03.ヴェロニカ/忠実


 同部屋になった少年たちはなかなかに尊大な態度の奴らが多かった。なんというか、話しかけるなオーラが凄い。一年生が四人集まった部屋だが、名門校に選ばれた子どもらしい無意識な傲慢さを感じ取ることができる上に、明るい表情を浮かべている者は一人もいないため仲良くなれそうな見込みはない。
 式典服から寮服へと着替えるルームメイトを眺めるのをやめてわたしもシャツに腕を通した。他の寮の服も慣れるには時間がかかりそうな造りだが、ディアソムニアの寮服は群を抜いてごちゃごちゃしてて着にくいと思う。帽子に潰されてただでさえ長い前髪が目の下にまでかかっている。魔法薬で男になっても顔が少し女っぽいみたいだから前髪は伸ばしっぱなしでいいものの、在学中に目が悪くなりそうだ。
 それにしても、棺の中で目覚めたあの時から嫌な予感がする。原因はわからない。

「はあ……」

 諸々を考えるのも億劫だ。さっさと寝たい。
 それでも、これから開かれるらしい副寮長主催の交流イベントには今後のためにも参加すべきだろう。副寮長となればこの寮のドンに次ぐ二番手である。なるべく平穏に過ごすには他の寮生たちと同じように大人しく、従順に振る舞わなければ。めざすは平々凡々な学生生活。生徒たちにも教師たちにも目をつけられるわけにはいかないのだ。
 着替えを済ませて部屋から出ると、重苦しい雰囲気の廊下を照らすシャンデリアが目に入る。黄緑色の光は茨の谷でもよくある……というか、ポピュラーな魔導エネルギーの一種だ。
 歩けば甲高く響く足音、息が詰まりそうになる石煉瓦の壁、頭上で黄緑色に輝くシャンデリア。
 どうして嫌な感じがするのか、わかった気がする。ここはあまりにも似ているのだ。妖精が住まう谷に。人の子よりも魔法に長け、優れた魔力を有する種族が生きる我が故郷に。逃げ出したいような、このままここに留まっていたくなるような、切ない郷愁だけを感じる。

「その奥には僕の部屋しかないが?」
「あ……す、すみません。考え事を……」

 ぶわりと鳥肌が立った。真っ暗闇の中にいると、得体の知れないなにかが背後から忍び寄ってくるような恐怖に晒されることがある。実態のない、目に見えぬものが無防備な首筋にひたりと手を当て、緩やかに窒息させていくような閉塞感。
 女王と似て異なる気配、遥か昔に肌で感じ続けた潤沢な魔力。この感覚が懐かしい。そして同時に、恐ろしい。
 薄暗い廊下は夜中の森の中のように静まり返っていた。その場に膝をつきたくなるような崇高なる魔力を持つ男は翡翠の瞳を眇め、廊下に立ち竦むわたしを見下ろした。

「ほう、考え事を?」

 立派な二本の角を持つ目の前の方は茨の玉座に座す妖精の王だろう。今のわたしには妖精の血が流れていなくとも、魂の奥深くに刻まれた縁が呼応している。
 現在の茨の谷の王室にいらっしゃる方々については一切知らない。現に、このお方の名前も顔も知らない。されども、この方は……このお方こそが。
 ──気高き陛下の御前であるぞ。
 ──跪け、こうべを垂れよ、礼を尽くせ。
 仕えるべき天命にある下々の者が礼を欠く行為をなせば罪人となり首を落とされる。前世で魂にまで刻み込まれた教えが全身に残る戦きと震えをどこかへと追いやった。

「申し訳ございません。此度の無礼、あなた様のご慈悲によりどうかお許しください」

 この時のわたしは馬鹿だったし、かつてないほどに焦っていた。前世の記憶に引きずられすぎたのだ。
 茨の谷に構えられている城に似た寮内、懐かしくも恐ろしい王のお姿、目覚めるまで見ていたあの方との偶像的な夢。そのいずれかが欠けていれば、高貴なお方の御前で茨の谷で伝統的に受け継がれている最敬礼をするだなんて馬鹿なことはしなかっただろう。

「……なぜ、茨の谷の最敬礼を知っている」

 前世で女王に仕えていました! なんて言えるわけがない。言ったが最後、国家に牙を剥く反逆者だと誤解されかねない。
 二度目の人生を二度目故にスーパーイージーモードだと舐め腐っていたわたしでも、こんなに嫌な汗をかいたのは初めてだった。当然、優れた魔力に満ち満ちておられるかのお方は訝しげに問われた。

「それは最も古い略式のはずだ」

 やっちまった。その一言に尽きる。入学数時間にして、わたしは短いこの人生で最大の過ちを犯してしまったのだ。

「いえ、あの……自分が育った故郷に茨の谷に詳しい人がいて……」
「茨の谷に?」

 言い訳が苦しすぎる。茨の谷に詳しいってなんだ。閉鎖的かつ排他的なあの国に詳しい人の子はまずいない。いたとしても、茨の谷の研究をしている学者くらいだ。
 俯いたままこの場を切り抜けられそうな言い訳を考えていると、顔を上げるように命じられた。血の気の引いた見苦しい顔をお見せしてしまうのは申し訳なく思うが、王の命令とあらば従うしかない。わたしを見下ろす翡翠の瞳はやはり鋭く、王族らしい高貴な輝きを湛えている。

「見ない顔だ。お前は何者だ」
「一年のナマエです」
「ナマエ……?」
「はい。生まれがスラムなのでラストネームはございません」

 特別、珍しい名前でもないはずだ。有り触れた、どこにでもある名前。けれども、彼にとってはそうでもなかったらしく。細い顎に指先を当てて首を捻った彼は前触れもなくわたしの帽子を奪い、前髪をかき上げた。

「あ、あの……」

 もしや殴るおつもりだろうか。気に食わないなら先におっしゃってほしかったのだが、なにを考えているのかわからない表情からは怒りや苛立ちはあまり感じられない。やはり似ている。女王のお顔立ちや雰囲気にそっくりだ。血縁者であることはまず間違いない。懐かしい。ここに来て、親愛なる女王の子孫の方にお目にかかるとは思ってもいなかった。目元が似ている。瞳の色なんて、女王とまったく同じだ。
 両目を見つめられ、顔を逸らすことも瞬きをすることもできずにいると彼はどうしてか小さく笑われた。

「お前の瞳の色はゼラニウムに似ている」

 ──ナマエの瞳はゼラニウムに似ている。赤くて、綺麗だ。
 わたしの胸の中に寄り添い続けているマゼンタがきらめいた。あの方が今も生きていらっしゃるのか、それともとうに亡くなられたのか、知らないけれど。

「ゼラニウム、ですか」
「ああ。城によく植えられていた」

 感傷に浸ったところで、幸せに満ちていたあの頃はもう戻ってこないのだ。ゼラニウムとおっしゃっていただけたとしても取り乱して悲しんだりはしない。気が済んだらしい彼はわたしから離れると、今度は立ち上がるように命じられた。

「ユニーク魔法はなんだ」
「ユ、ユニーク魔法ですか?」
「まだ使えないか?」
「……はい。僕には難しくて」

 王(暫定)に嘘をついた罪悪感でチクリと胸が痛んだが、素直に申し上げるのはやめておいたほうがいい気がした。そもそも、自身が持つ特性魔法は軽々しく口にしないものだ。なんだかんだで今日はいいことがひとつも起きていないから用心するに越したことはない。

「そうか。花を咲かせるユニーク魔法だったなら面白いと思ったんだがな」
「……はは、素敵な魔法ですね」

 たらり、と冷や汗が背中を流れた。どうして、このお方にとっては取るに足らないであろう少しも役に立たないユニーク魔法についておっしゃられたのか考えるだけでも頭が痛くなってくる。
 植物の発育を早め、花を咲かせる。
 まんま、わたしが使えるユニーク魔法の特徴というか効果である。植物の成長スピードを早めるのはそこそこに高度な魔法ではあるが、平和なこの世界ではあまり役に立たない。食べられるものがない時はジャガイモなり小麦なり育てて食べるからいいものの、如何せん魔力の消費量が多すぎる。魔力が潤沢だった妖精だった頃ならともかく、人間の器に収まっている今のわたしには花を咲かせて愛でるので精一杯だ。
 茨の谷にいた頃ならば好きに花を咲かせて果実や野菜を好きに育てられた。あの方と暮らしていた新居は家庭菜園ができるスペースがたくさんあって、旬の果物を使ったジャムや季節に合わせた料理を作って二人でよく食べていたのだ。おいしい、お前といたら肥えてしまうな、と笑っていたかの方は壊滅的に料理ができない殿方だったけれど、わたしが死んだあとも栄養のある食べ物をしっかり食べていらっしゃったか少しだけ不安だ。
 今さら考えたって意味がないのに。誰にも聞こえないような笑い声が喉を鳴らし──まだ、彼と会話の途中だったことを思い出した。無言でわたしを見ないでほしい。さっきから静かな圧がすごいが、そろそろお暇しなければ交流会だかイベントだかに間に合わない時間だ。ここは話を切り上げて談話室に行くべきだろう。

「すみません、僕はここで……」
「どこに行く?」
「これから、一年生の歓迎会があるんですよ」
「歓迎会……?」
「ご存知ではありませんでしたか? 副寮長主催だとかで」

 今聞いたとばかりに目を見開く彼の表情には見覚えがあった。わたしが仕えていた女王は集まりや会議になかなか呼ばれないお方で、本日の集会にはご参加なさらないのですか? とお聞きする度に彼女も「集会があったのか?」と驚かれていた。つくづく、目の前のお方と女王は因縁を感じさせる。血の繋がりがあると、集まりやパーティーに呼ばれにくいという特異な体質も似てしまうのかもしれない。今夜の入学式で彼をお見かけしなかったのも、なぜか呼ばれなかったからだろう。
 他の寮生とは異なる寮服をお召しになっているということは彼がディアソムニア寮の寮長でまず間違いないが、副寮長が歓迎会について寮長に伝えないだなんておかしな話である。もしかしたら、副寮長は相当な天然ドジっ子か忘れっぽい方なのかもしれない。いずれにせよ、このお方をパーティーにお呼びしないとは命知らずな副寮長だ。首を飛ばされてしまっても知らな──

「リリアからは聞いていないが……」
「…………はい?」

 リリア? 彼はリリアとおっしゃった?
 またあの瞳が脳裏をよぎったものの、リリアという名前も珍しいわけではない。男性の名前にしては些か女性的な響きではあるが、魔除けのために本来の性別とは異なる性別の名前をつけることもある。
 あの方が、赤子程度の年齢の人の子しかいないこの学園に来ているはずがない。彼は茨の谷にいる。ご健在だとしたら、今も茨の谷のどこかに。

「マレウス、ここにおったか。探したぞ」

 音もなく、真っ逆さまに現れたマゼンタは「おや」と呟いてわたしを見やった。
 人の子と戦っていたあの方が、ナイトレイブンカレッジにいるはずがないのに。そう思いたい。思いたかった。

「お主は新入生の……すまんな、名前まではまだ覚えておらん。わしは副寮長のリリア。リリア・ヴァンルージュじゃ」

 深く結ばれているらしい縁はどこまでも意地が悪い。これはさっさと退学したほうがよさそうだと現実逃避しながら、わたしは苦笑いを浮かべたのだった。


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