「いただきます」
「い‥‥ただきます‥‥」

今日、初めて物販がグッズも含めて全部完売した。そのことがとても嬉しくてるんるんで飛雄君に電話してから気付いたのだ。さっき頬っぺたを撫でられたことを。

『今日、‥うち来ませんか』

全部片付けて、打ち上げは最近殆ど行かないから、そのまま帰宅すると見せかけていつもみたいに飛雄君のマンションの前で待とうと思っていたらそんな風に電話で告げられたから、心臓がどっかにいってしまったかと心配した。何度も会って何度も食事をしたけど、そんな風に誘われたのが初めてだったから、侑も治も私の顔を見て変な表情を浮かべていたのかもしれない。電話を終えた後に「顔真っ赤やで」「あんま夢中になり過ぎんでくれやあ」って言われてぎくりとしたけど、夢中になってる訳じゃないし顔も赤くないもん。相棒のギブソンを持った私はちょっぴり震える足で小走りになって、彼のマンションを目指したのだ。

‥もちろん断る選択肢もあった。だけど、私の中では断る選択肢なかったし、‥相手が飛雄君だから。

部屋の中は男の人だなんて思えないくらい綺麗でさっぱりとしていて、ダークグレーのカーテンとダークグレーのベッドが色を生やしているだけだった。異性の部屋に入るだなんてここ何年もなかったから無性に恥ずかしかったけど、きょろきょろしている隙に飛雄君が手料理を持ってきてくれたから、もうその後はその料理に釘付けになってしまった。

「飛雄君って料理するんだね」
「体を作るのも大事なことだから、母さんとか高校の時の先輩とかバレーのコーチとか色々教わった。‥旨いかわかんねーけど‥」
「美味しいよ、ちょっと私負けた気がする‥」
「俺も食いてえな」
「なにを?」
「なまえの手料理」

じい。また、あの綺麗な黒目。今食べてるポークカレーって飛雄君の好物だったっけなって必死に別のことを考えながら、私はごくんと口の中に入った物を飲み込んだ。私の手料理なんて、そこら辺の人と変わんないくらい普通の料理だし下手したらそれ以下かもしれないよ。それでも食べたいなら作ろうかってそれだけなんとか言うと、またじゃがいもを口にした。そんなことないっていう彼のその確信はなんなんだろうか。よく分からないけど、‥なんか嬉しい。

「‥あ、ねえ、今やってるテレビって飛雄君出てる試合?」
「録画だけど。いつも見てるからつい癖でつけてる。昨日見たから変えてもいい」
「ううん、私見たい」

テレビの向こう側で、歓声と実況アナウンサーとボールを叩く音がする。あんな速いボールを打つ人も受ける人も、皆すごい。その中に一際光る黒い髪の毛に私は息を飲んだ。綺麗に弧を描いたボール、そこに洗練されたような瞳が見えた。それが飛雄君だと気付いた時、心臓が突然飛び出したみたいになって目を見開いてしまった。

あんな顔をしてボールを見るんだ。あんな風にボールを上げて、鋭い眼光で相手を射抜くみたいな。‥ルールなんてあんまり分かんない。だけど、凄いっていうのは画面越しでも伝わってくる。飛雄君がボールを託す人は、きっと真面目な彼が全力で信頼している人達ばかりで、‥ああ、凄い。拳を小さく握る姿にふふ、と笑ってしまう。

「あんまり大袈裟に喜ばないんだね、ふふ」
「そんなことねえよ、俺が上げたボールが決まるのは気持ちが良い。けど別にこの1点で勝った訳じゃないし、これまだ序盤だからそんな大袈裟に喜んでもな」
「なんかそうやって考えてるの想像ついちゃった」

あー美味しかった。からんとお皿にスプーンを転がして、小さく手を合わせて席を立つ。俺がやるからいいですよという彼の手をそっと振り払って、台所へ向かった。料理をちゃんとしているんだなってなんとなくわかる汚れが色んな所に見えて、そこは男の子かってちょっとだけ安心する。これで台所まで超綺麗好きだったら私は女としての自覚が足りていない。

「ねえ、飛雄君のも洗うからお皿貸して」
「いいっす、俺がやりますから」
「あれ、敬語になった。もしかして今更緊張してるの?あはは」
「‥してる」
「んぇ、」
「‥俺の手に擦り寄ってきた時、すげえ可愛かったっす」

それ、覚えてたのか。当たり前か。どきっとして慌てて後退ったら、僅かに下がれただけでどんと洗い場にお尻が当たってしまった。汚れたお皿を流し台に置いた彼との距離が近くて、大好きになってしまった黒い瞳が近付いてくる。そうか、こんな所で突然気付いても遅いけど、やっぱり飛雄君だって男だし、私に好意を寄せていたんだった。忘れてないけど、‥今はちょっとだけ忘れていた。

「下心しかなくてすみません」

そのまま近付かれたら、口じゃなくても顔のどこかがぶつかる。慌てて台所の天板に乗っかってしまったけど、それで逃げられるわけじゃない。ぐいと両の掌を掴まれてしまえばもうそこからは絶対に逃げられなくて、‥いや、逃げる理由だってもう私には残っていない。

「なまえさん、好きです」
「また敬語 に‥」
「‥このまま俺のものになる気、ないですか」

結局最後まで敬語で、さん付けになっている。軽口は叩けないし、笑うこともできないけれど、近付いてきた唇を受け入れることはもうできる。彼の唇は、私が思っていた以上に熱くて、優しかった。

2018.07.17