「小鳥さん、ここの所帰ってくるの遅いね」
「ごめんね。バイトほとんどフルで入ってて‥」
「手伝う」
「いいよー、座ってて」

ばしゃばしゃと食べ終わったお皿を洗っていると、背中から声がした。私のバイトが終わって帰ってくるのを待っていてくれて、それから一緒に夜ご飯を食べてくれる赤葦君。流石に2週間近くも帰りが遅い日が続いているからか心配そうにこちらを見ているのが分かった。別にやましいことはなんにもしていない。‥していないけど、やっぱり欲しい物もあるし、住まわせてもらってる以上はちゃんと稼がないといけないから。毎月半分払わないとだし。

シフトをなるだけ入れて貰えるようにマスターにお願いした時、大丈夫?なんて心配そうにされた。勉強とかサークルとか、色々あるんじゃないの?そう言われたけど、生活だって蔑ろにはできない。何度か頭を下げて、渋々了承してくれたマスターには感謝するばかりだ。

「あんまり無理しないで」
「してないよ、本当に大丈夫。ありがと」
「‥‥はあ」

ぎゅう。お腹に回った腕。そしてぽんと肩に赤葦君の顎が乗っかった。もーこの人何やってんの!緊張するんだってば、私慣れてないの!汚れや泡なんかもう全くついていないお皿をずっと水で流し続けていると、すんすんと何かを嗅ぐ音がした。やだ、なんか臭う‥?

「‥いい匂いするんだけどなんか使った?」
「え、あ‥もしかしたら香水かなあ‥。お母さんから入学祝いで貰った香水、使ってた鞄に入れっぱなしになってたの忘れてて‥今日久しぶりに使ってみたんだ。いい匂いする?」
「うん。石鹸とちょっとだけ甘い匂いがする」

肩に擦り寄ってくる彼の癖のある髪の毛が、頬っぺたに当たって擽ったい。ねえ、食器かたづけたいんだけどってなるべく平静を装ってみると、じっとりとこちらを見る視線に気が付いてううっと口を噤んだ。変なこと言ってないよね‥?水道の蛇口を止めた瞬間、お腹に回された腕の力が少しだけ強くなった気がした。

「最近小鳥さん可愛くなったよね」
「えっ、ほ、ほんと、」
「そういうの俺の前だけでいいのに、‥なんかバイト行かせるのもちょっと心配になってきた」
「そんなに!?」
「冗談だよ。でも、彼氏からしたらさ」

心配になるのは分かってほしいよね。一言だけ呟いて、またぐりぐりと肩に重みを押し付けた。‥あれ、この間の黒尾先輩が言ってたこと、結構当たってるかも?ちょっと嫉妬してくれてるのかなって思うとじわじわと体内温度が上がってきて、頬っぺた辺りで熱が燻っている。

「ねえ」
「も、ちょっと離れて、」
「‥那津、こっち向いて」

え。赤葦君今なんて、‥今なんて言った?私のこと呼び捨てで呼んだ、よね?燻っていた熱が、頭まですっかりのぼってしまった。無理だよ、真っ赤になった顔なんて晒せるわけないじゃん。無理。ぶんぶんと大袈裟に首を横に振って抵抗して、その直後に後悔した。へえ、そう。赤葦君はそうぽつりと呟いてすぐその後、回していた腕を解いて、ふにゅりと女の子の身体で柔らかい所に手を当てたのだ。意思を持って動いた指に吃驚して思わず前屈みになったけど、目の前の台所のシンクが邪魔をした。右耳に何か這ってる。ぞくぞくして、変な声が出ないように片手で口を抑えてみるけど、あんまり意味がないかもしれない。

「あ、かあしく‥」
「京治って呼んでよ、那津」
「だっ、め、あ」

この行為がなんなのか分かってない、わけない。ふにゅふにゅと服の上から触られてる。‥驚くくらいどきどきしてる。今日、下着上下揃ってないから。‥違う。本当はそうじゃなくて、まだ相応しくないからって思ってる。でも相応しいってなんだろう‥?優しく触れてくる赤葦君に、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。どうしよう、‥このまま流されてもいいのかな‥。

2018.03.03

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