天槍アネクドート
麗しきあめの下(3)
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「それなら大丈夫でしょう。少し急いで、買うものを決めたらすぐに戻りましょう」
「賛成です。せっかく二人で出歩ける機会ですし」
 エリュゼはうむ、と頷いたものの、クリスティアンの二言目にちょっとだけ驚いた。
 彼もそう思ったのか。
 村まで駆けるのでしっかり掴まるようにと促され、緊張しながらクリスティアンの身体に腕を回す。
 婚約を決めただけなのに、なんだか急に距離が近くなった。でも、これはお互いにとって必要で、いいことなのだろう。


 
 ゼートレーネの特産であるベリー類の加工品や農閑期に作られる雑貨品を見て回り、クリスティアンが選んだのは果実酒と干したベリーに糖衣をまぶしたお菓子だった。
 ほかの家ならばいざ知らず、プラネルト伯爵家ではきれいな飾り食器より飲み食いしておいしいものの方が喜ばれる。当主がそう言うのなら間違いないと、クリスティアンはそれらを購入した。
 が、さすがは莫大な財産を持っている侯爵その人。酒に関しては、エリュゼがユニカに代わって王への土産として注文しようと思っていた最上級品を惜しげもなく買ってくれていた。プラネルト家が女四人の家で、酒は大して消費できないだろうという配慮は忘れないでくれたようで、手土産≠轤オく片手でぶら下げていける二本だけ、に留めておいてくれたことにエリュゼは密かにほっとした。
 お菓子は村を出る日に引き取れるよう注文だけを済ませると、クリスティアンは非常に満足したようだった。店を出る時の彼の横顔を見てエリュゼはそう感じた。
 思えばクリスティアンはいつでも柔和で声をかけやすそうな表情だが、それは恐らく対外的なもの。今浮かべている笑みは、彼の感情がにじみ出たものだろう。
 それがなんだか嬉しくなると同時にエリュゼは気が付いた。こんなに雰囲気のよい青年を初めいけ好かないと思ったのは(実はそう思っていた)、完璧に取り繕われた表情のせいで何を考えているのか分からなかったからだ。
 彼は必要な時にきちんと自分の考えを述べるたちのようだが、それだけではやはりちょっと物足りない。
 嬉しいとか楽しいとか、感じていることが伝わってきた方が……。
「用事は済みましたが、どうしましょう。戻りますか」
「え、ええと、そうですね」
 こっそり人の顔を観察するなんてはしたない。エリュゼは自分を叱りながら視線を空へと泳がせた。別にクリスティアンを見上げていたわけではなくお天気を気にしていたのです、という顔をして。
 そのお天気は、先ほどより雲に覆われた部分が多いもののまだ差し迫った様子ではなかった。しかし風は少ししっとりしてきている。今夜あたりから本当に雨が降りそう。
「昼を食べていくくらいの時間はあるでしょう。侯爵、少しお行儀の悪い食事でも構いませんか。ディディエンには内緒にしておいていただきたいのですが」

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