熱はなんとか無事に下がった。だけど、3日も休んだせいで撮影は私が出る部分だけ滞っていて、そこを埋める為に結局学校を休むことになってしまった。‥いや、タイミングは良かったのかもしれない。寝ても覚めても全然忘れられないのだ。あの日の緑間君のキスが。柔らかくて優しい温度。なのに、じりじりと焼けるみたいに離れてもどんどん熱くなっていく、あの感覚。

「辰巳さん入りまーす」

撮影現場に入って、機材や照明を慌ただしく準備している間を縫い、会う人会う人に声を掛けて頭を下げる。すみませんでした、ごめんなさい。撮影押してしまって、申し訳ないです。私だけに責任がのしかかればいいけれど、そうじゃないから現場に入るとかなり心臓が引きつった。予定がある。人にも、そしてドラマにも。皆気を遣って「大丈夫?」って声を掛けてくれるけれど、それが逆に圧をかけられてるみたいで、余計に居心地が悪くなるというか。

「監督、すみませんでした。お休みしてしまって」
「いいよいいよ。無理された方が困るし、それに今日挽回してくれるんだろ?頼むな」
「はい」

ぽんぽんっと肩を叩かれて、そのまま別室へと向かう。ドラマ用の衣装に着替えて、メイクを直して、大きく息を吸って吐いてを繰り返して気持ちを切り替える。ここからは「仕事」だ。人を楽しませる為の、私の役割。お金をもらって「働く場所」なのだ。‥なのに、頭の端にちらつくのはやっぱり彼の顔で、つい鞄の中にあるiPhoneを視界に入れては溜息が出てしまう。休んでいる間に電話はなかったからだろうか、‥声が聞きたい。でも、そういう風に言えるような仲ではないし、私は緑間君とそういう仲にはなれないから。そう考えると体の深いところが冷たい色に染まった気がして、じわじわと悲しくなってくる。今何してるんだろうってつい考えては、振り払うように台本を読み込んだ。

「亜樹ちゃんいけるー?」
「もう行きます」

呼びに来てくれた小川さんの声に反応して、ぶんぶんと頭を振る。上手くいけば今日で二話分の撮影が終わるかもしれないし、そしたら明日はちゃんと学校に行けるし、わざわざ家まできて小テストの範囲を教えてくれた緑間君に会えるし、ちゃんとお礼も言えるということなのだから。こっそり心の中に仕舞い込んだ恋心は、ひっそりと縮こまっていればそれでいい。考えが変わる予定はないし、伝えるつもりもない。‥だけど一緒にいたいっていうのは、ちょっと欲が深すぎるだろうか。













「明日、夕方から撮影ね」


人生、思うようには上手くいかないらしい。いや分かっていた。分かっていたけれど、自分が負けず嫌いということをよく知っているからこそ余計に悔しい。
撮影は結局終わらなかった。いや、監督や、各スタッフさんの中では既に周知の事実だったみたいだった。どちらかというと、明日丸1日撮影でなくなったことの方が嬉しい出来事みたいで、ちょっとだけ浮き足立っている人もいる。‥だけど私は違った。「夕方から撮影ね」という監督の言葉がどこか痛い。まるで「集中できてなかったね」という風に聞こえたのだ。確かにそうかもしれないと、じわじわ後悔の波に飲まれていく。

「亜樹ちゃんおつかれ」
「あ‥小川さん‥」
「病み上がりだからかな、なんか調子悪そうだったけど大丈夫?」
「大丈夫です、‥あの、今日どうでしたか、私」
「んー‥なんか台詞とか飛んでたのは気になったかなあ。まあでも、最後の方は集中戻ってたし大丈夫でしょう」
「そうですか‥」
「今日は早めに帰ろっか。明日もあるし、午前中は学校でしょ?」

早く帰って栄養のあるものたくさん食べてしっかり寝ないとね!だなんて、まるで母親のようなことを言いながら私の背中を押した。
完璧主義、とまでは言わない。だけど、今までなるべくそう近くあるように過ごしてきた。だからこんなこと、初めてなのだ。モヤモヤして集中できないのも、あまり期待をしていないような目をされるのも。仕事が終わるのがこんなに後ろめたくてたまらないことも。

恋を自覚すると、こんなに余裕がなくなってしまうってことも。

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