イヴの傍証 01


 小さい頃から、俺に自由はなかった。

 ツイステッドワンダーランドにおいて、人間は魔法が使える人とそうでない人に分類され、魔法が使える人間のあいだには名門魔法士の一族まで存在している。ちなみに俺は、魔法はある程度使えるほうだった。
 女の俺が“俺”という一人称を使用して、ナイトレイブンカレッジの生徒として学園にいる理由。そんなものは俺の生まれを辿ればすぐわかる。

「お前は娘じゃない」

 魔法が使えない双子のポンコツ兄貴に代わって入学し、一族の名に恥じない魔法士になることが俺に与えられた宿命だった。でも性別は女だ。男として育てられようが、俺は女だ。
 だから。十五の夏にあの馬車が来た時は、足元からすべてが崩れ落ちるような音が、絶望の音がした。ぐわんぐわんと頭の中で警告音が鳴ったのだ。お前は運命から逃げられない、どこにも逃げられない、悪魔がそう囁くような。
 闇の鏡は俺と兄の性別を勘違いした挙句に、それはそれは不気味な馬車によるお迎えまで寄越したのだから、今さらどうにもできないことはよくわかっている。しかもこのお迎えシステム、キャンセル不可のクソゲー仕様である。ゲームで言うところのチュートリアルとでも言おうか、スキップもキャンセルもできない。
 誰も止めなかった。それどころか祝福ムードになっていた。知っていたが、どうやら俺の家族は頭がおかしいらしい。娘を男子校に放り込もうだなんて、狂気の沙汰じゃない。

「これ、持っていきなさい。ひとまず二ヶ月分は入っているから」

 母方の実家が薬屋というのもいけなかった。母に持たされた性別を変えられるクソ不味い薬を服薬するとまず膝が痛くなり、次に肘や背骨が痛くなる。これがかなり痛い。たとえるなら全身の骨をボキボキに折られた上に、捏ねくり回されながら再び組み立てられていく感じだ。首には喉仏が浮かび、手の甲には太い骨が張り、胸がしぼんで下半身にアレが生えてくる。最初は失神した。身体が再構築されていく痛みと、想像を絶するような変化は誰もが軽くトラウマになるだろう。
 そして、気絶して次に目を覚ましたら棺の中にいた。まったくと言っていいほど信用できない闇の鏡さまさまの寮分けを経て所属する寮が決まったが、オクタヴィネル寮はふらふらしている新入生がやけに多かった。どうやら元人魚が多いらしい。だから二足歩行に不慣れな、酔っ払いのような千鳥足が多いのだとか。

「すみません、部屋まで肩を貸していただいても?」
「いいけど、お前、デカイな。身長どんくらい?」
「約1.9メートルです」
「なるほどな、魚介スタイルか」

 身長を聞いてメートルで答えられたのは初めてだった。ルームメイトとなった蒼い髪の男は物腰柔らかな紳士っぽいが、どことなく胡散臭さを感じる。こいつに女だってバレたらどうしよう。速攻でバレてしまいそうな気がする。
 母が作った性別転換薬に隠された重大な欠陥に怯えながら、割り当てられた部屋に向かった。


  ◇


 ルームメイトのジェイドは元々海で生活していただけあって、陸上での行動には不慣れだった。ちょっと歩けばへなっとふらついたり、何もないところで転んだりする。飛行術の授業中は特に、へなへなと揺れる昆布みたいにふらつき、バルガスの目を盗んでは片割れのフロイドと一緒に木陰で死んでいた。いちばん大変なのは、昼休み前に飛行術の授業がある月曜日と木曜日だ。ふらつきながらもようやっと木陰にしゃがみ込み、立ち上がれずに昼食を食いっぱぐれる、ということはリーチ兄弟にとっては日常茶飯事だった。

 陸に上がって一ヶ月も経っていないけど空は飛べ。

 ナイトレイブンカレッジは鬼のようなカリキュラムを組んで人魚たちの反感を買いたいのだろうか。カリキュラムを変更してみては? と学園長にそれとなく言ってみたものの、「おや、進化論的には間違ってませんよ」という謎めいたご返答を頂戴してしまった。人魚たちによる反乱や学生運動が始まってしまったら学園長には生贄になってもらうしかないようだ。必要な犠牲である。
 オクタヴィネル寮は歩行や飛行を苦手とする元人魚が多いが、リーチ兄弟は他の誰よりも二本足に不慣れだった。縦に細長い身体ではバランスをとるのも難しく、すぐにふらっとしてしまう。席から立つにももたつくし、自分の足に片足を引っ掛けるし、早く走ろうとすればすっ転びそうになる。お前らコメディアンなのか? と勘繰ってしまうほど頻繁に、階段を踏み外したり小さな段差で躓いたり、とにかくドジを踏むのだ。
 授業終了の合図と共にグラウンドを駆け抜け、食堂に向かう元気な奴らを見送る姿はそれはそれは可哀想で、哀れだ。サイズ的には少年の域を出ているが、ジェイドもフロイドも食べ盛りの健全な少年なのに美味しい昼食を食いっぱぐれるのはあんまりだ。
 Mr.Sのミステリーショップで買ったランチボックスを使う時が来た。俺ってば優しすぎでは? と自画自賛して、ビュッフェ形式で出されている料理たちをボックスに詰めていく。
 ちょうどそばにいたラギーは不思議そうな顔で首を傾げた。彼の皿にはキッシュとハンバーグが乗っている。

「なにしてるんスか?」
「他んとこで食べようと思って」
「へぇー。珍しいッスね、ナマエくんが食堂以外で食べるなんて」
「うるせーじゃん、食堂」
「まあ、確かに。ていうか、なんでジャージのまんまなんスか?」
「外で食べるし、制服汚したくないだろ? クリーニング出す金もないから」
「あー、わかる。しかもジャージは楽ッスよね」
「マジそれなんだよ」

 ぼそぼそ話しながら温かい料理を詰めていく。ボンボンだらけのこの学園の中じゃ、庶民出身らしいラギーとは会話が弾みやすい。息が詰まらず、至って自然に話せる彼のことは好きだ。ジャージ云々の話題にだって、途中から「それな」しか言っていない。
 リーチ兄弟が好きそうなものを詰め終えて蓋を閉じると、ラギーは大きなタレ目を更に見開いた。

「ちょ、ちょっとそんなに食べるんスか!?」
「え? ウン」
「いや絶対無理でしょ!!」
「食べれる、たぶん」
「勿体ないことはしちゃダメなんスよ!」
「しないしない」

 適当に会話を切り上げ、食堂の外に出る頃にはラギーはレオナ先輩の隣に座っていた。故郷についての話はあまり聞かないが、ラギーはたぶんおばあちゃん子だ。食べ残しや無駄遣いにはうるさい。あと、おばあちゃんの知恵袋的なことをよく教えてくれる。
 グラウンドを突っ切って、一番立派なリンゴの木を目指せば碧色の頭が陰の下に二つ。座っているジェイドは立てた両膝に顔を埋めていて、フロイドは大の字で寝そべっている。二人の目の前に来てようやく、「勝手にやっちゃったけど、ありがた迷惑なのでは?」という疑心がもたげた。幸い、今ならまだ引ける。一歩後ずさると、フロイドの右側の長い髪が揺れ、べっこう飴のような金色の瞳が鬱陶しそうに細められた。

「カメちゃんじゃん。ウゼ〜、来んなよ」
「腹が減ってるからって俺に当たるな」
「は? ちげーし」
「ちげーくないだろ」

 フロイドは気まぐれすぎるきらいがあるから怖いが、腹が減っているとうるさいのは口だけになる。
 見つかってしまった以上、いま引き返しても後味が悪いだろう。昼休み後の気分を天秤にかけた結果、木の幹の正面にドカッと座り、料理をこれでもかと詰め込んだランチボックスを草の上に置いた。レジャーシートなんて洒落たものはないが、冷たい飲み物と使い捨ての皿とフォークならある。

「お前ら、嫌いなもんある?」
「え?」

 フロイドの素っ頓狂な声と鳩が豆鉄砲を食らったような顔は間抜けでなんだかかわいかった。これで「迷惑だ」と言われてもつらいので、二人の顔は見ないままに二つのランチボックスの蓋を開け、説明する。

「わからなかったから、ハンバーグとサンドイッチは持ってきた。今日は麓のパン屋が出張営業とかなんとかで……並んでる奴らが少なかったからな」
「どうしてですか?」
「わり、ベーカリーのパン食べたかった?」
「そういう意味では……フロイド、お待ちなさい」
「なんで? オレら腹ペコじゃん」

 難しい顔をしているジェイドとサンドイッチを頬張っているフロイドは対照的だった。

「昼食を持ってきていただけてもちろん有難いです。ですが、あなたにメリットはありませんよね?」
「いや、お前ら自分たちで思ってるよりかなり酷いよ。産まれたての子鹿みたいだ」
「産まれたての……なんですか?」
「まあまあ、食べろよ。フロイドに全部食べられるぞ。魚介料理は共食いになるかと思って持ってこなかったんだけど」
「僕はタコのカルパッチョが好きです」
「へぇ、魚介料理も食べれんのか。フロイドは何が好き?」
「ふぁほやき」
「悪い、もう一回いいか」
「フロイドの好物はタコ焼きですよ」
「水中で食べたら不味くない? 鰹節どっか行くじゃん。あと海水がしょっぱそう」
「水の中では食べません。陸に上がってからの好物です」
「ふーん」

 トマトとハム、チェダーチーズのサンドイッチはパンが少しパサついている。
 ジェイドは蒸し鶏とハニーマスタードのサンド、フロイドはタマゴサンドを食べていた。二人の手にあるサンドイッチは掃除機に吸われていくように消えていき、フロイドなんて二口かそこらで食べきっている。ジェイドは片割れに比べるとちまちま食べているように見えるが、食べるスピードはフロイドに負けず劣らずの早さだった。

「お前らの故郷ってどんな感じなの?」
「いらっしゃってみてはいかがですか? 珍しいものばかりだと思いますよ」

 当たり障りのない質問でも、ジェイドの返事は意外と感じがよかった。
 親しくない奴に対してはクールな野郎かと思っていたがそうでもないらしい。最も、他人に踏み込ませたくないラインの境界線は上手くぼかして、巧みに一歩引いているのだろうが。

「俺、寒いとこ苦手だからな〜」
「意外と暖かいものですよ」
「そういうもん?」
「カメちゃん泳ぐのヘタそう。泳げんの?」
「溺れるだろうな」
「沈めてみてー」
「いや怖いわ。愉快犯かよ」

 フロイド怖い。入学一ヶ月目にして、そんなことを知った。


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