ」とか「かわいいなあ」とか「いい気味」だとか、ありとあらゆる感情をごちゃまぜにしたものが湧き上がった。きっとこれが俗にいう愛しさというものなのだろう。胸の奥を真綿で締め上げるような痛みとともに最近知った。
心なしか跳ねた髪までもしょんぼりしているように見えてしまうから、病気みたいなものだ。正直、誕生日プレゼントなんて、その数ミリ下がった肩だけで十分だった。
臨也は料理を移しおえた小鉢をみて、「シズちゃーん」と名前を呼んだ。
「手を洗ったらお皿運ぶの手伝って」
振り向いてこちらを見た静雄は、ちょっと不機嫌なような拗ねたような、そんな顔をしていたけれど、努めていつもの声で「おう」と答えた。





失敗した。
端的にいえばそういうことだ。
5月4日は、同居人である臨也の誕生日で、静雄はそれを一応気に留めてはいたのだ。同居人といってもただのルームメイトではなく、一応そういった関係だったし、さすがに何にもしないというのはどうだろうという程度の認識はあった。
ただ、相手が十年近く渡り合ったあの臨也ということもあって、静雄は結局誕生日ぎりぎりになっても何をすればいいのか皆目見当もつかず「もういっそのこと何にもなしでいいか…?」とすら思い始めていた。
「いや、静雄。そりゃまずいだろ」
そういったのは上司の田中トムだった。
「つっても…トムさん」
「付き合って初めての誕生日だろ?そりゃー向こうだって期待してるだろ」
トムは相手が臨也だということを知らない。
それでも数々相談にのってきてもらった気安さで、今回も昼休憩の間にぽろりとこぼしたのだ。
「それで相手の誕生日いつなんだよ」
「今日っす」
「今日!?今日って、五月四日か!?」
お前、サプライズする時間もねーじゃねーかと、とトムは眉根を寄せた。
「五月四日がどうかしましたか?」
その時ひょこりとヴァローナがベンチの背後から顔をのぞかせた。透けるような肌の天然金髪の美女である彼女は、この平均的な公園からかなり浮いている。
当の本人は気にした様子もなく、コンビニで買ったおにぎりを食べながら公園をみわたした。
「五月四日、日本の祝日のみどりの日です。業務の都合上われわれは仕事にいそしんでいますが、こうして公園の緑を愛でながら食料を摂取しているという点ではその祝日を謳歌しているといえます」
「みどりの日?」
「はい、日本人が広葉樹・針葉樹とわず緑色の木々や草花を愛で、人間性を豊かにするという名目で祝日に制定した日です」
「へー」
言葉こそ平坦だが、その目が「すげえな、物知りだな」と尊敬を含んでヴァローナを見るため、彼女はぷいと顔をそむけて「このくらいは日本に在住するにあたって常識です」と言ってはなった。

たぶん、それが頭に残っていたのだろう。

結局トムの助言は「花だ!とりあえず花をおくっとけ!そしたらたいていの女は喜んでくれる」というもので、相手が男である静雄にはさっぱり無意味なものになってしまったが、自分では結局何も思い浮かばなかったためにずるずるとその助言を抱えたまま花屋の軒先まで向かうことになった。そこで花束の可憐さに慄き、そばの野菜コーナーでみつけたわけである。ネギ帽子を。見慣れた葱に変なものがくっついているのに驚き、そのつんつん具合がどうも臨也を彷彿とさせて妙なかわいさを覚えた静雄は、結局その葱を購入した。
購入して臨也のマンションのエントランスまできて、我に返って途方に暮れた。
ふつう誕生日に葱は送らない。
だがほかにプレゼントらしきものもなく、意を決してマンションに帰宅した静雄はあろうことかそれを「みどりの日だから」といって押し付けてしまった。

(なんだみどりの日のお祝いって。クリスマスじゃねぇんだぞ)

静雄ですらそう思ったのだから、臨也は余計だろう。
その目がものすごく呆れていて、静雄はなおさら焦った。せめて誕生日プレゼントとして渡していたら、「ばかじゃないの」と言いながらも笑ってくれたのではないかと、そう思うのだ。

静雄は、臨也が時折みせる嫌味のない笑顔が、嫌いではない。否、気に入っている。もっと言えば、好ましく…いや、好きだった。
その笑顔を見るためなら、慣れないことくらいしてやろうと思うくらいには。
結局その笑顔も見ることができず、ベランダに出された葱は、すこし萎れて見えた。

臨也がその日作った夕食は、一見いつもと変わり映えしないものだったが、もうかれこれ3か月ほど臨也の飯を食べている静雄にはわかった。
煮物には下味がついていて、その上品数が2品ほど多い。このうえ水物のデザートまで出てくれば、臨也が多少自分の誕生日を意識して浮かれていたことくらいは分かった。基本的に一人でいることが多いこいつは、イベントごとの、こういったちょっとした贅沢が得意だ。

(…そんな日くらい、下手に出てやりゃあいいのに…何やってんだ)

臨也が沸かした風呂に入りながら、静雄はため息をついた。
が、(何も突き返さなくてもいいだろうが…)と不満に思う気持ちがないわけでもない。柄ではないし、途方もなく自分たちに似合わないのだとはお互いわかっているはずだろう。

けれど「誕生日おめでとう」の一言くらいは言ってやるべきで、今回ばかりは静雄のほうが分が悪いのもわかっていた。
たとえ葱とはいえささやかに祝う気持ちくらいを示せばこんな風にちくちくと良心のようなものを刺激されることもなかったはずだった。
基本的に静雄のそのあたりの観念は一昔前の一般家庭のテンプレートそのままだ。
いや、誕生日はまだ終わっていない。まだ遅くはない。言ってやればいいのだ、今からでも。葱もプレゼントもない今となっては、そのハードルは雲を突き抜けて見えやしないが、静雄は妙な使命感とともにこぶしを握りしめた。
――そして寝室にむかった静雄を、その日一番の衝撃がまっていた。


「―――なんだこれ?」

寝室はお互い別にある。
もともとが臨也の家なので、静雄が使っているのは客間だったが、それでもベッドは十分な広さだった。臨也の部屋のベッドは臨也がこだわっていて、特別広くフカフカだ。
静雄が立っているのは、そのベッドの前で、視線をやっているのはベッドのそばに置かれたチェストの上だ。
そこには見たことのない水色の目覚まし時計がおかれていた。
ウェッジウッドのような上品な水色に、まるやかな曲線を描くフォルム。
極端に鈍い静雄がみても、女性のにおいがする代物だった。
ベッドの上で本を読んでいた臨也は、静雄の視線の先をたどって「ああ」と声を上げた。

「今日、依頼人がくれたんだよ」
「へえ」
「誕生日だっていったら、何かの縁だからって。俺の趣味からは少しずれるんだけど、物自体はわるくないからさ」
「へえ」

でも、その相手は臨也にとって目覚まし時計が邪魔になるプレゼントではないと知っていたということだ。
まさかここに呼んだわけではないだろうが…。どういった話運びで寝室の時計をおくるのに思い至ったか、そのあたりが気にならないと言えば嘘になる。
「この前誰かさんが壊した後で、ちょうどよかったし」
臨也はそういいながら、本を閉じて体を起こした。真っ黒なベッドの上で胡坐をかいて、メガネをはずす。本の上にほうられたそれはベッドヘッドの明かりをはじいて細く銀色に光を走らせた。

「それで」

口元にいやな笑顔をみつけて、静雄は唇をひん曲げた。
「何しに来たの?」
「……わかってんだろてめぇ」
「あのさ、ここにきただけで察しろっていうほど回数してないだろ?」
何しに来たかわかってんじゃねぇか。静雄は小さく舌を打った。
静雄がこのベッドで朝を迎えたのは、まだ2回だけだ。その2回ともが本来男女間で結ばれるべき行為を終えて迎えられたものだ。
相変わらず意地が悪く、腹の立つ男だ。とはいえ、先ほどの失敗はお互い口に出さないまでも認識がある。静雄は首にかけたままのタオルをチェストに放った。ベッドに膝をつき、乗り上げる。
臨也の前で、高慢に顎をそらした。

「抱け」
「命令形なの?」

臨也が口元のにやにや笑いをひっこめないでいう。静雄は眉根を寄せたままつぶやいた。
「誕生日なんだろうが…貸してやるから使えつってんだよ」
「使えって、ちょっとは言い方考えなよ。そんな手軽に渡せるほど、経験豊富じゃないでしょシズちゃん」
「悪いかよ」
「まさか。ただシズちゃんから「プレゼントは私」なんて超ベタな展開が出てくるとは思わなかったけど」
舌を打って臨也の首に手を伸ばした。こめかみのあたりにぶつけるように口づける。
臨也の目がまんまるになって、見上げてくる。

「……今度の、返しやがったら出ていく」
「…誕生日プレゼントは返さないって言ったでしょ」

臨也の手が腰に伸びて、ぎゅっと抱きしめられた。どうやら今度は受け取るつもりらしい。
安堵して、そっと息をつけば「ねえ」とやけに沈んだ声が言う。
「好きにしていいんだよね」
「いちいち確認とんな。うぜえ」
「手加減なしでしてもいい?」
その言葉に、静雄はぎょっとした。
腕の中の臨也にようやく視線を移すと、腕の中にいたのはにこりともしないで食い入るようにこちらを見ている一対の黒色だった。鹿のように深い黒目は、感情の機微がうかがえない。
静雄は、ぎゅうと眉根を寄せた。

「てめえ…」
「うん」
「今まで手加減してやがっただと…?」
「は?」

え、そこ、となぜか驚いている臨也に体重をかける。押しつぶすつもりで乗っかれば、臨也の体はわずかに抵抗を見せてからベッドに沈んだ。
低く唸る。
「勝手に手ぇぬいてんじゃねぇ」
臨也の顔のそばに手をついて、威嚇するようにささやいた。
「全力でやれ」
「あのさあ…」
臨也は額に手をやると、深くため息をついた。「人の気遣いを…」とささやく声など、鼻で笑い飛ばした。





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