「悔いの無いよう、このチャンスを貪り尽くしましょう」

1週間の、文字通り長い長期合宿が始まる。どうやら私が知らぬ間に色んなことが起こっていたらしく、日向君と影山君は喧嘩中、皆は新しい技を追い求めて色んな練習をしていたらしい。東峰君から、今ジャンプサーブを習得中だとは聞いていたけど、それぞれ全員が何かを掴もうとしているのだとかなんだとか。‥それよりもまず日向君と影山君が喧嘩中っていうのが気になる。仁花ちゃんが丁度喧嘩の場面に出くわしていたらしい。かなり怯えた様子で集合場所にいて、それにかなり驚いたのはつい先程の話しだ。

「ほ、本当に大丈夫でしょうか‥日向も、影山君も‥」
「大丈夫だから心配しなさんな。あいつらの喧嘩なんていつもだから」
「そ!そうなんですけど!でもあんな掴み合いの喧嘩を見たのはあれが初めてでして‥」

不安げにする仁花ちゃんの肩を叩いて、澤村君は全員バスに乗るように促していた。今回も、私の隣は東峰君だ。3年生の皆は付き合い出したのを知っているけど、特に周りに言う必要もないだろうからと、1・2年生にはまだ何も言ってはいないらしい。もちろん私もぺらぺらと言うつもりはない。

「知里さん、今回献立メニュー考えてきてくれたらしいですね‥本当頭が上がりませんよ〜。ありがとうございます」
「食料調達は向こうにお願いしたから安心しろよ!」
「あっありがとうございます!むしろ、こんなことしかできませんので‥」

にゅうっと目の前に現れた武田先生が、眼鏡を落としそうな勢いで頭を下げていて、いやいや先生が簡単に頭を下げないでくださいよと言っている後ろで烏養コーチが笑っている。男子バレー部の空気にもうかなり慣れてしまっているのが分かって、なんだか嬉しい。メニューを考えるのは物凄く楽しかった。カロリーとか、皆が食べたい物とか、朝はこれを食べた方がエネルギーになるとか、毎日毎日朝から晩までたくさん調べた結果の1週間の献立。‥私結構こういう、カロリーとか考えたりするの向いてるのかも。

「ああ、ちなみに知里さん最終日は‥」
「大丈夫です、覚えてます!」

最終日は焼肉らしいっていうのは武田先生からちゃんと聞いてるから、最終日の朝まで頑張れば自分の仕事はオールクリアだ。

「早く乗れよー」
「はいっ!」

今回は追試とかそういういざこざがない日向君と影山君も一緒に出発だ。心なしかぴりぴりしている気がするけど、‥まあ、気にするのは何かがあってからでも遅くないか、‥な。先に座っていた東峰君の前を通って窓側に座る。距離が近いのも少しずつ慣れてきたから、ちょっぴり手が触れるくらいだったら平常心を保てるようになってきた。‥嘘、まだすごいドキドキしてるけど、顔には出ないように出来るようになっただけ。

「ジャンプサーブの調子どう?」
「中々狙った所には行かなくて‥タイミングが合わないっていうか‥」
「この間YouTubeで外国人選手のジャンプサーブの動画拾ったけど見てみる?」
「あ、いい?ちょっと見たい」

iPhoneを取り出して、お気に入りにした動画を開いて見せた。物凄く真剣な目で何回も何回も再生して、1歩目がとか、ボールが前に流れすぎかとか、私にはまだよく分からないことをぶつぶつと喋っている。どこがどうでとか聞いてみたくなって、私も思わず身を乗り出した。

「‥つーか知里も大概バレー好きだよなー。なんでバレー動画お気に入りにしてんだべ」
「いいじゃんかー。見るの楽しいよバレー。これでも結構ルール覚えたんだからね」
「旭のせいだな」
「だな」
「ちょっ、“せい”とかやめろよ‥」

上から見下ろしてきた2人の影が、半笑いで私達を見ている。流れてきた動画に、「あ、俺この選手超好き!知里分かってんな!」って菅原君が声を上げた。

もうすぐ春高の予選が始まる。その為に、彼等は物凄いスピードで進化をしている最中だ。ただいま不安要素である日向君と影山君も、もしかしたらその進化の途中なのかもしれない。私は、皆が強くなりたいのを肌で感じているし、そしてそれを知っている。もちろん不特定多数の人達は違うのかもしれないけど、澤村君を筆頭にした3年生がいるんだからきっと大丈夫だ。

「春高、楽しみだね!」
「おお‥‥なんか日向と影山みたいなこと言ってるべ‥」
「プレッシャーだなあ旭」
「や、やめろよ‥皆で行くんだろ‥!!」

あははと笑っている後ろで、1・2年生が一緒になって騒いでくる声が聞こえてきた。それを制そうとする澤村君が席を立ち上がる。‥もう澤村君も菅原君も、私と東峰君のことは見ていない。2人どころか、もう誰も。

「‥‥東峰君。連れてってね、春高」
「え、‥‥‥‥‥うん、絶対連れて行く。あと、」

頼もしい横顔がもう以前とは違っていて、どきんと胸が高鳴る。次いで囁いた声にのせられた言葉は、きっと彼の決意みたいなものだよね。

見えない死角の隙間で手が触れ合った。離す気にもなれなくて、そのまま繋ぐ。まだ夏は始まったばかり、私達もまた、始まったばかりだ。


へなちょこなんて言わせない!


2018.06.16 本編完結

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