「マットレス、ちょっと高いけど飛雄君にはこれがいいと思うから決めちゃおうよ」
「そこまで言うならそうするか」

ベッドカタログを見ながら、無事に引っ越しの終わった部屋の中で寛いで、ネットショップの画面を見た。まだあと少し在庫は残っていて、なまえは迷うことなくタップボタンを押している。今までなら、簡単に手を出そうとするような金額ではなかったが、二人で使うものだし金がないわけでもない。それに、俺のことを考えての購入とあらば「やめろ」なんて言えるわけもないのだ。

慌ただしかったが、なんとか荷物を運び込むのも周りにバレずに済んだ。それもこれも、メンバーやマネージャーのおかげなのだろう。

「声の調子はどうだ?」
「ふふ、大丈夫だよ。少し枯れてるだけ、薬も貰ってるから」

けらけら笑う彼女の声は、どうやらやはり少しずつ枯れてきているらしい。あの日、酷く不安そうだったなまえから無理矢理不調を聞き出すことが出来た俺は、喧嘩になる覚悟で説得をしていた。次の日になんとか休みを取れるようバンドの人達やマネージャーに直談判して、是が非でも病院に行けるようにしてもらって。まあ、俺も一緒に休むことは出来なかったが、病院からは軽度の声帯結節という風に診断をされたようだったので、消炎薬を服用という治療になったらしい。あとは、できるだけ無理はしないようにする、とかなんとか。

ボーカリストであるなまえがどう無理をしないようにするのかは全く見当が付かないが、出来るだけ休みの日は一緒にいてやるようにしようと思った。もちろん毎日の日課は怠らないようにするが、少しでも彼女の不安は取り払ってやりたいから。

「なあ、そういえばもうそろそろ行きたいんだけど」
「ん?」
「挨拶。なまえの親御さんの所、なんだかんだ行けてないから」
「あ‥‥そうだ、そのこと、なんだけどね、」

なんか、言いにくくて言えてなかったんだけど。その始まりから、彼女の知らないことを改めて知ることになった。

彼女の両親は、彼女が中学校に上がってすぐに亡くなっていた。結婚記念日で出掛けた幸せそうな二人を見送って、数時間後のことだったらしい。それからの彼女の生活は一変してしまい、高校へ上がると同時に寮へと入り、唯一認められていた新聞配達のバイトと奨学金で日々を生活していたそうだ。俺の人生では一つも経験したことのない、考えられない程に辛いこともあっただろう。だけどそれを今までに微塵も感じさせなかったということは、多分凄いことだ。

「‥有難う、話してくれて」
「それは違うよ。私が話さなかっただけで、その‥タイミングがどうしても掴めなくて」
「‥」
「でも、両親の仲が凄く良かったのは昨日のことみたいに良く思い出せるの。だから、私飛雄君ともそういう関係気付いていきたいって思ってる」
「当たり前だろ」
「ねえ、飛雄君」
「ん?」
「大好き」

ヨギボーポットにばふんと押し倒されて、照れ隠しにキスをされた。なまえが俺のことを「大好き」っていうなら、俺は多分全然違う気持ちだ。大好きじゃなくて、もっと大きなやつ。愛おしいとか、心が穏やかになるようなそんな感じの。

「‥こういうのを、愛してる、とか、言うんだろうな」
「うえ、」
「これからもよろしくな」
「ね、待って、もう一回言って、」
「?何をだよ」
「あ、あの、あい、あいし、」
「‥愛してる?」

その瞬間今までに見たことがないくらい顔を真っ赤にして、思い切り俺の胸に顔を埋めたなまえは、どうやら物凄く恥ずかしかったらしい。いやおかしいよな、多分俺の方が恥ずかしいことを言った気がするのに、俺は全然恥ずかしくない。むしろ言えてすっきりしているくらいだ。

「疑問系なんだ‥」
「なんだよ。なんのことか分かんなかっただけだろ」
「ふふ、ふふ」
「なまえはどうなんだよ」
「んん?」
「俺のこと大好きなのか?」

もう恥ずかしいからやめてよ、ってぐりぐり頭を押し付けてくる姿に、思わず髪の毛をぐしゃぐしゃにした。これからの生活は多分、中々会えなかったり、すれ違ったりすることもきっと多いだろう。生活習慣も元々違うのだから当たり前だ。だけど、それに対してお互いに文句はない。それを分かっていて、一生一緒にいると決めたのだ。それを分かり合えると信じて、俺もなまえもここにいるのだ。

「‥こほ、ゴホッ‥」
「大丈夫か?水持ってくる、」
「ありがと、ちょっとお手洗い行ってくるね、」

ゆっくり俺から離れて、口を押さえたままお手洗いに向かう背中を眺めていた。きっと治る。そしてまた、出会った時のような声が聞けるようになると何故か確信してしまっていた。

2019.03.03