「それでは気を付けて」

大学生になって、1人暮らしを始めて、サークルも勉強もバイトも順調。そして今日も、サークル終わりに同じ大学に通っている黒尾さんと木兎さんから無理矢理連れられて飲みに来たが、残念ながらまだ20歳に届いていないのでジンジャーエールがお酒の代わり。世の法律なのだから仕方がないでしょう。と言うと、真面目か!といつものツッコミが炸裂した2時間前。いい加減慣れた。

「あかーし帰んの!?スポッチャ行かねーの!?」
「黒尾さん、ちゃんと連れ帰ってくださいね。その状態でスポッチャなんて行ったら木兎さん吐きます」
「分かってるよ。んじゃ送ってくっから」

黒尾さん、木兎さんの彼氏か。そう思う程に手慣れた様子でタクシーの後席に木兎さんを押し込んだ黒尾さんは、ギャーギャーと煩いBGMを聴きながら一緒にタクシーへと乗り込んでいった。タクシードライバーも然り。毎週月曜と木曜、大学生になってからというもの、この2日だけはいつも付き合わされていた。お代は2人持ちだから文句こそ言わないが、遠慮もしている。つまり今からメインの夜飯だ。

飲んでいた店から住んでいるマンションもコンビニも近い。料理は人並みにできるけど、2人に付き合わされた体は既に疲労感を訴えていて、迷わず自動ドアに足を向けた。牛乳もう無かったし、買っておこう。なんか弁当買って、さっさと風呂だな。サークル終わりの汗臭い状態で長居は無用。レジで精算を終えてコンビニを出ると、まもなくマンションに到着する。明日金曜か‥授業が多い日だ。

「にゃあ‥」

蚊の鳴くような小さな鳴き声は、驚く程鮮明に聞こえた。きょろきょろと周りを見渡し、もう1度聞こえた声に今度は足下へと視線を下げると、黒く汚れた仔猫が泣きそうな目でこちらを見上げている。踏み潰さなくてよかったけど野良‥‥‥いや、首輪がついてる。こんなに小さいけど飼い猫なのか。

「‥‥えっと、どこの猫‥」

いや、聞いた所で返ってくるのは「にゃあ」だけだろうけど。ちょっと移動してもついてきて、足下に張り付くように縋る姿にどうしたものかと立ち止まった。幸いペットは可である。親の知り合いのコネで、その辺のマンションより安く借りれたからという至極単純な理由だ。‥ただ、仔猫の世話などしたことがないし、そもそも恐らく飼い猫で、その辺に飼い主がいるはずなのだ。

「‥首輪見せてくれる?」

荷物を置いて屈んで、そっと頭を撫でた。人に慣れているからか逃げない様子だ。

「‥‥"mashiro"」
「にゃあ」
「マシロね」

名前を呼ばれて嬉しかったのか可愛い返事をして、何故か荷物へ擦り寄った。この仔猫、こんなに懐いた様子で擦り寄っていたら、誰かにそのうち連れて行かれるんじゃないだろうか。ぼんやり考えていると、今度はガサガサと袋を漁り始めていて待ったをかけた。何を狙っているのかと思いきや、今度は膝に登っている。っていうかなんでこんなに汚れているんだろうか。捨てられたとは考えにくい。

「にゃう」
「‥‥なんかお前ちょっと焦げ臭くない?」

黒い所を払って、見えてきた真っ白い毛。だからマシロか。‥まあ、一回連れ帰って、どうしようか考えてみよう。最悪相談できる人はいるわけだし。

「洗ってあげるよ」

抱き上げてそういうと、中々に嬉しそうな声をあげた。メスだろうか、結構可愛い。そしてぴくりと耳を動かしたと思ったら、くるりと後ろを振り向く。なんだろうと俺も一緒に振り向いた。‥真っ直ぐ、奥の奥で輝くオレンジ色。それが火事だと気付いた時にはサイレンの音が鳴り響いていて、驚いてマシロを見た。

「‥‥おまえ、」
「マシロ!!」

声がした。鈴の音みたいな澄んだ声を俺はよく知っている。大学でよく授業が被る、というか入学した時に、バレーのサークルで友達になった同学年の女の子だ。小鳥那津。今日大学で見たままの姿の彼女は、俺の腕の中にいる仔猫を見て、泣きそうな顔で俺ごと抱きついてきた。焦げ臭い匂いと石鹸のコロンが混じって鼻をくすぐる。‥いやちょっと待って。その前に、この状況は一体なんなの。

「にゃあ!」

愛おしそうに仔猫が鳴いた。

2017.03.03

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