天槍アネクドート
野望と恋の話(9)
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「王太子殿下からのお見舞いをお持ちしました。お花と、チーズです。チーズは滋養がありますので、リゾットにでもお使い下さい。しばらくは柔らかいものしか召し上がれないでしょうから」
「ありがとうございます」
 父もついているし、顔色は悪いが大丈夫そうだ。ティアナは一安心してベッドを離れようとした。しかし彼女の手を、毛布の下から出てきたエイルリヒの指が控えめに握る。
「心配してくれました?」
 小声で言ってにへらっと笑うその緊張感のない笑顔にかちんとしたが、パーテーションの向こうには公国の貴族がいることだし、あまり大きな声で怒ることは出来なかった。
「ええ、わたくしの公妃の椅子が無くなってしまうかと」
 一昨夜は言わなかった本音を、はっきりと口にしてやる。するとエイルリヒは思いの外傷ついた顔をした。不敵な笑みを返されるかと思っていたので、ティアナはどきりとして彼の指を振り払う。
「僕の心配は……?」
「それは、もちろん」
「椅子のついでですか?」
 当たり前だ、というのはあまりに無慈悲だろうか。ティアナが返事に迷っている内に、副使のシュテルン公爵が現れ、なかなか立ち去らないティアナに訝しげな視線を向けてきたので彼女はやむなく退散した。


 数日後、また見舞いを申し出て話したときに分かったことだが、なんと昼食会で飲んだ毒は自分で用意したものだという。
 いつの間に、一体どこから。問い質せば、イシュテン伯爵家の薬品庫からだとエイルリヒは言った。
 ついでに大公直属のエスピオナでもあるマティアスが伯爵家の薬品庫に忍び込んだという。確認したところ、確かにいくつかの薬品が減っていた。
「もし明日、ユニカが助けてくれなかったり解毒が間に合わなかったりしたら、ティアナとは結婚できないんだろうなって思って、ちょっとだけ弱気になってしまった自分を鼓舞しようと思ってですね、」
 そして、律儀にもあの夜≠フ犯行動機までエイルリヒは喋り始めた。
「鼓舞……」
 それはさぞ、気持ちを高めるのに手っ取り早い方法だっただろう。
 ティアナはあの瞬間に性急に覚悟を迫られ嫌な思いをしたというのに。
「……」
「あれ? ティアナ? 今日はシュテルン殿もいませんよ、もうちょっとゆっくり話しましょう?」
「結構です。ごきげんよう公子様」
 ティアナは見舞いの品を父に押しつけると、彼女の名を呼び続けるエイルリヒを無視してディルクのもとへと戻った。

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