三千世界の鴉を殺し君と朝寝がしてみたい 08


 お兄様とリリア様がナイトレイブンカレッジをご卒業なさってからも、シルバーとセベクはお兄様の護衛としての責務を果たすために学園で学業に励んでいる。城にお戻りになられたお兄様は次期王として様々なことをしていらっしゃるけれど、最近は声をおかけする暇もないくらいに忙しそうにしていらっしゃった。

「ターリア、もうじきシルバーが帰ってくるの」

 珍しく機嫌がいい黒馬──ターリアは、鼻先を私の手のひらに押しつけた。今日はシルバーとセベクが帰ってくる日だ。「盛大に迎えてやらんとな!」と、のたまうリリア様が先陣切って歓迎の準備を進めていらっしゃるため、城内は朝から騒がしく、召使いたちが休む暇もなくあちこちを行ったり来たりしている。
 執務室にてお仕事をしていらっしゃるお兄様に代わって張り切っているのだろう。朝一番に厨房で凄まじいものを作ろうとしていたリリア様は火の妖精と料理長にあたふたと追い出されてしまったらしい。わしの独創的な料理は食べたくないのかのう、といじけたように呟いていた彼は相変わらずといった様子で不思議そうにしていたが、彼の手料理が食卓に出されたらシルバーは逃げると思う。幼い頃、シルバーは食べさせられては無理やり嚥下して、真っ青になりながらひたすら水を飲んでいた。それを思い出せば、わたしの予想もあながち外れはしないだろうと思わずにはいられない。
 護衛と共に馬小屋から出て城に戻ると、城内はやはり落ち着きがなかった。リリア様がまたなにかしていらっしゃるのだろうか。それだけにしてはわたしを見つめる視線がやけに多く、居心地が悪い。

「ナマエ様、お客様が……」
「お客様?」

 控えめにそう告げた彼女に、わたしはぱちぱちと瞬きをしたのだった。


  ◇


 茨の谷の姫は、他国の王族や国内の貴族に嫁ぐことがある。茨の魔女のように女性でありながらも頂点に君臨する王妃も少なからず存在していたけれど、大抵の場合は男児が王位を継承するため、才能なしと見なされた姫は比較的自由に育てられていた。
 そもそも、人間の血が流れ、お兄様に比べればなにもかも下回っている妹として誕生したわたしに王位継承権などあるわけがなかった。マレウス様ほど王となるにふさわしいお方はいらっしゃらない、と民や召使いたちが口を揃えて言うほどにお兄様はその玉座を望まれている。
 と、なれば。王位を継げないお飾りの姫として生まれた、絶対的に劣っているわたしには様々な選択肢──キャンセル不可の問題も舞い込んでくるはずである。

「ナマエ様。あなたは噂に違わぬ美しき姫だ」

 茨の谷のために、他国に嫁ぐか国内の貴族に嫁ぐか。相互の利益を重視した時代錯誤とも言えるこういった婚姻は、今現在もなされていないとは言いきれなかった。時の王が、国の主が、そうせよと命じられるのならば姫は従うしかない。おとぎ話でさえも不幸な政略結婚の話であふれているのだから、現実はもっと残酷なのだ。
 わたしの手に口付けを落とした茨の谷を代表する大富豪の息子は、にっこりと笑っている。金の髪と蒼い瞳の、王子様のような見た目はさぞ女性にちやほやされていることだろう。言葉を失っているわたしと、にこやかな大富豪の息子。病床に伏せられてからは滅多にお姿をお見せにならなくなったお父様が「此度、こちらのご子息とお前の婚姻が決まった」とおっしゃられたのが一時間ほど前のことだった。

『お、お待ちください、お父様……わた、わたしは……!!』
『小娘。私への口答えは許さぬぞ』
『……っ』

 その両目に父としての温もりはなく、取るに足らない虫けらでも見下ろすような視線だったと思う。呼吸が止まる、とはまさにこのことだと思った。内臓からすっと冷えていき、膝が震えて立っていられなくなる。
 ずっと、お父様の声が頭に響いている。どうしたら断れる? どうしたら逃げられる? 夢だと思いたいのに、わたしの隣にいる青年は柔らかな笑みを浮かべて話しかけ続ける。

 わたしが愛しているひとは、彼じゃないのに。

 足元がおぼつかない。喪失感で虚無感で心は空っぽなのに、シルバーのことばかり考えている。
 随分とお喋りな彼と別れて部屋に戻ったけれど、どうやって戻ったかは覚えていない。頭が痛い。指先が痺れている。ドクドクと音を立てる心臓が痛い、苦しい。シルバーになんと言えばいいの。もう知ってる? もう帰ってきた? どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう、わたし、

 ──俺が強い騎士になったら結婚してほしい。

 喉の奥から引き攣った声が漏れた。今よりもずっと幼い彼が、頷いたら顔を真っ赤にした彼が、そっと抱きしめてくれた彼が、絶望に黒く塗り潰されていく。

「ぁ、う、うそ」

 呼吸の間隔が短くなっていき、視界が涙で滲んだ。身体なんてとっくに冷えきっていても、頬を滑る涙だけは熱い。甘えたいのも頼りたいのもシルバーだけなのに、どんな顔で会えばいいのかもわからない。
 飾らない想いを言葉少なに傾けてくれている、不器用ながらに愛してくれているとわかっている。そんな彼に一体なにを言えばいいというのだろう。
 シルバーに涙を掬ってほしい、呆れた顔で「また泣いているのか」と言ってほしい。たこだらけの硬い手のひらで頬を撫でてほしい。少し困ったように眉を下げる優しい笑みを見せてほしい。けれどそれすら、もう叶わないかもしれない。

「や、だ……やだ……!!」

 あんなに愛おしくてやさしいと思っていた世界が、途端に色を変えた。


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