例えば、嫌いな物が急に心惹かれる物になることはあるのだろうか。ちなみに私の母は、子供の頃珈琲が飲めなかったらしいが、今では生活の一部なのよと話していた。一体何が変わったのだろうか。舌か、心か。まあ、そう考えている時点で、私にも多少の心の変化が芽生えた、ということなんだろうけれども。

「烏養さん、お帰りなさい」
「わりーな水城さん、いつも遅くまで店番させて」
「大丈夫ですよ。それより今日お母さん達いないから、ご飯適当に食べといてって言ってましたけど」
「ゲッ!マジ‥腹減ったけど作るのダルい‥」
「‥って言うと思うから台所使っていいと言われたので、お店閉めたらご飯作りますね」
「いやあ‥毎度毎度すまねえなー」

近所にある、小さい坂ノ下商店でバイトをし始めて半年程は経っただろうか。最近メインで働くようになったと同時に、毎日の店番を担当していた烏養さんは、烏野高校の男子バレーボールのコーチに本格的に就任して、代わりに私が店番を担当することが多くなった。4つ上の烏養さんは、金髪で、タバコを吸う、まるでヤンキーで、少しだけ外見が怖い人だ。外見だけ。

「今日も随分お疲れですね。大変でした?」
「大変‥まあ、大会負けたからな‥なんつーか、メンタル面で」

つい先日、インターハイの準決勝だかなんだかで負けてしまったらしく、未だ悔しそうな表情は抜けきれていない。

「水城さんも無理にこっち出ようとしなくてもいいからな、お袋もいるんだし。一応まだ学生だろ」
「単位ほぼ取り終わって暇なんです。就活もないですからね、私」
「何すんだっけ、作曲?」
「まあ、そんな感じです。楽曲提供」
「すげーなあ、音大生」
「凄くないですよ。私楽器はほとんど弾けないですし」
「だから、それが逆にすげーんだって」

シュボッとタバコに火をつけた烏養さんは、いつものジャージを脱ぎ捨てながらお店の奥に向かう。そこで私は最近いつもみたいに大きく息を吐くのだ。

「はああ‥‥」

やばいなあ。今日もとてもかっこいい。金髪もタバコも嫌いだったのに、なんでこんなに烏養さんのこと好きになってしまったんだろう。レジを開けて、札束を数えながらニヤニヤしそうになる口を必死に閉じた。最近おばさんにお店どころか烏養さんのことまで任されてるような気がするが、嫌ではないし、むしろちょっと嬉しかったりするほどには烏養さんにのめり込んでいる自覚がある。

「5分早いけど、もう閉めるか」
「え、いいんですか?」
「腹減ったしな。レジ閉め俺がやるから飯頼むわ」

隣に立って、札束を私の手からするりと取ると、にっと笑って頭を撫でた。15cmある身長差、俯いたら赤くなっている顔はきっと見えないだろう。笑顔を向けて「分かりました」と伝えられる余裕はない。

「烏養さん、何食べたいですか?」

頭を撫でている手には気が付かないふりをして、くるりと背中を向ける。頬っぺたが熱い。お店用のエプロンを外しながら烏養さんに声をかけた。

「なんでも‥って、そう言うのはダメっつってたか。じゃあ、豚汁。材料なきゃ買ってくっから声かけろよ」

この人のさり気ない優しさが好きだ。しかも、優しさじゃなくて、そんなこと言うのは当たり前だろって思ってやってるから余計困る。

「豚汁ですね。分かりました」
「あ、あと」
「?はい」
「今日、送ってく。自転車置いてなかっただろ?雨降ってるしな」
「えっ、‥や、いいです、そんな」
「ダメだ。最近、変な事件多いからな」

じゃ、豚汁よろしく!そう言ってぺらぺらと札束を数え始めた烏養さんをちらりと盗み見る。‥ああ、今だけ札束になりたいです。札束になれば、烏養さんのその何故か緩んだ可愛い顔、じいっと眺められるから。

2017.02.20

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