日々也は大広間の階段をのぼらず、脇にある回廊に出た。
どうやら城の西、右翼にあたる建物へとつれていくつもりのようだ。
「ああ、いい天気だね」
西の郭をとりかこむ庭は、ちょっとした林のようだ。
西に向かうにつれ、濃くなる緑をみながら、日々也は目を細めた。
「門出にはいい日和だ。思わない?」
振り返って笑いかけてくる、その笑顔に曇りなんてひとつもない。
デリックは肩をすくめた。

庭にでることもできるのだろう、緑に囲まれた廊下をぬければ、そこは大きな訓練所を囲う施設だった。
何の施設かは、訓練所で剣を交える男達(といっても半分は虎だったり羽が生えてたり獅子だったりしたわけだが)をみてわかる。
つまり、右翼のほとんどがこの施設に使われているということだ。
「ここ…」
「騎士団の宿舎」
ああ、やっぱり。
デリックはあらためて広大な訓練所を見渡した。
大きな砂地の広場を囲う客席のような階段の群れ。
中は建物なのだろう、脇かに戸口がついている。
今抜けてきた廊下と、広場を挟んで向かいも同じように階段が寸断されており、一本の道ができていた。
飼い葉桶をはこんでいる人影がちらちらとみえるところをみると、厩なのかもしれない。
「…ばかでけぇな」
「しかたないよ」
日々也は胸を張った。
「いってみればセキュリティースイートはね、俺を司令塔にしたいくつかの組織で出来ている。その中でもここはウイルスと戦う事だけを専門にしたいわば国守の要だ」
「……つまりアンチウイルスソフトを一挙にになってるって事か」
「戦いの選抜チームみたいなものかな。ちなみに屋内の道場と他に乗馬訓練するための施設が2つある」
日々也はいうと、人目につくより先に脇にあった建物にデリックを押し込め、「団長たちに談話室にくるよういってくれないか」
近くにいた男を呼び止めると、言伝る。
そうしてデリックをつれて宿舎にはいった。

宿舎は美しさも壮麗さもなかったが、清潔だ。
丁寧に使われていることがよくわかる。
ずらりと同じような扉がならんでいるのに、日々也は迷いなく進みその部屋の前で立ち止まった。
日々也に促されて入った部屋は、その宿舎の奥にある広い暖炉のある部屋だ。
絨毯が敷かれ、ソファが置かれているところを見ると、身分が高い人間が使うための部屋なのだろう。
といっても、城の本丸の絨毯とは毛足の長さがまるで違う。

「ひびやさま」

扉の外から声。
部屋を観察していたデリックは、振り返る。
控えめなノックに、いつのまにかソファに座っていた日々也が答えた。
入ってきたのは3名の男だ。
一人は人間と変わらない姿をしていたが、後の二人は狼と、獅子の顔をしている。
なるほど強そうだ。
日々也の側に立ったまま、デリックはその男達を見返した。
「忙しいところすまない」
「そんなことはどうでもよろしいのです」
低く唸るように言ったのは獅子顔の男だ。
彼は日々也に近寄ると、グローブのような手で日々也の頭や体を撫で回し始めた。
「おいこら、やめろ師団長!」
「この上お怪我を隠し立てされていては事です!」
「してないっ!してないから!もうあれから何日たっていると…」
「以前、侍医が寝込むような怪我を自然治癒に任された方の台詞など信じられません!」
デリックは、もみくちゃにされる日々也という大変珍しいものを、特等席から拝見した。
普段すかした澄まし面が、焦ったり喚いたりで赤くなったり青くなったりしている。
大変いい気味であった。
獅子は、一通り撫で回してどこにも怪我がないことを納得した様子だったが、今度は立ち上がって日々也の前で腕を組み、すっかり「お説教」の姿勢にはいった。
「日々也様、さきごろまたお一人でウイルスを狩りに出かけられたとか」
「…そんなのは過去のことだよ。わすれてしまうといい」
小憎らしく答える日々也は、身なりを整えながらしかめっつらをしていた。
おじいちゃんに叱られる孫のようだとデリックは思う。
案の定、
「私はお咎めもうしあげているのです!」
獅子の咆哮のような怒鳴り声だ。
そんな獅子をなだめるように、ごく普通の人間の腕が肩を抱いた。
黒いソバージュの髪を高く縛った、日に焼けた男だ。
「まあまあ、おちつけ。こう見えて若様も反省しておられる。次はきちんとお供を連れてウイルス退治に出かけてくださるはずだ。…ですよね?」
微笑みながら無言の圧力に、日々也は微笑み返した。
「もちろんだとも。今回はいってみればそのために集まってもらったようなものだ」
「と、いうと…」
黒髪の男はちらりとデリックに目をやる。
狼面の男が、ただでさえ細い目を細め、低く尋ねた。
「わが君、そちらのど派手な方は?」
「よく聞いた」
日々也はようやく我が意を得たりと言うように満足げにいった。
「あなた達が耳にタコができるくらい注意してくれるから、俺も考えたんだ」
「わが君、何をです」
「うん。つまり」
日々也はぼーっと立っていたデリックの腕を引いた。
よろめいたデリックはソファに手を突き、不自然な体勢に顔をしかめる。
「彼の名前はデリック」
日々也はまるで頬ずりでもするように、デリックの首筋に手をやり、微笑んだ。

「俺は彼を、俺の騎士にしようとおもう」

一瞬の沈黙。

日々也はその間に、なぜか手で耳栓をした。
「――日々也様ッ!」
ろう、と空気が震えるほどの咆哮。
獅子のものだ。
黒髪の男が、あわてて獅子の背中にすがりつく。
「ちょ、ちょっとまておい…ッ」
「今までちまちまと他のシステムから色々なものを拾ってこられましたが、今回ばかりは承服いたしかねます!元の場所にすてていらっしゃい!」
「なぜだ」
獅子は悶絶せんばかりに絶句した。
「なぜですと…!」
「おおおちつけ、おちつけって!な!」
「嘆かわしい、我々の目を見縊られておいでですか」
獅子はデリックを指差した。
「そのもの、我々の敵ではありませんか!」
しん、と部屋が静寂に包まれる。
「まあ、確かにデリックはウイルスだ」
「ちょ、おい!?」
デリックの言いたい事を察したのだろう。
日々也は笑っていった。
「彼らには話しておくべきだと思っていた。ただし他のものにはしばらくのあいだ口外はなしだ」
わかったね、と日々也は命をくだす。
「もう決めたことだ。俺はデリックを側に置く。これしか、側に置かない」
いっそ潔いほどの言葉だ。
だからこそ、それが本当のことなのだとわかる。
「わが君」
狼面の男が、うなるようにいった。
「ではせめて、その男に洗礼を」
「しない」
「日々也様」
「俺はこの男を、ウイルス機能を宿したまま側に置くといっている。ちなみに異論はみとめない」
しん、と静まり返る。
部屋の空気がはりつめるのに耐えかねてか、デリックは首をめぐらせて日々也を見た。
「…おい、なあ。どう考えても無理があるって。納得するわけねぇよ。な、諦めろ」
「おれの辞書に諦めるという文字はいらないよ」
「あのな、空気読んでからいえよそういうことは」
「お前こそ空気を読んで黙りなさい」
黙ったらこの底の抜けそうな沈黙が浮き彫りになるということが、もしかしてこの男にはわからないのだろうかとデリックは思う。
さきほどから、獅子からいただく熱視線で頬に穴が開きそうなのに。
「…なあ洗礼ってなんだ」
「お前をウイルスではなくして、俺というシステムの一部に作り変えること」
ぎょっとしたデリックを上目で見て、日々也は口元をゆがめた。
「俺が最強のセキュリティスイートと呼ばれる所以はそれだ。俺は他のシステムに『ワクチン』という名のシステムで干渉を行う事ができる」
デリックは目を瞬いた。
「……。……?」
「…つまり、その機能を持つシステムを根こそぎ別のシステムに変えられるということだ」
「……おう」
「……。おまえ、さては本当に頭がわるいな?」
「ほっとけ!遠まわしなんだよお前の説明っ」
心底呆れたという顔の日々也に、デリックは反論した。
やれやれといわんばかりに、日々也は肩をすくめる。
「平たく言えばウイルスのお前にワクチンを打って、俺の味方にしてしまうってことさ」
「……って」
デリックはぎょっとした顔をした。
「なんだそれ。敵が敵じゃなくなるってことか。反則技じゃねぇか」
「理解が遅い」
ぴしゃりといって、日々也は三人を見た。
どうも、デリックとの会話を見ているうちに戸惑い顔になってしまったようだ。
無理もない、と日々也は思う。
自分だって、デリックがこんなお馬鹿さんだとは思わなかった。(とはいえ、実際3人がとまどっていたのはこんなにも自分たちに近い型のウイルスがいるとは思わなかった、という点である)
「まあ、見てのとおり多少知性には欠けるが」
「殺すぞてめぇ」
「品も敬意も足りないが、腕は立つ」
「それじゃ余計心配ですよ、若様」
黒髪の男がいったが、日々也はおだやかに微笑んだ。
「心配は要らないよ。そのために躾けるつもりだから」
「……」
「今はいろいろと馬鹿だし不甲斐ないし役に立たないしバカだから、不安も多いだろう」
「おい、バカって二回いったぞ」
デリックの突っ込みは黙殺された。
日々也はまるで子供のように無邪気に笑った。
「だからあなた達の納得のいくよう鍛えるといい」
何かを言おうとしたのだろう、3騎士の言葉をさえぎって、日々也はふと声を低くした。

「あなた達なら、わかってくれるはずだ。俺には、どうしても今の状態のままのデリックが必要なんだ」
「……?」

デリックは怪訝に眉を顰める。
ぴり、と部屋の空気が張りつめた気がした。
みれば、あれほど喧々囂々としていた3人の顔が、こわばっている。
神妙になっているとも言える。
誰が何を言ったわけでもないが、そのとき確実に、話の流れはむかう結末を変えた。
長い、沈黙があった。

「……いたしかたありません」
口にしたのは狼男だ。
「我が君がそこまで心にきめたのならば、異をとなえることもありますまい」
「賛成。俺も腹をくくりますよ」
黒髪の男が尻馬に乗る。
「馬鹿なことを言うな」
牙のずらりと並ぶ獅子の口から唸り声が漏れた。
「日々也様の御身を危険に晒すような真似、たとえどのような事情があろうとも承服いたしかねます」
ふいに修羅のような目でデリックを睨みつけ、「私はこいつを、絶対に認めません」
いっそ清々しいほどに切って捨てた。
日々也がもう一度なまえを呼んだが、獅子は首を振ってそれを振り払うと、「私に認めさせたくば、その男を細胞から別人にたたきなおすことですな」
まるで姑が息子の若妻にむけるような敵意である。
「もしもこのものをそれでも騎士に迎えるとおっしゃるならば、日々也様…、私は第一騎士団長を退きます」
日々也は母と嫁の板ばさみになった夫のような、ふかぶかとしたため息をついた。
「……わかった」
「日々也様」
「あなたに抜けられるのはおおいな痛手だがしかたない」
獅子は信じられないというような目を日々也に向けた。
「まさか、私よりもこの男を選ばれるというのですか」
「選ばせたのは貴方だろう」
日々也は絶妙な具合に、寂しげに笑ってみせる。
「…とはいえ、もちろんあなたがそれでも俺を見捨てられないと忠義心から申し出てくれるなら、あなたの発言の撤回を、俺は心から喜んで受け入れるけれど」
あきらかに、獅子は言葉に詰まった。
「こんなことを選ばせるのは俺も辛い。だがデリックを諦められないと同じくらい貴方以上に一団をまとめ俺の助けになってくれる人などいないのも事実なのだよ。貴方に抜けられては、きっと俺が怪我をする可能性も増えてしまうだろうけれど…」
デリックの横で、黒髪の男が「魔性…」と呟いたのが聞こえた。
その言葉とほぼ同時に、獅子が心底忌々しげな唸り声で「そのように狡猾にお育てした覚えは…」と嘆いた。
日々也は満面の笑顔で
「よかった」
と頷いた。
屈託のない笑顔だった。
獅子は悔しげに鼻を鳴らすと、
「ですが、…そいつを認めたわけではありませんからなっ」
呼び止める間もなく部屋を辞した。
このような場には一秒たりともいたくはない、との意思表示だろう。

黒髪の男が息をついた。
「…まあ、しょーがありません。あいつは頭かたいから」
「徐々におれるのを待つしかありますまい」
狼が同意し、デリックを見た。
「そういうわけだ。気に病むな」
驚いて、目を二三まばたいた。
思わず、素直に頷く。
要らぬ心配をされてしまった。
デリックは思った。
なぜなら、獅子に拒まれた瞬間、デリックの胸に広がったのは安堵だったのだから。
近づいて欲しくない。
逆に言えば、受け入れようとするこの2人のほうが、デリックには不可解だったし不快感を感じた。
――デリックには、日々也の思い通りになどなる気は端からない。
日々也が息をついた。
「仕方ないな」
「まあ、それがあいつの可愛いところといいますか」
「わかってるよ。真面目すぎて時々なでてやりたくなる」
デリックは、日々也と獅子の関係性をうっすら垣間見た気がして、わずかに獅子に同情した。

あのふさふさの首をなでたら絶対きもちがいいだろう。







top/next









人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -