街中は騒音でばかり溢れていると思っていた。車の音、人の喋り声、機械音、工事の音。騒音のせいで小さい頃は外に出るのがとても嫌いで、嫌いな音をかき消すかのように家の中ではたくさんいろんなCDをかけていたような気がする。そのせいでなのか人よりもずっと耳が良くて、親とか、その辺の大人を驚かせていた。‥そのくらいの記憶だ。

「遠くで凄く好きな声聞こえたからついここまで来ちゃったんですけど、来てみてよかったです!」
「ありがとうございます、嬉しいです」

床にCDケースをばら撒いて、何度も何度も再生ボタンを押していたあの日。貴方の服を買いに行きたいからついておいでと母親に無理矢理手を引っ張られて浴びた太陽。久しぶりだったけれど、やっぱり車の音も機械音も全部全部煩くてたまらなかった。ああ、もう、早く帰りたい。そう思っていたその時、遠くで聞こえた繊細で掠れた心地の良い声に、全部全部持っていかれたのだ。騒音なんて耳に入らなくなるくらい素敵な音を奏でていて、魔法にかけられたみたいに聞こえてくる音の方向へとつい足が進む。その先にいた大声で歌う人の姿がキラキラ光っていて眩しかった。

「これギブソンですか、結構古い」
「親に初めて買ってもらったギターなんです、高かったのにどうしてもこれがいいって小さい頃だいぶゴネちゃって」
「へえ!物持ちいい〜、大事にしてるんですね」

初めて人の前に出たのは1年前。最初こそ誰もいなかった。そこそこ知られるようになった名前と、必ず来るリピーターさんが増え始めたのは最近だ。インスタだとかツイッターだとかそういうのは苦手だったけど、そこはお客さんのおかげというべきだろう。今日もCDは手売りで20枚は売れた。さっきの人も、次も来てくれるような手応えだったような気がする。

夕方まで残ってくれたお客さんに挨拶をして機材を全部片付けると、ふるりと肩が震えた。まだ3月。演奏後とは言えここは外だ。‥暖かくなるというわけではない。赤くなった手に手袋をはめて次はどこで歌おうかと考えながら駅を目指して、この後はいつもの行き当たりばったりだった。

騒音が嫌いだった街は、いつの間にか自分のステージになっていた。耳の良さは自分の曲を作る為に発揮され、歌は自分の仕事にしたいという未来に突き進んでいる。

「今日はいつもと違う場所いこ」

電車の窓から見えた景色はオレンジと緑とグレーが混ざっているような不思議な色。ここで降りてここで歌ったらまた新しい出逢いと新しい曲ができるかもしれない。思い立ったら実行派で生きてきた私は、相棒のギブソンを手にここで降りることを選択したのだ。黒いヘッドホンからはレコーディングした自分の曲で、思わず口遊むのも条件反射。

降りた場所は、東京の海が見えている比較的静かな場所。潮の匂いがする。近くにあるのはマンションとか、小さな住宅とか。響いたら五月蝿いかなとか、近所迷惑かなというのも考えるけど、それは言われた後でいいと思っているから。

ギブソンを出して時間のかからないチューニング。すう、と息を吸ってB♭。静かな空に溶けるみたい。その声に引き寄せられたのか、その声が引き寄せたのかは分からない。私達の出逢いは多分、その一瞬の音から始まっていたのかもしれない。

2018.03.01