僕の彼女は歳上の癖に何かと疎い。何が?って言われるとちょっと困るくらいには疎い。警戒心が薄いのだ。ホントにぺらっぺら。別に誰もかれもが好意を寄せているから全員に気を付けろよとは言わない。でも、誰が近くて誰が節度を持った距離にいるのかくらいはちゃんと分かっていてほしい。ただでさえそっちは有名人なんだから、と、僕はむかっとしたままの胸の内を燻らせているだけだ。

高校を卒業して少しして、1人暮らしの僕の部屋に段々と半同棲状態になっている怜奈。もちろん「寂しいならくればいいじゃん。寝に来るだけでもいいし」という僕の言葉通りの運びになったのである。殆ど会えなかった距離を埋めたいと思っていたのは僕だけではなく、怜奈も一緒だった。忙しい怜奈と大学に通っていた僕は、どうしてもすれ違いになりがちだったし、丁度良い。そんな始まりからもう一年が経過している。だけど、そのぺらっぺらの警戒心のなさのせいで半同棲してたってちょっとした不安が収まることはなかった。ライブの時によく見る対バンの男、同じバンドでもない癖にいつも怜奈の近くにいるし、必ず来るファンの1人は怜奈が片付けや打ち上げを終えて、ライブハウスから離れるまで外で待っていて、側を離れようとしないのはよく見る光景だ。

「たーだいまー」
「お帰り」
「ワッなんか良い匂いする!なに!?」
「肉じゃがだけど」
「わーい!肉じゃが好き!あ、お味噌汁もある!」
「早く着替えてきたら」
「分かったっ」

開けた扉から聞こえてきた声は、この部屋を一気に明るく染め上げてくれる僕の彼女であり、今の悩みの根源である。
怜奈は丸一日オフの日の前日に泊まりに来る。あとは、ちょっとした仕事の合間だったり、会いたくなったからって来たり。そうして僕は大学が終わってから地元のバレーチームに行くので、いつ入ってきてもいいように合鍵を渡している。今日は彼女から少し早めにこっちに来るという連絡があって、明日はオフだという怜奈にしては中々に長い休日だった。夕飯の準備は別に嫌いじゃない。怜奈も僕が遅い時は作ってくれるし、お互いができる時はやるというスタンスがあるから楽だ。

「なんかやることあるー?」

ひょこっと扉から顔を覗かせてきた彼女の肩は丸出しである。ちゃんと着替えてから出てきてよ、という意味を込めて睨みつけたのに、それすらも分かっていない。‥右側のブラ紐、落ちかけてるの見えてるんだけど。サイズ合ってんの?ちゃんと調整してる?まあ、ここには僕だけしかいないし、警戒心ないのは有り難い。でもね、そういうところなんだよ君は。

「ないから着替えて」
「はいはーい」

大人しく引き下がってくれた怜奈は扉の向こうに戻って、またがさがさしながら着替えてる。‥そういえば、彼女用の透明衣装ケース、そろそろ一つでは足りないのではないだろうか。寝巻きと下着と、あと簡単な私服でぱんぱんになっていたような。そんなことを考えながら落とし蓋のアルミホイルを乗せると、背中に重みが増した。

「‥チョット、怜奈」
「もう着替えたから!ね?いーでしょ?」

歳上の癖に随分可愛いことをする。ぎゅうと抱きついた両腕が腹に回って締め付けていた。痛くはないけどちょっと動き辛い。テレビで見る顔とは全く違う、僕にだけ向けるほわわとした笑顔を見るとしょうがないと諦めてしまうのだ。僕らしくないと思う。だけど、彼女にはそうなってしまう。完全に惚れた弱みってやつなんだろう。

「なにそのカッコ」
「あったかくなってきたでしょ?だから半袖解禁ってことで」
「いやそうじゃなくて」
「えっそうじゃないの?」
「そうじゃないでしょ‥」
「でも蛍しかいないし」
「‥」

肉じゃが、まだできるまでには少し時間がかかる。だけど、怜奈に構っていたらきっとすぐに出来上がってしまう。‥いや、味が染み込むから時間をかけてもいいのか?そう考えて怜奈の手首を掴んで台所を後にする。もちろんコンロの火を止めるのは忘れずに。

「どーかした?」
「どうもこうもしないでしょ。誘ってんの?」
「は。‥‥ハイ!?なんでそうなるの!?」
「Vネック深すぎ」

ローテーブルの前に腰掛けて、僕の座った足の間に怜奈を座らせた。上から見下ろせばVネックから谷間が丸見えで、また溜息を吐くことになってしまう。

「だから、蛍の前だけだって、こんな緩いの」
「それが誘ってるっつってんの」
「ええ、って、ちょ、」
「肉じゃが後でいいでしょ。明日休みなんだし」
「そ、ゆ、問題じゃな、わたしお腹空いたしっ!」
「僕もお腹空いてんの。‥まあ、怜奈とは別の意味だろうけどね」

歳上の癖に子供みたいで、キラキラしてて、明るくて眩しい彼女が好きだ。そんな風だから男も寄ってくるんだってことは分かっている。僕の腕の中で閉じ込めておければいいのにと服の中に右手を忍ばせた。

「ぁ‥っ」
「とか言って満更でもないくせに」
「も ぉ、」

だけど、それを結局は許してくれる彼女の方がきっとずっと大人なんだろう。嫉妬なんて僕の方が子供じみているのかもしれない。‥ああ、今日はよく眠れる日になりそうだ。

2020.03.22

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