「怜奈最近どうよ?」

急になんの話だろう。練習が終わってから機材片付けていると、同じバンドのベーシストが声を掛けてきた。最近、どうよ。‥どうよっていうか、まあ売れてるよね、お陰様で。私が作った新曲がオリコン20位の中に初めて食い込んできたし、音楽雑誌とかメディアでも取り上げられるようになった。若い俳優さんが、メディアでSってバンドが凄い好きで≠チて言ってるのも聞いたことがある。アカネさんが達とやっているバンドLYNXの新しいシングルなんて、また10位以内に入っている。順風満帆とはこのことで、嬉しくない訳がなかった。

でも、心の中はあんまり高ぶっていない。むしろ沈んでいる。

私って蛍のことが好きだったのかって気付いたら、余計に連絡しなくなった。いや、勿論したいとは思っているけど、彼には好きな人がいるようだったから私の気持ちはきっと邪魔だと思ったから。使われなくなった蛍の電話番号の履歴は下へたくさんスクロールしないと分からないほどで、それがとても寂しかったけど、もうしょうがないことだと割り切ろうとしてる。でもそれが難しいだなんて知らなかったから、余計に悲しくなった。

「‥お前ここんとこ全然元気ないけどなんかあった?」

私がいつも煩いからバンドメンバーですらなにか変だと思ったのだろうか?‥いや、私は今日も普段通りにドラムを叩いて、普段通りにここはああだこうだとぎゃいぎゃい煩かったように思う。のに。

「なんか、‥あったっていうか‥いやお腹は空いてる」
「そうじゃねーっつの」
「ってか人間なんかあって当たり前じゃん!私だって沈む時は沈むんですう〜」
「怜奈。俺真面目に聞いてんだけど」
「はあ?」
「最近なんかずっと迷ってる。音に出んだよ、お前」

迷ってるって、なにに。私は全部真面目にやってるし、うつつ抜かしてるなんて以ての外だ。音に出るなんて、そんなことあってはならないことなのに、それを分かってても何も言わなかったのか、この人は。‥って自分のせいなのに当たるなんて最低だな。くそ。

「‥ごめん、なんか迷惑かけてたかな」
「いや別に。つーかそれに気付いてんの俺らくらいだしな。お前のことよく知らねえ人達は分かんねえよ、演奏に支障があるわけじゃねーし怜奈大体うるせーし」
「言い方!」
「でもやっぱ、内側でやってるこっちの身からすりゃ気になるよな。いつもと違うってのは、俺らだから分かることだし」

隣に立ったベーシストと一緒になって、帰ろうとしている他のメンバーに手を振った。どうやら私のことはお前に任せる、といったような調子らしい。ドラムとベースはバンドの土台で重要なポジションだから、相談ならベースのこいつに任せるってことなんだろう。私としても、彼とはもうバンドメンバーの中では1番長い付き合いだから、助かるっちゃあ助かる。‥でもそれが、初めての悩める恋を相談できるのかって言ったら、全然別のお話だ。

機材を全部片付け終わって、1階ロビーの椅子に腰を落としたところでひやっとおでこに何かが当たった。なんだこれ、と視線を上に向けてみれば、ゴールドの缶にジンジャーエールの文字が見える。どうやら奢ってくれるらしい。ありがと、と手を伸ばしたら、逆の手で90円催促された。

「いや嘘でしょ」
「ハイハイ冗談だよ」

ぷしゅ、とタブを開ける音。どうやら、本気で私の話を聞く気らしい。だが残念、私には話す気がない。私にとって初めての恋、所謂初恋の相談をまさか男にするだなんて。‥いやゆかりにしたっけ。少しだけ。‥いやそんなことは一先ず置いといて。

「今日久しぶりに早い時間に終われたんだしさ、さっさと帰ろうよ。彼女に怒られるよ。こんなとこで私と道草食ってたら」
「心の広ーい彼女なの知ってんだろ。大丈夫だよ相手がお前だし」
「一々むかつくな」

がしゃがしゃと髪の毛を撫で回されて、それが鬱陶しくて振り払う。ちょっとだけ気弱になっている心から、断固として相談なんかしないと思っていた言葉が漏れ出そうになった。なんとか喉の奥から這い出てきそうになるそれを飲み込んで、そのままジンジャーエールを大量に飲み込む。

ごくん。痛い。ごくん。いたい、‥‥いたい。

「‥‥ジンジャーエール、人選ミスだよ」
「人選ミスってなんだよ」
「オレンジジュースがよかった‥」
「あ?」

やっぱり、会いたい。蛍に会いたい。そう思って掴んだスマホからは、漫画みたいに想い人の連絡が来るはずもなく。お前失礼だわ、と叩かれた頭が悲鳴を上げた。

こんなに考えちゃうくらい好きになってたなんて信じられない。ただの高校生、iPhoneを拾ってもらっただけの赤の他人だった。弟みたいだとか、そんなこと考えていた私の内側は違っていた。有り得ないって思ってたのに、‥ふと気付いたらずっと、蛍のことばっかり考えてるから。

「‥会いたいなあ‥」

画面は蛍の連絡先を映し出しているけど、通話をタップする勇気なんて今の私にはない。声が聞きたい。‥でも、押せない。だって、蛍の好きな人は、偶にしか会えないような女なんかじゃないってことくらい、ちゃんと分かってるんだもん。

2018.11.26

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