W(姫君の玉の輿)

 彼女が言った通り、それは淡々と素早く過ぎていった。彼は――約束などしていないが、向こうにも何か思う所があったのだろう――ちらりとも彼女を視界に映さず、彼女もまた彼を見る事はなかった。
 さあ一ヶ月経ったぞと、二人の姫君と使用人達の騒ぎもその日の朝にピークを迎える。何故なら――

「失礼致します殿下。エリゼで御座います」
「どうぞ、入って」

 心持ち浮き足立ちながら、カインは逸る心臓を抑える。
 一ヶ月、一ヶ月である。この30日間、己の野心を押し留めて執務に明け暮れた。今日だって寝不足である。徹夜と不眠で、若干足元が覚束ない。

「久しぶりね、まさか呼び出されるとは思わなかったわ」

 それだって、彼女の声と姿を見聞きしてしまえば。だらけた神経にも意識を飛ばして、しゃんと。

「来てくれて良かったよ」
「あら、随分な言い方ね。どうせ私が来なくとも貴方から行くつもりだったんでしょう?」

 ぐさり。悲しいかな、図星である。でも彼女はそれを判っていて応じてくれた。我ながら殊勝だ。相変わらず冷たいけれど。

「それで? 少しは冷静になれたかしら」
「……まあ、吹っ切れた気はするかな」

 でも過去の自分の感情を愚かだとは思わなかった。時折、自分が甘過ぎるのか彼女が厳し過ぎるのか夜中に考え出して、結局答えは導けず。
 ただ、これで少しは彼女に子供扱いされずに済むだろうという淡い期待は常に抱いていた。現在の応対具合を見るに、失敗したようだが。

「あれから執務のスピードが上がったそうじゃない。仕事熱心なのは良い事だわ」

 感心する言葉が欲しかった訳ではない。それも、自分の役割に関しては。どうせならもっと別の、第三者的感想ではなくて。
 そんな事で認めて貰えても褒められている気にならない。これでは彼女を迎えに行ったあの部屋に転がっていた本と同じ。その意志は気丈で堅いまま。

「どうしてかな……何でもっと素直に」
「立場を弁えずに私情で物を言えと言う事かしら? 貴方の前では時折そうした事がある筈だけど」

 強く、気高く、曇りなく。己とは正反対のその瞳が眩しい。
 直視出来ずに、少し瞼を伏せた。嗚呼、何を話すつもりだったけ。どうして彼女を呼び寄せたんだっけ。

「貴方、何故私を此処に呼び出したの? そんな事を言う為? ……子供ね」

 遂に、彼女がそう言った。呆れたように、“まるで”も“っぽい”もなく、ただ“子供”と。
 伏せた両目を見開いて、叫ぶ。

「君が好きだからだ! 君に会いたかったからだ! ただそれだけだ!」

 そうだ。それが全てだ。それ以外に、何の理由があろうか。
 珍しく声を荒げて激昂するカイン。エリゼはただただ驚いていた。こうして彼が強く言う事は二度目だ。猪突猛進しかけた彼女を止めた、あれ以来。

「……それの、何が、いけない……?」

 息を切らしながら、目眩を追い払いながら。苦しい。そして少し、哀しい。
 助けを求めるようにふらふらと彼女に近寄り、抱き締める。伸ばされた手を振り払い逃げる事もないエリゼに安堵しながら、一息吐いた途端。

「ごめん」

 極自然に、躊躇いもなく謝罪する。ぎゅうっと、思いに比例して力が入るが構わない。
 こうして触れられた事がどうしようもなく嬉しい。嬉しくてたまらない。

「君の言葉にムキになって、本当に子供だ……謹慎はやり過ぎたよ、ごめん。ごめん……」

 声の近さにどきりとしたものの、焦るなと己に言い聞かせエリゼは耐える。何度も囁かれる謝意に努めて感情を抑え、彼女は言い返した。

「……そんな事だろうと思った。やっぱり子供ね、貴方」

 その苦笑に子供らしく意地になって、彼女よりも優れている点を挙げ連ねるカイン。

「そうだけど、君より力も強いし背も高いよ。それに君に対しては陛下の前より気を張っている」
「まさか。何時も飄々としている癖に何を言うの。それに力も背も貴方の方が良くて当たり前よ」

 白々しい、とばかりにエリゼが反論する。
 何処までも信用されていない。どうすれば効果的だろうか。もっと何か、良い策がある筈――そうだ。

「ふーん、そこまで言う? だったら今度は、一ヶ月僕の部屋に閉じ込めようか」
「は? ちょ、貴方一体何を」

 かかった。今度は目に見えて動揺している。同じ城にいて一ヶ月会えなかったのだ。ならば次はその逆をやれば良い。ナイスアイデア。

「ふ、巫山戯ないで! 嫌よ、絶対嫌! 何故そうなるの! 離して!」
「ふふっ、駄目だよ? 逃がさないから。そこまで必死なら、尚更ね」

 急激に力を加え身を離そうとするエリゼの必死の反抗も虚しく、水を得た魚のように嬉々としてカインは続ける。

「力も背も、僕の方が良くて当たり前なんだろ? どうしてそれを解ってて暴れるかなあ」
「くっ……何よいきなり生き生きし出して! 離しなさい!」

 狼狽え続ける彼女が面白くて仕方ない。半分はほんの冗談のつもりだったが、気が変わった。

「謹慎はあっさり受け入れたのになあ、エリゼ」
「それとこれとは話が別よ! あの時は、私にも非があると思ったから……!」
「――そう……少しは、気にかけてくれたんだ。そっか……」

 嗚呼また頬が緩む。愛しくて可愛くて、顔を見せまいと逸らす。余りにも可笑しくて肩を震わせると、エリゼが余計に怪しんで怒り出す。

「ちょっと、笑わないで頂戴! 何なのもう! いい加減に……」
「エリゼ。好きだよ」

 唐突の告白に、目を白黒させるエリゼ。真っ赤な絵の具でも塗られたかのように、顔が朱に染まる。体が熱い、そして重い。

「僕は君が好きだ、エリゼ!」

 真っ直ぐ見つめて、そしてめいいっぱい微笑む。想いをぶちまけると、酷く体が軽くなった。寝不足であった事など既に過去。嗚呼、何て清々しい。

「だから、会えなかった一ヶ月分の穴埋めと思って、この部屋にいてよ。ね?」

 もごもごと何が良い文句はないかと俯いて逡巡するその細い顎を、すらりと伸びた指が攫う。
 彼女が抵抗の二文字を忘れたまま固まっているのを良い事に、自身の胸に押し当てられた手首を掴むと見せ付けるようにキスを落とす。次いで掌、手の甲、更に首筋、額、頬。一つ一つゆっくりと、焦らすように。そして最後は――言わずもがな。

「――……」

 エリゼは瞬きも忘れ、名残惜しそうに遠ざかるカインの表情に抜け殻の如く魅入られていた。いや、正確には焦点が合っていない。
 上へ下へと移動する唇を目で追っていたのは、頬まで。そこで視点は動けなくなった。

「じゃあ、僕は公務に向かうから。ちゃあんと此処にいてね、エリゼ。一歩も出ちゃいけないよ」

 最後に耳元でささめけば完成。悪戯が成功した破顔には、してやったりの悪どさが滲み出ている。
 ――こうして新たな火種が生まれると、揃いも揃って皆が騒いだ。その中には、エリゼ以上に激怒するカインの妹、ネアの姿があり。

「兄上。義姉上に何かしたら、私は一生兄上と口を利きませんから。その御積りでいらして下さいね」

 本当に実行しかねない所が恐ろしい。本人を懐柔出来たと思ったら早くも次の敵が現れた事に、兄として、一人の男として複雑な心境を味わう事になったカインであった。


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