「なんかなまえのスケジュールタイトすぎひん?」
「女の子は色々あるんだよ。そもそも人気雑誌編集者が最近話題バンドの紅一点を放っておくわけないだろうが」

いやそれでもタイトすぎる。初めて見たんですけど、こんな分刻みのスケジュール。売れてるってことは理解できるけど、なんか時間拘束に縛られて動きにくい。

とある日の午後、昨日行われた地方ライブから帰ってきた所で今から私だけ別取材の為に侑達とは別行動になった。2人は今から帰るのかと思いきや、新曲の土台を固める為にスタジオに入るらしい。いいなあ、私も入りたい。しょうがないんだけど、ちょっぴり寂しい。そんなことを考えている間に時間が迫ってきていることに気付いて、慌てて荷物を持って事務所から飛び出した。

「あー、なんか喉痛い‥」

いつ頃だったからかは覚えていないが、少しばかり喉の調子がよろしくない。‥ということは、誰にも言えていなかった。どうせすぐ良くなるだろうし、風邪薬ものど飴も充分常備している。ネギいっぱいのスープだってコンビニで買ってたくさん飲んだから、次のライブまでにはすぐ回復するだろう、みたいな気持ちでここまできた。それよりもやることいっぱいあるんだよなあ。新曲のフレーズとかたくさんメモしてるから形にしたいし、ギターの弦も張り替えたいし、むしろ新しいアコギが欲しい。あとは足元のブースターも気になってるのがある。あとは、‥飛雄君にメールして、今度オフになっている日を教えておこう。

加えて少しずつだけど、部屋の中の片付けを始めた。忙しいのは理由にならないし、片付けの時は大変だと思う反面楽しみでもあるから苦にはならない。飛雄君と一緒に住む所は、私の今の部屋よりも広い空間がある彼のアパートだ。こっちだと元々広くもないのに機材を置くスペースだけでいっぱいいっぱいだから、飛雄君と一緒となるとどうしても狭くなってしまう。‥ああ、楽しみだな。ふふ、と声が出てしまうくらいにはこの浮ついた気持ちが隠しきれない。

「あ、」

そんなことを考えているタイミングで、聞きたい声の主からの着信が鳴り響いた。こんな時間に珍しいなと思いながらも通話ボタンを押す。早足だった速度が、少しだけ遅くなった。

「はあい」
『悪い。今大丈夫か?』
「うん。ちょっとだけだけど」
『今度の休みいつ?丸1日』
「今メールしようと思ってたとこ。えっとね、」
『‥なあ、声』
「え?」
『なんか、いつもと違う。体調悪いのか?』

え。
侑にも治にも、永田さんにも。誰にもそんなこと言われなかったし今まで全然バレなかったのに、なんで分かったの?吃驚しすぎて押し黙っていると、電話越しに大丈夫か?って聞こえてきた。いや、まあ大丈夫です。ちょっとだけ風邪引いてるかもしれないけど、本当にちょっとだけなので大丈夫です。それよりも飛雄君めちゃくちゃ凄くない?こんな、直接会話してる訳じゃないのに。

「な‥なんか変‥?」
『喉に引っかかってるような感じの声がする。風邪引いてんのか』
「あ、いやいや、‥ちょーっとだけ喉痛いだけだよ」
『昨日実家から野菜送られてきたから今日持っていく。ネギとか喉にいいだろ』
「実家からネギ送られてくるんだ‥」
『すげー太いし、毎回量多いんだよな。なまえと住み始めたらめちゃくちゃ助かるけど』

飛雄君の両親は、3、4ヶ月に1回くらいのペースで一箱分の野菜が送ってきてくれるらしい。過保護というわけじゃなくて、彼のお母さんの知り合いが農家で、しかも飛雄君がバレーの選手だと知っていて大量に貰えるのだという。貰った所で送らないと野菜が増える一方だというからちょっとだけ可笑しくて笑ってしまったのをよく覚えている。

私と住み始めたら、めちゃくちゃ助かる。‥その言葉にじんわりと胸の中心辺りがぽかぽかして、むずむずしてくる。そうだね、って言うことくらいしか出来なくて、電話越しなのについ俯いてしまった。顔赤いの、私だけしか気付いていない筈なのに、なんだか飛雄君に見られてるみたいだ。

「‥あ、それよりも早く飛雄君のご両親に会いに行かなきゃ」
『おう。つーか俺もなまえの所に報告行きたい。全然行ってないんだろ』
「あ‥‥‥あの、うん、あのね、」
『楽しみだな』

薄っすらと嬉しそうな声が聞こえて、少しだけ手が震えた。私の両親は、私が中学生に入ったばかりの頃に交通事故で亡くなっている。とても仲の良い2人で、結婚記念日にと出掛けたその日、交通事故に巻き込まれたのだ。まだそのことは話していない。なんとなく言うタイミングを逃している、が正しいかもしれないけれど。早く言わなきゃなあと思っていたら、やっぱりタイミング悪く次の仕事がある建物に着いてしまった。

「‥明日早い?」
『午前中はオフになってる。休養取れって』
「じゃあ、泊まっていかない‥?」
『‥お、おう』
「ふふ、変なの‥一緒に住むって言ってるのに、少し緊張してる」
『うるせえ。‥誘われるの結構恥ずかしいんだよ』
「さっ‥!」
『‥ちげーの?』

そういうつもりで言った訳ではなかったけど、‥いや、そういうことになりますよね。「違う‥くない‥」って蚊の鳴くような声で告げた後に、飛雄君の後ろから聞こえてきた声は多分ライバルだとか言うチームメイトだろう。うるせえボゲ!っていう怒鳴り声は私が普段聞くものとは全く違うもので、つい笑ってしまった。

『悪い』
「ううん。なるべく早く帰るようにするからね、ごめッ‥ゲホ、」
『なまえ?』
「‥‥‥‥え、あ、ごめん、もう出なきゃ、飛雄君またあとでね、」

喉の辺りがぐずぐずして思わず手を添えて咳をした瞬間に、固まってしまった。あれ、おかしいな。掌の真ん中に残ったそれを見て、思わず出そうだった声とか咳とか、あらゆるものを全部飲み込んだ。おかしいとか、そういうレベルではない気がする。背中の温度が急激に下がっていくのが分かった。だから、反射的に通話ボタンを切ったのだ。

なんだか、嫌な予感がした。

2018.12.01