「つ‥疲れた‥」

流石に根を詰めすぎたかもしれない。スティックバックをベッドの上に放り投げて、ついでに自分もベッドの上へダイブ。ご飯もお風呂もまだだけど、このまま何もせずに眠ってしまいたい。でもそんなことはできない。化粧は絶対落としたい派だし、ご飯だってちゃんと食べたい派なのだ、私は。

今月は、撮影に取材にドラムクリニックにバンドオーディション審査にと、色んな仕事がずらりとスケジュール帳に刻まれていた。馬鹿みたいなそのスケジュールに軽く目眩を覚えたが、無理矢理仕事を詰め込んだのは自分なのだからしょうがない。タクシーであっちこっち移動する度にうとうと寝てしまったせいで腰が少し痛いけど、どうにか動かなければ。‥でも眠い。

明日は丸1日久しぶりのオフ日で、その次の日からは東京でバンド雑誌の取材が待っている。明日は何をしようか、何を食べようか。そんなことばっかり考えているところにひょこひょこと蛍という男が頭の中に現れるのが、物凄く鬱陶しい。もう諦めて別の恋を探すなりなんなりすればいいし、イケメンの1人や2人、探せば絶対にいるじゃないか。好きになるかなってもらえるかは分からないけど、そう、男は蛍だけじゃないのに。‥のに、だ。

「‥‥コンビニいこ」

考えててもラチがあかない。いや違う、そうじゃない。考えてちゃダメだ。‥ダメなのに、蛍はずっと私の頭の中に住み着いていて出て行きやしない。もういっそ誰か私のことを好きになってくれればいいのに。今なら絶賛彼氏募集中で、即決する覚悟だって出来ている。ただ、それが相手にとってとても失礼だとは分かっていても、蛍を忘れる為に、という理由であることは分かっていてほしいところだけど。いやあ、我ながら中々サイテーな女である。

白いスウェットパーカとデニムのパンツをのろのろ引っ張り出して、取り敢えず何かを買いに行こうと帽子を被り、財布とスマホとイヤホンだけ持って家を出た。おにぎりにしようか、サンドイッチにしようか。はたまたお弁当か。最近ハマっている楽曲を聴く為に音楽アプリを操作しながら歩いていると、突然画面上に現れたのは「今なにしてますか」っていう8文字だった。折角友達のバンドの曲を聞こうとしていたところだったのに、という私の文句は即座に飲み込まれる。誰から宛のものかを確認したのがいけなかったのだ。

「こんな所に突っ立ってると危ないですけどっていうのは聞こえますか」

まだ音楽は鳴らしていないから、そんな声は充分に聞こえている。いや敢えて言おう。聞こえない方がよかった。っていうか、そっちこそなんでこんな所にいるんだ、ストーカーだって言うならそっちじゃん。私が見えたからメールでも送ってきたのかと思うと、それってなんか狡いのでは?

背中越しに聞こえたのは確かに間違いなく蛍の声だ。振り向こうか、振り向かずにいようか迷っていたが、結局肩を叩かれてしまったのだからしょうがない。

「‥なにやってんの‥吃驚を通り過ぎて怖いんだけど‥」
「言っときますけど偶然ですよ。僕の友達が風邪引いたからこっち方面にプリントを届けに上がってたんですけど、まさか怜奈さんがこんな所にいるなんて」
「へえ‥顔に似合わず優しいところあるんだね」
「久しぶりに会ったのにそんなことしか言えないんですか」

お、怒っている。‥のか?よく分からないけど、どうやら機嫌が悪いらしい。学校で何かあったんだろうかと、無意識に伸ばそうとした手を慌てて引っ込めた。相変わらず可愛くないけれど、こうやって改めて会ってしまうと分かる。この間までは分からなかったけれど、私、蛍に対してイケメンフィルターみたいなものがかかっているらしい。自覚って怖い。じわじわ恥ずかしくなるし、今までどうやって接していたのか分からなくなっていてついドギマギしていると、一歩近付いてきた蛍につい一歩後退る。

「‥なんですか。最近連絡ないと思ったらやっぱり避けてたってことですか」
「いや、今のは条件反射だって」
「急に連絡くれなくなったの、なんでですか」
「別に忘れてた訳じゃないからさ、忙しかったんだって、ほら、自慢じゃないけどメディア露出も増えてるし、私一応大人だし仕事が、」
「前はそれでも連絡してくれてたんですよね?」
「そ‥りゃあ‥そう‥なんだけど‥」
「関わってきたのはアンタからなのに、簡単に人のことポイ捨てするんですね」
「は、」

待って。そんな言い方ってない。私蛍のことをポイ捨てなんてしたつもりないのに、なんでそんなこと言うの。大体そっちから連絡なんて殆どしてくれたことない癖に。気にしたことなんてなかったけど、そんなこと言われたらそっちはどうなのよって言いたくなる。

「そっちがどういうつもりだったのか知らないですけど、僕はもう無理ですよ。怜奈さんのこと簡単に諦めるとか出来ないんで」
「‥なんの話してんの?」
「覚悟しといてくださいってことです」

ばさっと音がした。蛍が学ランを脱いだ音だ。寒いだろうに何やってるんだろうと思っていたら、視界が暗くなっていく。どうやら学ランで周りの視界を塞がれたらしいと思ったら、唐突に唇に触れた何かは酷く冷たいものだった。

「ッつめた、!」
「‥恥じらうとかなんかないんですか」

今、アンタ襲われたんですよ。歳下の男に。
鼻がぶつかりそうな距離で言われた言葉は少しばかり棘が見える。それでも周りから見えないように私達の顔を学ランで覆ってくれた蛍のその行動は、私のことを考えてのことなのかもしれない。

‥っていうかちょっと待て。
一体なにしてくれちゃってんの!?

2019.01.22

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