「泊まり込み?」
『そう、だから2、3日くらい帰れなさそうで‥ごめんね』

同棲を始めてすぐだったからか、少し凹んだ。‥というか、だいぶ。でも、仕事だもんな、しょうがねえって思い直して「大丈夫だから」と告げてすぐに練習に戻った。

こういうことは珍しくないと言っていたが、いざその時が来ると少しばかり寂しくなるものだ。それに、なんだかんだなまえの周りには男だって多い訳だから、浮気という文字は疑っていないものの、不安といえば不安である。でもきっとお互い様で、俺にだって女の人の1人や2人応援してくれている人がいるのだから似たようなものなのだろう。こういう感情はよろしくないので、サーブを一本打つことで吹き飛ばす。

「なに?誰から電話ですか?」
「うっせボゲ」

丁度休憩を挟んだ時の電話だったので取れたのだが、目敏くその様子を見た日向がにやり顔で肩を叩いてきたのが気に入らなかった。唯一、俺となまえが付き合う前から何かを感じ取っていたらしいこいつは、事あるごとに茶化してくるのがすげえウザイ。だが、偶に零したりする相談には自分の思った意見をそのままに言うところはすげえ助かっている。多分俺とこいつには似通っている所があるからか納得してしまえるのだ。

そういえばなまえは昔、行き詰まった時は1人ふらっと遠くに行ってみたり、普段しないことをして解決の糸口を探すって言ってたっけか。もしかしたら今回もそうかもしれない。俺が全く分からないものを探しているのかも。手伝えることだったらしてやりたいが、こればっかりは致し方が無い。日向が何かを言っている横で、俺はボールを手に取った。後半の練習はまだまだ始まったばかりなのだ。‥それに負けてはいられない。どんどん高くなる壁を自分の手2つでよじ登っていくその様は、尊敬にも値する姿勢である。

「‥俺もなまえの隣にずっと立っていたいからな」

この声は誰にも聞こえなくていい。だけど、なまえにだけは届いてほしい。いつか彼女が一番に夢見た舞台に立てた時、俺も一番に夢見た舞台に立っていたい。俺の夢はもう自分だけの夢ではないことを、その時改めて自覚した。












「連絡しないで、って、言いよったんです、アイツ‥!」

大きな厚生病院内の、なまえが緊急入院している部屋とは別の個室で、侑がめちゃくちゃ怒っとった。いや、俺ももちろん怒っとるけど、比じゃないくらい怒っとる。その要因に何故か旦那である「影山飛雄」が関係していた。侑は「あいつがおるからや」とそう突っぱねてくるのだ。

なまえはきっと、声が出せなくなるくらいならその限りある命を歌って過ごしていたいとそう思っとるんやろう。やけどそれは俺達が願っとることではない。できることなら長く生きていてほしいし、声が出なくたって、彼女は俺達の仲間であり、過ごした時間はまだ短いにしろ運命共同体のようなものなのだ。

「分かったから落ち着け侑」
「落ち着けるか!大体今からって時に、こんな、注目されとる時に、これからきっと大きくなっていけるいう時に、ッあんなに嬉しそうにいつも歌っとるあいつがなんで!なんで、‥なんで、なんでなまえやったんや!!」
「ツム、やめえや。‥永田さんも困っとるやろ」
「うるさい!!」

感情に流されるままに怒る侑の目は赤くなっとった。こんなに気の合う同士っちゅうんは、簡単に出会えるものではないことを分かっているから。そんな大切な同士であり仲間が、余命を宣告されている等と誰も思うはずがないし、信じられるわけもない。

なまえは、レベル4の咽頭がんを医者に告げられていた。そして、それを俺達が知ったのはつい先程のことだ。治る、治らない、そんなレベルの病気ではなかった。そしてそのことに今の今まで気付くことができなかった俺達も、自分自身が腹立たしくて仕方がない。なんでそんな危険な状態になるまで黙っていたのか、黙っていることができたのか。絶対に苦しいと思っていた筈なのに、‥たった一人で、あいつは抱えて。

「‥俺、死神かも」
「その冗談は流石に面白ないですよ、永田さん」
「いや、冗談とかじゃなくてな。‥前にマネージャーしていた女の子もそうだったんだ」
「?どういうことですか、」
「‥なまえちゃんと同じ、咽頭がんだったんだ」

青い顔をした永田さんがぽつりと言葉を開いた瞬間、腹の奥が凍り付いた気がした。

「将来有望な女の子だった。お前らと同じように路上で演奏してて、俺はすぐに飛び付いた。絶対売れるって思った。シンガーソングライターとして売り出してすぐ、テレビで取り上げられてかなり有名になったんだけど‥全盛期間際で、そいつも病気のこと我慢して、気付かなくて、無理させて、‥ライブを終えてすぐ‥」

裏で大量の血を吐いたんだ。

震えるような声で、同じような状況を説明されたその時、俺も侑も声が出んかった。一度似たようなことを経験していた上で、また俺はやってしまったんだと俯くその悲痛な姿に、俺は何も声を掛けることが出来なかったのだ。

「‥なあ、そいつって‥」
「聞かないほうがいい。‥俺も、それだけは金輪際言いたくない」

しんと静まった室内には、独特の機械音の他に、外の風の音とか、鳥の声とか車の音とか、そういうものだけが聞こえてくる。俺達がいつも聞いているギターをかき鳴らす音や掠れたようなハスキーな声は、幻だったんじゃないかって思えてしまう。

「‥どうすんねん、俺らも、‥影山飛雄も」

半年歌えるか、歌えないかではない。半年生きていられるか、どうか。そんな天秤にかけられていてさえも、彼女は今≠生きることを選択しているのだ。もう、なまえの人生に口出しできるような時間はあまり残されていない。‥だとしたら。俺達はどうしてやるのがいいのか、‥なんて。分かってはいるのに、簡単に「そうしてやろうや」と言うことはできなかった。

2019.04.06