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腰を下ろす前に、彼は娘の枕元に真鍮製の香炉を置く。香木の燃える煙、最期のときを守る神聖な香りが、白い帳(とばり)を超え病室に行き渡る。
誰もが消えゆく命のために祈り、温かな静寂がその場を支配した。
「きれいになって、エルナはさぞ満足でしょう」
「だとよいのですが。人に化粧をしてやるなど初めてだったのです。おかしくありませんか?」
「少しも。歌を歌っていたころの彼女に戻ったようです」
オーラフに言われ、クレスツェンツは涙ぐむ。その雫がこぼれないよう唇を噛んで堪えた。
明るく歌うことが大好きだった娘だ。彼女の前で暗い顔をしてはならない。
よかった、と吐息だけで呟き、クレスツェンツはほんの短い間友人となった娘の手をいっそう強く握る。
寂しくも優しい沈黙が破られたのはその直後だ。
大部屋の扉が開き、一人の僧侶に案内された十数人の少年が病室へ入ってきた。がやがやと話しながらやって来た彼らは、部屋中の患者たちや僧医から睨みつけられてぴたりと黙った。
不穏な気配に戸惑いながらも、少年たちは好奇心の先立つ目で白い幕に囲まれた部屋の一画へ視線を注ぐ。
なんだ、あの連中は。
クレスツェンツは同じ年頃の異性の集団を帳の隙間から睨んだ。
少年たちはいずれも身なりがよい。貴族か、金持ちの商人の子弟といった風体だ。
ささめき合う彼らの声が徐々に大きくなってくると、クレスツェンツより先にオーラフが立ち上がった。
彼は眉間に皺を寄せる少女の肩を叩いて宥め、少年たちを引き連れてきた僧侶のもとへ向かう。
「今は静かに」と低い声で求めるオーラフの声を、クレスツェンツは唇を噛みながら聞いた。
静かに、じゃない。出て行けと言ってくれればいいのに。
おおかたあの少年たちは、教会に喜捨する貴族の小倅(こせがれ)だろう。時折、ああして施療院を見学しに来る者がある。
施療院の実態を知ろうとしてくれる分にはいい。しかし、ああして物見遊山の気分でやってくるのは許せなかった。
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