イヴの傍証 04


 俺が朝早くに起きる理由は薬を飲んで身体の変化を持続させるためだ。かなり痛くても、秘密を守るためには服用し続けるしかない。重大な欠陥と服用時の痛み苦みを除けば完璧な薬なのだが、如何せん製作者は実家の母だ。文句をつけられるはずもない。

「君は、それを飲んで男性の姿に?」
「まぁな」
「バカげている……どうしてそんなことを」
「そうじゃなきゃ生きていけなかったからだよ」

 黙り込んだジェイドは紅茶をカップに注ぐと、俺に差し出した。飲め、ということらしい。

「誰かに密告すりゃいいのに」
「……僕に友人を売れと?」
「嘘をついてた奴だぞ。それも、特大のな」

  屋内プールから俺を運び出したジェイドは誰にも見つからないように寮に忍び込み、半ば無理やり風呂に入らせた。正直、ここまで助けてくれる理由も意味もわからない。俺が女だと知っておきながら手助けしたと学園側に知られれば、ジェイドだって罰則を受けるだろう。
 少し考えればわかることを、頭のいいジェイドが思いつかないはずがない。ふむ、と考えるような仕草をしたジェイドは感情が読み取りにくい表情で告げた。

「何度も僕を助けてくれたお礼ですよ」
「昼飯運んで一緒に箒に乗っただけだろ? 全然釣り合ってない。お前だって謹慎とか……それ以上にひどいペナルティーを食らうかもしれないんだぞ」
「ああ、考えていませんでしたね、それは。僕としたことが……まったく思いつきませんでしたよ」

 白々しい口調で言ったジェイドは、今思い出したと言わんばかりに続けた。

「来年もルームメイトですね、ナマエくん」

 アズールは寮長、ジェイドは副寮長になる。寮長と副寮長は原則一人部屋になるため、ジェイドは今月に入ってから荷造りを始めていた。部屋を見渡してようやく気づいたが、部屋に置かれていたはずのダンボールは崩され、中身も机の上に置かれている。

「お前、副寮長になるんじゃ……」
「部屋を移すのが面倒ですから。アズールには少々怪しまれたようですが……まぁ問題はないでしょう」
「な、なんで」
「友達でしょう、僕たちは」

 何の気なしに言うなんて。挨拶をするかのようにさらっと飛び出した言葉を訂正することなく、彼は驚く俺を放置して紅茶を飲んだ。
 ウツボは凶暴で乱暴なようで、その実、愛情深い生き物だと言う。ジェイドは捨てるべき情を切り捨てられなかった。鋭い歯を剥くことも忘れて、よりにもよって虚構の中にあった友情のほうを選択してしまった。

「僕は優しくありませんからね。万が一、君が女性だとバレて襲われるという事態に陥った場合は……後味があまりにも悪いではありませんか。これは僕のためでもあるんですよ」

 ジェイド・リーチは、俺が思うよりずっと、やさしすぎた。


  ◇


 二年生に進級して、俺とジェイドはクラスが離れた。
 今年一番のイレギュラーはオンボロ寮の監督生として入学した監督生で、ジェイドと並んでもお似合いだった。どうやら彼女はジェイドに恋をしているらしい。ジェイドと一緒にいる時によく話しかけてくれるから、そういうことなんだろうと思う。
 しかし今日は違ったようで、ホームルームを終えて教室から出ると監督生がもじもじとした様子で立っていた。

「ナマエ先輩、あの」
「なに?」
「こ、これ……よかったら食べてください」
「俺に?」
「このあいだ、助けてくださったお礼です。あの時は本当にありがとうございました」
「ええと、本当にいいの? 俺は通りかかっただけだよ?」

 こくこく! と必死に頷いて、クッキーが入った袋を俺に押し付けた彼女はあっという間に走り去ってしまった。

「うーわ、モテモテッスねぇ、ナマエくん」
「あの子が廊下ですっ転びそうだったから助けたんだよ。これはそのお礼」
「ふぅん、羨ましいッスねぇ」
「まぁ、大事に食べるよ」
「はー出たよ、無意識たらし発言」
「わざとだよ」
「こっえ
「なんとでも?」

 ぶるぶると震え、わざとらしく寒そうな仕草をするラギーと別れて寮に戻ったが、ジェイドは部屋にいなかった。まだ部活の活動中らしい。

「あ、ノート切れてた」

 鞄の中から筆記具とテキストを引っ張り出して、ようやく思い出した。魔法史用のノートがないから買い出しに行かなきゃと思っていたのに。
 二度手間になるが致し方ない。財布をポケットに突っ込み、購買部に向かう。ペロペロ満腹キャンディなるものを買ったのもサムさんの店でだったなぁ。ジェイドなんてまんまと騙されて……一年の頃のことを思い出していると、購買部には件のジェイドがいた。噂をすれば、というやつだろうか。

「よ、ジェイド。いいキノコは採れたか?」
「ええ、今日も素晴らしいものがたくさん採れましたよ。君のほうこそ、部活はどうしたんです?」
「同好会だからな、俺らんとこ。植物園さえ管理しとけばあとは自由に薬に使っていいし」
「へぇ、それはそれは……」
「暇そうだなと思ったな?」

 首を横に振っているが、ジェイドのこの表情は否定する気がないそれである。
 五冊ワンセットのノートを取り、会計をしているあいだもジェイドは店内にいたから俺と寮に戻るつもりなんだろう。

「小鬼ちゃんたちは仲良いね! いつも一緒だ!」
「いや、一緒にいるのはたまたまですよ……」

 ルームメイトだと何かと行動が一緒になることが多い。ハーツラビュルのエースとデュースという一年生たちもコンビでちょろまか動いている気がする。あいつらも同室じゃなかったっけ。
 ニコニコと笑っているサムさんに四〇〇マドルを支払い、商品棚を眺めていたジェイドと外に出た。

「そういや、何買ったんだ?」
「ルーズリーフですよ」
「ジェイドも切らしてたの?」
「ええ。最近は消費が激しいんですよね」
「わかる。次の単元に進むのも早いしな。二年に上がったからかねぇ」

 かもですねぇ、と頷いたジェイドは植えられているリンゴの木を見つめていた。

「もう一年ですか……あの頃からナマエくんはかなり変な人でしたね」
「いきなり失礼だな」
「怪しいじゃないですか。なんのメリットもないのに昼食を持ってきてくれるなんて」
「ふらふらしてて可哀想だったからな」
「おっと立ちくらみが」
「わざとらしくふらっとすんな! 重てぇ!!」
「すみません、足が滑って……」

 ジェイドは俺の肩にもたれかかりながらくすくす笑った。

「感謝してるんですよ。僕もフロイドも」
「……何が狙いだ?」
「フロイドが僕の採ったキノコを食べてくれないんですよね」
「わーった、わーった。一緒に食べればいいんだな?」
「さすがナマエくん。話が早い」
「今回はシチリン使わないからな」
「それは勿論。あんな大事件はもう懲り懲りです」

 極東の島国のシチリンという調理器具を使ったら、合意なき練炭自殺未遂事件が起きてしまった。アズールからは「新入生に示しがつかない!」と内々に怒られてしまったが、火災報知器は鳴っていないからギリセーフだと思う。

「そういえば、ナマエくんは監督生さんに手作りお菓子をいただいたそうで?」
「なんで知ってんの?」
「監督生さんは話題の的ですからね、さっそく噂になってましたよ」
「ああ……この学園の紅一点だしな、野郎共の関心が集まるのもわかるわ」
「おや、厳密には紅一点ではないかと思いますが?」
「そうだな、肖像画のロザリアちゃんもいるな」

 ジェイドには振り回されずに冷静に反応することが大切だ。ニヤッと笑えば、ジェイドも楽しげに笑みを返した。俺をいつもの手口でからかいたかったのだろうが、今回はそうもいくまい。

「慣れてきましたね、君」
「そりゃな。なんせルームメイトですから」

 部屋に戻るまで、軽口の叩き合いは続いた。


  ◇


 魔法薬学同好会は、基本的に同好会全体では活動しない。各自で興味があるものを植物園で栽培し、好きなように調合する。薬草の世話は雑草をむしって水やりをするだけの簡単なお仕事だが、レオナ先輩が植物園内で寝ているとその危険度は一気に跳ね上がる。彼が寝ている時に物音を立ててみろ、訪れるのは死だけだ。
 レオナ先輩がどこに寝ていても上手く逃げられるようシュミレーションしていると、マンドラゴラが育てられている区画の近くに人の気配を感じた。

「あの、ジェイド先輩」
「なんでしょうか」
「ここの薬草についてなんですけど……」

 聞き覚えのあるかわいらしい声がジェイドの名前を呼んでいた。どうやら俺は、二人が仲睦まじく会話している場面に出くわしてしまったらしい。
 ああ、わかるな。ジェイドはやさしくて頭がいいから、かわいいあの子に勉強を教えていてもおかしくない。ある意味、自然な流れだとも思える。だというのに、なんとなくこれ以上ここにいたくない。そっと植物園を出て、ポリ袋とジョウロを倉庫に戻した。倉庫の白い扉は金属音らしい甲高い音を立てて閉ざされ、音に驚いたらしい雀は木から飛び立ってしまった。



「頼むから、俺が女になった時の女の子扱いはやめてくれないか」
「おかしいですね、女の子扱いではなく正当な態度を示しているだけですが?」
「いやお前……俺は俺なの。重いものも持てるし読もうと思えばエロ本だって」
「少なくとも、今は女性ですよ。あなたが“ナマエくん”であったならいつもと同じように振る舞います」

 ピシャリと俺の話を遮ったジェイドは本が入ったダンボールを軽々と持ち上げた。時刻は朝の五時だ。

「なんで起きてんだよ……」
「物音がしたので。そもそも、女性の姿だからってコソコソしなくてもいいじゃないですか。夜もシャワーを浴びたらすぐにベッドに潜り込まれてしまいますし」
「ジェイドがこうやって気を使うからだよ。ルームメイトだからってここまでしてくれなくていい」
「陸の雌……失礼、女性はか弱い生き物だと聞いています」
「俺はそうでもない」
「どこが? 絞めたらぽっきり折れそうな小エビにしか見えませんね」
「小エビちゃんは監督生だけにしてくれ……」
「ふふ、お気に召しましたか?」
「お願いだから話聞いて?」

 ベッドに腰かけたジェイドはすらっと長い足を組み、俺を見上げた。

「女性とは不思議なものですね。卵生でも卵胎生でもないのでしょう?」
「うーん……まあ」
「あの、触ってみてもいいですか?」
「エ」
「人魚については僕自身よく理解していますが……そうですね、陸の女性の身体に興味があると言えばわかりますか?」
「ああ、そういうこと……別にいいけど、どこ触んの?」
「お腹とかでしょうか」

 ジェイドは二足歩行の人間に対しては性的関心を持たないのだろう。彼がそういう興味を向けるのはおそらく同じ人魚の女性だ。
 特に何も考えずにジェイドの隣に座ると、角張って骨っぽいジェイドの足の横に俺の足が並んだ。性別が違えば爪の大きさも指の長さもこんなに違う。

「あなた、改めて見ると本当に小さいですね」
「喧嘩売ってんのか?」
「売ってませんし口が悪いですよ。思ったことを言っただけです」

 ひどいですね、と言いながら腹の上に手を乗せたジェイドは不思議そうに首を傾げた。

「子宮、というのはどのくらいの大きさなんですか?」
「……子宮はへその下あたりにあって、通常はニワトリの卵くらいの大きさしかない」
「ニワトリの卵? あんなに小さいんですか?」
「妊娠したら大きくなっていくんだよ」
「人魚の産卵とはわけが違いすぎて到底想像もできませんね」

 陸上で育ってきた俺のような学生は、エレメンタリースクールでメダカやウミガメの交尾と産卵について学ぶ。ジェイドの興味は、そういった知的探求と同じものなんだろう。だから照れもしないし、恥ずかしがることもなく疑問を口にできる。
 俺たちは同じ人間でありながら、異なった生物種でしかないのだ。

「十月十日。大体十ヶ月間、腹の中で赤ん坊を守って育てる」
「……本気で言ってます?」
「当たり前だろ。人間の赤ん坊は一人じゃ生きてけない。産まれても、他の動物とか魚たちみたいにすぐに立てたり泳げたりするわけじゃないんだ」

 有り得ない。そう言いたげなジェイドはまた両目を瞬かせた。

「奇跡的……いや、もはや神秘の域ですね」
「ははっ、真面目な顔して何言うかと思えば……ロマンチストだな、ジェイドは」
「ロマン主義でもなんでもありませんよ。僕たちは卵から孵るかどうかで、その時点で生きられるか選別されます。無事に卵から出たとしても、育つ前に死んでしまうことのほうが圧倒的に多い。だからこそ、あなたたちの常識は何もかもが僕の常識とは違う」

 妙に饒舌なジェイドは途切れることなく話し続ける。

「孵ってすぐに泳げなければ死んだも同然です。以前の僕なら、人間の赤ん坊の話を聞いても『劣っている』と思ったことでしょう。だって、自力じゃ生きていけないんですから」
「……うーん、確かにな。お前らにとってはそうかもしれない」

 床に並んでいる大小の足を見下ろしたジェイドの目がゆっくりと、光をこぼすように細められる。夜明けの月はひどくうつくしく、消え入りそうなくらいはかなかった。

「あなたが、こんなに小さな身体ひとつで生きていることが僕には驚きです。こんなに小さいのに、いつかは信じられないくらいに弱くてやわらかい命を産むかもしれないと思うと、僕は」

 僕は、どのくらいの力で触れればいいのかもわからない。
 苦しそうに眉を寄せたジェイドの、弱々しい瞳が黎明の薄暗がりの中でチカリと光った。やさしくする必要はどこにもないのに、ジェイドはかわいいあの子と同じ扱いをしようとする。それが惨めで、苦しくて、かなしい。

「俺は普通の女じゃない。やさしくしなくていい」
「普通じゃない? 意味を計りかねます。どういうことですか」
「そのままの意味だ。俺は子どもを産める身体じゃなくなるし、お前の気遣いなんて無意味だ」
「ちゃんと説明してください」
「俺の薬は使いすぎたら妊娠できなくなる」
「……は」
「だからお前に心配なんかされなくても、」
「待ってください、どういうことですか」
「ああ、聞いたことないか? 性別転換の薬は反動がバカみたいにデカい。当たり前だよなァ、無理やり全部作り替えてんだから」
「君は、それを知っていて服用し続けていたんですか」
「知らないと思うか?」

 欠陥は一つだけじゃない。二つだ。


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