天槍アネクドート
野望と恋の話(10)
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 それからのエイルリヒのしょぼくれようは実に見物で。
 ディルクが大変な思いをして公国使節との交渉に臨む中、笑い事ではなかったのだが、目が合う度に視線を反らしてやればエイルリヒは青ざめていた。
 屋敷へ届く手紙と贈り物もすべて送り返し、声を掛けられても無視していたので、ティアナに「ふられた」という思いに、徐々に現実味が帯びてきたのだろう。彼が「婚約解消かも……」と呟いた時には、本当に可笑しかった。
 あり得ない。婚約解消だなんて。ティアナは公妃の椅子が欲しいと言ったではないか。
 覚えていないくらい、彼はティアナの心が欲しいのだろうか。
 そう思うとこのまま公国へ帰すのは可哀想な気がしたので、帰国の前々日、ティアナはエイルリヒに手紙を渡した。


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「ティアナ、やっぱり明日一緒に公国へ帰りませんか」
「エイルリヒ様、わたくしは正式に迎えに来ていただくのが夢だと申しましたわ」
「その方が、公妃として箔がつくからですよね?」
 その一言はティアナだけに届くよう、そっと声を潜め耳元で言う。ディルクがいることにも構わず、エイルリヒはちろりと舌を出してティアナの耳朶を舐めた。
 思わず悲鳴をあげそうになったが、今は侍官として働いている途中だ。ディルクの前で無様な声を出すわけにはいかない。ぐっと唇を噛んで堪え、軽くエイルリヒを睨み返す。
「じゃあ、結婚は絶対って、約束してくれますか?」
「もちろん」
「僕のことは好き?」
「ええ」
「本当? じゃあ、きっぱり言って下さい。そこで兄上が聞いていますから、エイルリヒのことを愛しているって」
「……」
「え、黙っちゃうの!?」
「外でやってくれないか」
 ティアナが恥じらう振りをして黙ると、叙任式の式次第を確認していたディルクがしびれを切らしてそう呻いた。
「申し訳ございません。もうお喋りはやめにいたしますので」
「い、言って下さいよ! じゃないと安心して帰れません!」
「……」
「ティアナぁ!」
 その後もエイルリヒはティアナにまとわりついていたが、やがてマティアスに連れられて叙任式の貴賓席へと強制的に移されたようだ。


 公妃の椅子は欲しい。
 そして、それがエイルリヒの隣の席だというのもそんなに悪くはない、とティアナは思った。
 エイルリヒは年相応に馬鹿だが有能であることは間違いないし、何せ彼はこのわたしの虜のようだから、夫婦になったってすべての主導権を彼に握られることはないだろう。また、そうしてみせると思うと張り合いもある。
 再び彼に会えるときが楽しみである。それまで彼の中で自分への思いがうんと募るよう、しばらく手紙を書くのはよしておこう、とティアナはほくそ笑んだ。




(20130107)
(20160101改稿)

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