仕事も定時に終わって、悩んで悩んで、そうして時間だと思ったら勝手に足が動いていた。一緒に音を出すっていうのは、きっとこれから先1人でやっていれば必ずあるはずだ。‥という、ちょこっとだけ言い訳にした私の考え。別に良くても駄目でも私のこれからには繋がっていくわけで、絶対に悪いわけではない。そうだよ、そうじゃん。行かない理由なんてない、‥多分。

「っぐしゅん!」

外が肌寒いと分かっていても、朝からだいぶ暖かかったし、これならセーターだけでいいかなんて思って着てこなかった厚めのアウター。そのせいで女性らしからぬおじさんみたいなくしゃみが出た。ああ、やっぱり夕方は少し寒い。いつものギブソンを持ったまま震えると早く向かう為に速足になった。明日はちゃんとアウターを着ておこう。喉が1番大事なのに、こんなんじゃあプロにはなれない。

1つ信号を渡って2つ目の細い道を左に入るとあるらしい待ち合わせ場所。名前からして音楽スタジオだ。‥そんなところにあったんだと思いながら、真正面から冷たい風を受けた。正直これ以上進みたくないなあ。なんだか私の行く道を遮られているみたい。

「‥あ、やっぱそうだ」

後ろから聞こえた足音が走る音になって、速いペースで近付いてきてるのは知っていた。だけど、こんな都会の中でまさか殺されるとかある訳ないよね?そんな馬鹿げたことを頭の隅で考えていた瞬間に後ろからにゅうっと出てきた顔。うわ!という声すら出なくて、思わず吐いた空気が違うところに入って噎せてしまった。

「え"っ、げほ、ゲホッ!!」
「大丈夫すか、風邪すか?」

いや、全部君のせいなんだけど!それよりも何故あの時のランニング男子がこんな所にいるのだろうか。ここまでは走って来れるような距離ではないと思うんだけど‥。そうして後ろを振り向くと、彼の格好がランニングをするような格好じゃないことに気付く。大きめのスポーツバッグに、上下お揃いのジャージ。流石にスポーツバッグを持ったまま走ったりはしないだろう。

「ど、どうしたんですか、?」
「いや、近くの体育館で練習試合があってその帰りっす」
「試合‥?」
「俺、バレーボールやってて、それの」

ああ、成る程。確かに身長高いもんなあ。じいと見つめてくるような漆黒の瞳は1番最初に出逢った時を思い出す。その真っ直ぐさは多分、本人の性格を表している気がする。‥そんな風に見えた。そうなんだ、小さく相槌を打つと、ぴゅるりとまた真正面から風邪が吹いてぶるっと身体が震える。隣に立った彼は首を傾げた後、何かふと思いついたような顔をしてジャージの上着を脱ぎ出した。‥って、ええ!?半袖!!

「どうぞ」
「はい!?いいです、そっちこそ見てて寒いですから!」
「俺別にいらないんで。体まだあったけーし」
「いやいや、帰るまでに絶対寒くなりますよ!」
「それより」
「それより!?」
「そっちこそ喉?大事なんじゃないすか。俺は鍛えてるから、よっぽど風邪なんてひかないんで」

鍛えてると風邪をひかないなんて聞いたことがないが、私の喉は確かに大事だ。‥いやいや、私の喉も大事だ。それでも受け取ることなんてできないと首を振っていると、無理矢理肩からジャージを羽織らされてしまった。くそう、身長高い分上手だった!そして、‥大きい。

「‥デカイ」
「あの、やっぱり困ります、いつ会えるかもわかんないのに」
「会えますよ」
「はい!?」
「俺、影山飛雄って言います」
「え?あ、いや‥苗字なまえ‥です‥」
「苗字さんの声すぐ見つけられる自信あるんで」

なに、それ。そんなの無理だよ何言ってんの?‥もしかしてさっきのくしゃみも、というかくしゃみで分かったっていうの‥?

「あ!影山ーー!!!」

後ろからの突然の大声に、私は背中をぎくりとさせて、影山君は悪人みたいに顔を歪めて振り向いていた。あんな凄んだ顔もできるのか。そうしてじゃあまた、なんて来た道を戻って行った彼は、私の肩にジャージを残したまま。‥暖かい。大きくて暖かい。ジャージの内側に縫い付けてある小さな名札に「影山飛雄」と書いてあるのが、なんだか彼らしいと思った。

2018.03.11