真白のシーツに不純を一つ



『少し遅くなる、部屋入って待ってろ』
恋人からのメッセージを確認して、カバンの中の合鍵を探る。貰ったばかりの頃は見る度に挙動不審になっていたけれど、流石に慣れたものだ。バレーボールのマスコットがついたそれを回して、ドアを開けた。


……駄目だ。眠い。暇を持て余しているうちに無意識にガクリと落ちていた頭を持ち上げて欠伸をする。最近色々と立て込んでいて、少しずつ睡眠時間を削っていたのが災いしたか。せっかく聖臣に会えるのに寝てしまっては勿体ないし、何より他人の家に上がり込んで家主の居ぬ間に寝こけるというのはいかがなものかと思う。……思ってはいるのだけれど。ぼんやりとした頭で聖臣のベッドによじ登る。少し、少しだけ横になるだけだからと自分に言い訳をして、ごろりと寝転んだ。薄らと感じる彼の匂いが落ち着く。もし寝てしまっても聖臣が帰ってきたら起こしてくれるだろうと、落ちる瞼に抗わずに目を閉じた。


ふと目が覚めた。まだぼやけた視界を正すようにぱちぱちと瞬きをする。あれ、黒い布団。私のベッドじゃない、なんだっけ。そうだ、聖臣の家に上がってて、聖臣を待ってて――。

「……きよおみ?」
「……なに」

独り言のように呟いた彼の名前に反応があり、バッと顔を上げる。そこには真っ黒の瞳で私を見下ろす恋人が立っていて、ぼやぼやしていた頭が一気に現実に引き戻された。

「お、おかえり……ごめん寝てた」
「……ただいま」
眉間のシワにも声色にも不機嫌が滲み出ている。そんなにベッドを勝手に使ったのがまずかっただろうか。彼の視線の先を辿ってみると、私というより私の口元に集まっていることに気がついた。不思議に思って口元に手をやると、ベタついた感覚。……あ。自分が寝ていたところを振り返ると、若干のシミがある。……まずい。
つまり私は勝手に彼のベッドを使って元気に寝こけた挙句、涎をつけるという無礼を犯していたわけだ。誰に対しても十分失礼なのに、潔癖の聖臣が相手となると地雷度が倍に跳ね上がる。

「いやあの、ほんと……すみません……。もしアレだったら新しいの買いますので……」
ベッドの上で正座し深深と頭を下げる。これで彼を怒らせてしまって、関係にヒビが入ったらどうしよう。別れるきっかけは些細に見えることの積み重ねだって聞くし。……嫌だな。回避するために誠心誠意謝っておこうと更に頭を下げ、ほぼ土下座の体制になろうとする。

「別にいい」
しかし聖臣から返ってきたのは意外にもあっさりとした返答だった。顔を上げると、彼の眉間のシワは変わらず刻まれている。いや嘘じゃん。全然よくないじゃん。

「え、だって私汚しちゃったのに……」
「いい」
「我慢してない?」
「してねえ」
「……本当に?」
「……何、怒られたいの?」
「いやそういうわけじゃないけど…機嫌、あんまりよろしくないかなあ、と……」

いくら言葉を重ねても「別にいい」という意の一点張り。しかし不機嫌ぶりは消えないので、おずおずと直接切り込んでみると、彼はぱちりと瞬きをして、それからため息を吐いた。
「それは……別に汚されたことに怒ってるんじゃねえよ。そもそも、もっと汚す時あるだろ。俺もお前も」
「……?」
聖臣の言うことの真意が掴めず、首を傾げる。私はともかく、聖臣がそんなに汚すことなんてあるのだろうか。イメージがつかない。寝汗?私がてんで理解していないことを察してか、聖臣はまた大きなため息を吐いた後にぽつりと一言付け加えた。

「……夜」

夜、ヨル、よる。そのたった一言を飲み込んだ瞬間、言わんとしていることを理解してボッと顔に熱が集まった。それはその、そうだ。私に事が終わった後確認する元気なんて残ってないからまざまざと見たことはないけど、それは汚れるはずだ。先程まで意識していなかったそういうあれこれを思い出してしまって、何も言えなくなった。

「分かったらいい加減拭けよ口」
「はい……」
固まった私の前にスっと差し出されたティッシュを受け取って、ベタベタとした口を抑える。いっそ何枚か取って赤くなっているであろう顔全体を覆いたいくらい恥ずかしさがある。そんなことをしたら「無駄遣いするな」と一蹴されることは目に見えているのでやめておくけど。

「……汚しても洗えるから別にいいけど、それ以外はムカつく」
「あっ、さ、左様でしたか……。ではどこに……」
気恥しさから妙にかしこまった口調になってしまった。しかし聖臣はそこには突っ込まず、私を見てまた眉を寄せて続けた。
「……他のとこでもこんな無防備に寝てないだろうな」
「むっ……むぼうびって」
「無防備だろどう見ても。というかそもそも他の男の家なんか上がってねえだろうな」
「上がってない上がってない!家にお邪魔するのも、こうやって安心して寝ちゃうのも聖臣だけ、です」
言いながら苛立ちが増幅したのか、聖臣の声がワントーン下がったのを感じて、ぶんぶんと首を横に振る。
「……なら、いいけど」
安心したように少し表情を緩めて雰囲気を和らげた聖臣に、私もほっとしてへらりと笑う。「腹減っただろ、飯作る」と台所へ向かう彼を手伝おうと、慌ててベッドから降りた。ちらりと振り返った時に、綺麗なシーツの中に取り残された涎の跡が見える。綺麗な彼の中に私の存在が混ざることが許容されたようで、なんだか胸の奥がむず痒くなった。



「あ、シーツ今日あれのままで大丈夫なの?」
「いい、どうせ汚れるからまとめて洗う」
「……あっ、は、はい……」






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