dear dear

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V


 平時もなかなか訪れることのない国王の執務室。クレスツェンツは久方ぶりにその扉を叩いた。
 中には部屋の主と秘書官と、どこかの役所の官吏がいる。
「王后陛下?」
 止める秘書官と王に何ごとかを報告していた官吏をずいと押しのけ、クレスツェンツは数日ぶりに顔を合わせた夫を冷然と見下ろした。
「陛下、至急お耳に入れたき事案がございます」
「今、アマリア市長の報告を聞いているところだ。あとにせよ」
「わたくしのお話を先に聞いていただきたい。……聞いていただくだけでよいのです」
 怪訝な顔をする夫の机に数十枚の資料の束を置き、クレスツェンツは胸を張る。
「ペシラへゆこうと思います。医官十名、僧医四十名、民間の医師、薬師二十五名、以下、商人とわたくしの騎士、エルツェ公爵家の兵等……三百名ほど連れて行きます。ついてはこの隊列のロイエ街道通行つつがなく行えるよう、各関門へ通達をお願いしたい」
「ツェン……」
 返ってきたのは、地の底から湧き出るような苛立ちに満ちた声だった。
 おののいたのはクレスツェンツではなく、むしろ彼らの傍で王のその声を聞いた秘書官と市長だ。
「そなたは己が何を言っているか分からぬのか」
「分かっております。ですからお許しいただけないだろうと思っております。ですがただ一点、わたくしは迅速にペシラへ入りたい。そのために関門の通過だけはご許可いただきたいのです」
「お、王后陛下、」
 怒りに震える王に代わり、秘書官が恐々としながら口を開いた。
「疫病の発生時、王家の方々には御身をお守りいただく義務がございます。特に此度の疫病は頻繁に流行する痢病や感冒の類とは異なり非常に致死率が高く、伝染性も強いものです。王后陛下は施療院の運営に携わっておいでゆえ城下での活動はこれまで国王陛下も黙認していらっしゃいましたが、ペシラへお出向きになるなどまさか……」
 クレスツェンツは視線だけを動かして、差し出口を挟んだ秘書官を見つめた。
 睨まれたと思ったのだろう。彼は更に萎縮したが、次の瞬間クレスツェンツが柔らかく微笑んだのでぽかんと口を開け目を丸くする。

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