蜂蜜がけの悪夢




!色々注意 夢主の殺人描写(事故)があります



そんなつもりじゃなかったんです。本当なんです。
 
付き合っていた彼は、頻繁にお金をせびる人だった。最初はほんの千円。たまたま持ち合わせがないというので、特に抵抗もなく貸してあげた。それがいけなかったのか、次第にどんどん額が増えてきた。五千円、一万円、三万円。大学生のバイト代ではどんどん厳しくなってくる。私も今日は持っていなくて、と断っても、財布の中身がお札が数枚消えていたのは、多分そういうことなのだろう。
最初は返ってきていたお金も、次第に反故にされていく。軽い調子で催促すれば機嫌が悪くなり、真面目に取り立ててみればとうとう殴られた。目を丸くしていると、慌てた様子で彼は私を抱きしめて謝るのだ。私のことが好きだと、捨てないでくれと、私を詰ったその口で今度は愛を囁く。何を信じていいのか、何を切り捨てれば良いのか、もう分からなくなった。
彼は飲み歩くのが好きな人だった。私と違って友達も多い。私のお金はきっとそこに消えているのだろう。女の子もいる飲み会と、その先に。それを察しているのに、彼の手を離すことができなかった。
捨てきれない情と暴力への恐怖、『いつか元のように戻るのでは』という僅かな期待に抗えず、ずるずると続く関係性。それを断ち切る勇気をくれたのは、少し前に知り合った外国人の男性だった。近所に住む沢田さんの知り合いだという、イタリア人のディーノさん。作り物みたいな美貌とは裏腹に、随分と優しくて困っている人を放っておけない性のようで、日に日にやつれていく私を気にかけ、親身になって話を聞いてくれた。ディーノさんの言葉に勇気を貰い、彼氏に別れを切り出すことができたのが数週間前のこと。彼はもちろん素直に聞き入れてくれなかったが、暴れることはなかったので無理矢理別れを押し切った。人目の多い、大通りに面したファミレスで切り出したのが効いたのだろう。手切れ金とばかりに少し多めに出したお金をテーブルに残し、逃げるように店を出る。角を曲がったところにはディーノさんが立っていて、「よくやった!」と笑ってくれた。その笑顔を見て、私はようやくほっと息を吐くことができたのだ。

脳内の大部分を占めていたものが消えると、別のことを考える余裕が湧いてくる。包み隠さず言えば、ディーノさんにときめいてしまった。今まではそれどころではなかったが、改めて考えるとディーノさんって凄くカッコイイのだ。頼りになるし、優しいし、偶にちょっとドジなところもあるけど、それはそれで可愛いというか。恋なのか憧れなのかは分からないけど、もっと彼に近付きたいと思う。どこか浮かれた気持ちで、今より数センチ高いヒールの靴を買いたくなった。




そうして調子に乗っていたから、罰が当たったのだ。
バイトからの帰り道、寂れた通りに元彼になった彼が立っていた。該当も少なく夜は人通りがほとんどないから通りたくない道なのだが、生憎ここだけは迂回できる道がない。そういえば、昔は彼が迎えに来てくれたこともあったっけ。その頃とは正反対の気持ちが湧いて、思わず身体が震えてしまった。
彼は強い口調ではなく、縋るように復縁を迫ってきた。しかし私の腕をとる手の力はとても強く、このままでは何を言っても引き摺られてしまう。彼の家はここからそう離れていない。このままではどうなるか分からない。怖い!恐怖で一瞬力が抜けたが、脳裏に輝かしい金髪が浮かんで――力を振り絞って、彼を思い切り押しのけた。
 
そうしたら、彼は動かなくなってしまった。

私がこんなに全力で抵抗できるなんて思わなくて、油断してたんだと思う。だから思い切り良く倒れてしまった。……でも、それだけだよね?そんな、そんなはずないよね?たまたま、ちょっと気を失ってるだけだって、ねえ?

「……ねえ、うそだよね」

この道は本当に人通りが少ない。私の零した言葉に答えてくれる人は、誰も――。
その時、私の視界に誰かの靴が入ってきた。思わず顔を上げる。そうして認めたその姿に、私は本当におかしくなってしまったのだと思った。こんな辺鄙なところ、この人が通りかかるはずかない。暗がりのなかでも煌めく金髪と、私をじっと見つめる瞳。非難するでも怯えるでもなく、彼は静かに私だけを見ていた。

「ディーノさん、わたし、」

ひとを、ころしてしまった。

 告解するように、震えた唇でそう呟く。ディーノさんは何も言わなかった。彼は頼りになる人だから、きちんと警察に通報して、私をしっかりと突き出すのだろう。そんなつもりじゃなかったんです。本当です。そう言ってもきっと信じられないだろうし、それを言うのはここではなくて法廷の場だ。彼の中で、私の印象は『殺人犯』。これからきっと、永遠に。芽生えかけていた淡い恋の終焉がこんな形だなんて、いっそ笑えてくる。

 私の諦観に背くように、彼は何故だか通報する素振りを見せなかった。それどころか、膝から崩れ落ちるように座り込んだ私に近づく。ぼうっと見つめていた倒れている元彼が視界から消えて、目の前が暗くなる。それと同時に感じる暖かさと、耳元で鳴る甘い声。
 
「大丈夫、大丈夫だ。頑張りすぎて、疲れちまったんだよ。だからこんな悪い夢を見る。気にすんなよ。お前はなんにも悪くない。だから、もうちょっと眠っとこうぜ、な?」

どうして、彼は私を抱きしめているのだろう、どうして、彼はこんなに落ち着いているんだろう。どうして、彼は私を責めないのだろう。色んな思いが一度に巻き起こるが、彼の声を聞いていると何故だか瞼が重くなる。まるで何か、麻酔や麻薬の類のような。抗えなくて目を閉じてしまった。薄くなる意識に直接垂らされるように、甘い声がどろりと響く。どうして、どうして。

「目が覚めたら、全部なかったことになるからな」

こんなの、おかしいはずなのに。





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